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Thrive instead of Grow:アムステルダム市が採用したドーナツ経済モデル #01

Takeshi Okahashi

パンデミック後を見据えるアムステルダム市の発表

2020年5月。個人としても、組織としても、社会としても、このパンデミックとの生活をどう描いていけば良いのだろうか考え始めている人も多いと思う。

僕個人としても、家にいる時間が長くなり、考える時間ができているものの、これまで経験したことがないような不確かさや不安に引きずられるように、ついついこれからのことを考えるのを後伸ばしにしてしまっているところがあった。油断すると、すぐ何を作って食べようかというところに意識が持っていかれる(それはそれで悪くない変化なのだけど)。

そんな中、この時期にこんな発表ができるんだとActant Forestメンバーで話題になったのが、オランダはアムステルダム市による「今後ドーナツ経済モデルを政策決定の拠り所にしてい」くという発表だ。オランダも新型コロナ(COVID-19)の影響を大きく受け大変なことになっている。こんな時期(4月)にパンデミック後のビジョンを描くような発表ができるところが、どんな時であろうと言うべきことは言うオランダらしい動きとも言える。

僕自身、予定ではこの春にオランダ移住をするつもりで準備をしていたので、オランダでのこうした動きはとても気になる。直接取材したいくらいだ(現地にいたとしても対面での取材は難しそうだが)。この発表で、政策の拠り所にしていくとされている「ドーナツ経済」とはどういうものなのか?それをアムステルダム市が政策に取り入れるとはどういうことなのか?

気になって関連情報をあたってみると、アムステルダムのようなグローバル都市が、市民の社会課題と地球規模の課題の双方の課題に折り合いをつけてやっていくためのコンセプトであることが見えてきた。どんなコミュニティでも応用可能なものになることを目指していることも分かった。複数回に分けて、この動きを紹介していきたい。

身の回りの課題から環境問題までをつなぐ「ドーナツ経済モデル」

「ドーナツ経済モデル」とは何か。元々の提唱者は、オックスフォード大学のケイト・ラワースだ。ラワースは大学の研究者ではあるが、キャリアの多くを国連や国際協力団体オックスファムで長年仕事をしてきた実践家である。アフリカのザンジバルや国連本部のあるニューヨーク、バングラデシュなど、世界各地の現場を見てきた彼女が気づいたことの一つは、自分の考え方から国の経済政策まで、経済学的思考の大きな影響力だった。しかも、それがどう見てもうまくいっていない現状である。そこで、彼女は「人類の長期的な目標から始めて、その目標を実現させられる経済思考を模索してみたら、どうなるだろうか」と考えた。その結果生まれたのが「ドーナツ経済モデル」だ。2017年に出版された Doughnut Economics: Seven Ways to Think Like a 21st-Century Economist(邦訳:『ドーナツ経済学が世界を救う』) にその思考の足跡が詳しく記されている。

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ドーナツ経済モデルは、その名の通り、ドーナツの形をした概念図だ。シンプルな丸いドーナツを思い浮かべていただきたい。内側のドーナツの穴の部分は、私たちが生活を送るために最低限必要な社会的土台が足りていないことを表している。つまり、貧困だったり、食べ物や綺麗な水だったり、住居や衛生、教育などが足りていない人たちは、ドーナツの内側の穴の部分にいる。そして、ドーナツの生地の外側が、環境的な上限を超えている状況を表す。温暖化や土壌汚染、オゾン層破壊、生物多様性など、人類の活動によって引き起こされる問題郡がここに置かれる。

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        引用:「ドーナツ経済学が世界を救う」

つまり、ドーナツの内側の穴でもなく、外側でもなく、生地の部分が「人類にとって安全で公正な範囲」かつ「環境再生的で分配的な経済」であることを示している。平たく言い換えれば、「暮らし」にも「地球」にも優しい経済をつくろうといった感じだろう。この図とともに、ケイトは、21世紀の人類が目指すべきなのは、このドーナツの生地のところに全員が入るように政治や経済を進めていくことだと主張する。

それにしても、単純明快な図である。 「ドーナツ経済」が実現できたらどんなに良いのだろうかとも思う。と同時に、単純すぎて信頼に足りる経済学と言えるのだろうか?経済学ってもっと数式や曲線グラフなどを多用する「科学的」なモデルを示すのが通常ではないか?という疑念も湧き上がってくる。

既存の経済学モデルとのイメージの戦い

ラワースは、これまでの経済学モデルが世間一般に流布していきたイメージの歴史や成り立ちに目をむけよと言う。それがどれだけ科学的だったのか、そしてそれがどれだけ世の中の役に立ったのかと。学者の間で自明のように引用される理論にも、人々が思うほど網羅性がないこと、むしろイメージが先行して弊害を引き起こしているものがあることを指摘する。例えば、開発経済学で人気だと言う「クズネッツ曲線」だ。X軸に一人当たりの所得、Y軸に国民所得の不平等を取ることで描かれた曲線だ。

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        引用:「ドーナツ経済学が世界を救う」

クズネッツは、1955年に米国、英国、ドイツの所得の長期的な傾向を示すデータを集め、所得の不平等が少なくとも1920年から縮小していることを発見した。そこから、経済が成長を続ける中で、いったんは所得の不平等が拡大するが、その後下降に転じると言う法則を見出した。この法則は間違っていることが後になってわかっている。クズネッツ本人も、その当時発表した論文の中でも、この法則(仮説)はデータが乏しく、特定の歴史的な背景を持つため「根拠のない独善的な一般化」に用いられてはならないと注意書きを加えていたほどだったそうだ。

それでも、この曲線は一人歩きした。識者に受け入れられた。貧しい国ではまず富んでいる者に所得を集中させるべきだと言う理論の正当化として都合がよかったのだ。そして、世界銀行でも予測に使われるようになったり、クズネッツはノーベル経済学賞も受賞した(ノーベル経済学賞は、クズネッツのその他の研究成果も含まれているはずだ)。

その後の研究で、社会平等のために、一度は不平等を経験しなくてはならないという説には、法則と言えるほどの根拠がないことが明らかになった(そもそも、クズネッツも初めから懸念を示していたことだ)。にもかかわらず、一度広まったイメージの力はすさまじい。相変わらずこうした考え方は根強く、お金持ちが増えなくては貧しい人も豊かになれないという多くのエコノミストが言及する「トリクルダウン理論」の支えになっている。「クズネッツの亡霊」とも言える破壊力だ(と経済学素人の自分は思ってしまう)。

ラワースは、著書の中の多くのページを割いて、クズネッツ曲線のような実質以上に拡大解釈され、さも経済のルールのように扱われている経済学の考え方をいくつも読み解き、解説している。どこか経済学の勉強を避けて生きてきた自分のような人間にとって、代表的な経済学理論をその歴史や批判も折り込みながら学べて面白かった。結果的に、より経済学に親近感を持つようになったほどだ。

クズネッツ曲線も、ある一定の条件の元では、様々な気づきや洞察を与えてくれる理論かもしれない(実際そうなのだろう)。しかし、それぞれのモデルが社会が進むべき方向を全て示しているかのごとく扱ってはいけないのだ。ダーウィン進化論が、歪んだ社会進化論を生んでもいるように、科学的な理論が、人々の欲望や恣意に引きずられ、そのイメージが実質以上にふくらんでしまうことは往々にしてある。

しかし、そうは言っても、経済学者やエコノミストがそれらしく語る経済学モデルに、経済学の歴史や理論を学んでいない市民が批判的検討を加えるのは難しい。おそらく、「ドーナツ経済モデル」は、既存の経済学モデルにとって変わろうとしているわけではない。それよりも、部分的には正しいかもしれないが社会を作っていく上でのモデルにするには偏りのある既存の経済学理論に代わり、より包括的でわかりやすく、今の社会が目指すべき経済モデルと提案しているのだ。だからこそ、ケイト・ラワースは、より多くの市民や自治体、関係するセクターの人たちでモデルの考え方を共有することから始めようとしている。


アムステルダム市は、なぜドーナツ経済モデルを採り入れるのか?

では、アムステルダム市は、なぜ、そしてどのように「ドーナツ経済モデル」を政策決定に取り入れようとしているのだろうか?

今回のプロジェクトの関係団体であるCircle Economyのシニア・ストラテジストは、「ドーナツ」を市のビジョンづくりに取り入れる大きな付加価値は、市の様々な目標設定やアクションの土台となる包括的なビジョン(Holistic vision)となり、環境問題とジェンダーの平等、健康教育と土地活用といったトピックを並べて議論できるところだとFast Company の記事の中で言っている。

すでに、2019年の夏頃から市の各セクターの職員がそれぞれの現時点での目標を持ち寄り(49のゴールが持ち寄られた)、このドーナツの図をイメージに議論してレポートをまとめて、その後も市民や市民団体とともに議論するワークショップを継続的に開催している。2019年の夏からということは、つまり、今回のパンデミックがあろうとなかろうと「ドーナツ経済モデル」の導入は進んでいたのだ。

ここで、少し視点をズームアウトさせて、アムステルダム市の都市政策の歴史に目を向けてみよう。昨年末に出版された「世界のコンパクトシティ:都市を賢く縮退するしくみと効果」が参考になる。第2章でアムステルダムの都市政策の歴史と現在の政策がわかりやすくまとまっているからだ。

アムステルダム市の歴史を概観して強く感じるのは、土地利用の制限が強い国ならではの苦しい台所事情だ。「世界は神が創ったが、オランダはオランダ人が造った」と言われるように、今でも4分の1の土地が海抜0m以下であるオランダは、人々の努力の積み重ねで低湿地を灌漑し、水を排出して土地を生み出してきた。歴史的にも土地空間の管理は徹底されている。協力や管理がいきとどかなければ、たちまち海の底ということだってありえる。またそのような事情や歴史があるため、アムステルダム市が、より広域となるアムステルダム都市圏や南ホランド州、国との密な協力関係が成立しているのだ。

つまり、ちょっと人口が増えてきたから、郊外のこのあたりを住宅地にしましょうかと言う話が、そんなに簡単には通らないのだ。オランダで新たな市街地を開発することのハードルは日本に比べるとかなり高いと言える。サステナブルでサーキュラーな都市を創造していくというのは世の中のトレンドであり、アムステルダム市が掲げるクールなビジョンであるのだが、「ドーナツ経済学モデル」を採用するということは、「高密化」と「多用途化」が必須である街にとっては、自然な成り行きでもあったのだ。

#02に続く

追記:「ドーナツ経済モデル」の連載が続きそうなので、前編、後編から#01, #02と表記を変えました。

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