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あなたは受験したいの?勉強したいの?

おはよう御座います。アクウォーです。
タイトルはドラマ「受験の神様」第一話に出てきた小学生への言葉です。
受験のために、良い学校に入るために頑張る勉強なのか、それとも生きていくための勉強をしたいのか。というのを一番最初に問うてました。

最近は大企業に入れば安泰で年功序列もあるという考えが廃れています。良い企業に入るかということよりも自分が「やっててつまらなくないか」という事が重要になってきていると思います。中学受験も同じで中学に入れば安泰というわけではないと思います。ここでいう安泰ではないという意味は受験のために勉強をしている子に対してです。勉強が好きで自ら学びたいと学業に励んでいる子は以下の記事はスルーして下さい。

男の子は特に難しい傾向

女の子よりも男の子のほうが顕著に出ると思いますが、目的がわからないものや興味がわかないものに対して忍耐で努力で勉強するということが難しいと感じています。
音楽家・料理人・オタクなど男性に多い理由は男女の特性によるものかなと思います。つまり男は狭く深く、女は広く浅く。
自分の興味があるものに関連性がないと勉強するのが困難で、意味を見いだせないと自分の知恵に変換することができないのでしょう

私は苦手な教科はありましたが小中学生時代の勉強はそれほど嫌いではなく、定期テストで高得点を取るゲームのような気持ちで勉強していました。その場しのぎのような勉強の仕方でテストが終わってしまうと暗記物とかは特にすぐ忘れてしまっていました。今となってはもっとしっかり意味を理解した上で学んでいけたら良かったなあと後悔しています。

塾講師をやっていた時も、小学生の男子は特に集中が散漫して鉛筆や消しゴムで遊び始めいかに時間を潰せるかと考えていました。女の子は比較的言われたことをしっかりこなす能力がある印象です。
好きな教科であれば多少は集中してやる小学生男子ですが、それでも面白い授業でないと飽きてしまっていたのを思い出します。だから塾の教材以外に自分で必死に数学教材を作って指導していました。そのオリジナル教材は身近にある数学を教材にしたものが多く想像しやすい物となっていました。食いつくように、そして目を輝かして学んでいました。

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「人生に無駄な事は無い」が無駄な時がある

努力をして勉強していれば良い中学に入れるし高校・大学とエスカレーターで上がれると。
勉強したいためにやってきた行動で効率が悪いと気付き無駄な時間を過ごしたなあと感じるその時の「無駄な事はない」と、周りの誘導から詰め込みで忍耐的に勉強する時の「無駄な事はない」は全く違います。前者だと失敗を失敗ととらえずさらに高効率で勉強をしていきますが、後者だと知識は増えても知恵は少ないです。

私は上記の違いを瞬時に「ああ、この子は伸びるな。」とか「感情を誰かに奪われたような精神で無理やりやらされてるな」とか見極めることが出来るのですが、一般的な大人や保護者はこれが見えてないということに気づきました。
もしこれが重要で根本的な問題だと知っている人が大半なら今のこんな社会になっていないはずです。

✔良い中高大学と進学
✔安泰な大企業に就職してある程度の所得を得る
✔土日は娯楽で余暇を楽しむ


就職するまでが勉強期間で、就職後は勉強しないというのが今の日本のスタイルです。戦後の高度経済成長で日本は非常に多くの娯楽をゲットしています。国民は娯楽にハマり考える時間をなくすという上層部の戦略にまんまとハマってしまいました。

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「安泰・安定=考えない事」と同じ

安泰・安定を目指し、そして娯楽にハマってしまったこの世の中。特に日本は先進国の中で大人になってからの勉強時間が少ないです。
これは勉強という概念が就職できたら終わりという考え方だからでしょう。
勉強とはどっかから参考書やドリルを買ってきて豆知識を得るとか計算能力を高めるとかそういうことをしなさいという訳ではありません。もっと今の世の中を見て感じて考えて調べて発言する。世の中の出来事や人々の呟きを聞いてその物事の尻尾を見つけて本質は何なのかとかそういう勉強をしていきましょうということです。
考えることをストレスだと感じるとすぐ娯楽に逃げることができます。仕事が終わればゲームセンターやらパチンコやら飲み屋など沢山存在します。そこに居る時ははっきり言って思考停止状態なのです。
これに気づいて辞めれば一気に人生は変わります。自分のブランディングを高めることができます。自分で楽しみを探そうとします。

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人生は一生勉強

この言葉を聞くと耳が痛いかもしれませんが、そう思った人は勉強という概念が違います。勉強とはイヤイヤやることではありません。好奇心を持って自ら五感で感じながらやるものです。他人から押し付けられて学校のテストで満点取ることではないです。
そして残念ながら、保護者や学校の先生が願えば願うほど子供達の最も重要な好奇心を奪ってしまうというのが現状です。
何という構図なんでしょう、愛すべき子どもに虐待をしてしまう。そういう構図と似ていると思います。虐待の場合はその親が悪いと敵に仕立てれば簡単ですが実は中身はもっと複雑です。周りの環境や社会によって大きく影響されます。むしろそれがかなり重要で見落とされがちです。親だけの問題ではないです。本質がみんなわからないから何時まで経っても親だけを攻めてまた似たような事が起きるのです。
勉強も同様、
✔塾に通わせれば良い
✔中高大一貫教育なら受験の回数が減るから良い
✔安定した職業を目指す
✔先生の言うことをきちんと聞く子にしていければよい

そういう考えは捨てましょう。受験するのは大人ではないです。お子さんです。上記の項目の逆をやればいいかといえばそういうことではなく、彼らの目を見てもらいたいのです。やる気とか目の輝きとかぜんぜん違うと思うんですが、これを無視してはならないということです。
目の輝きを失って塾に通い、私立中学を目指し、大企業がいいよとその選択肢でなんとなく入る、ということと、目を輝かせて受験勉強し志望校に行き、やりたい仕事をやる、というのはやっていることは似ていますが全く別物です。

「親が先行して、子供は親の目を気にする」
じゃなくて
「子供が先を見て、親は子の目を見る」

こういう状態にしていきたいです。
好奇心の取りこぼしや奪取は犯罪レベルです。
逆に取りこぼさず奪い取らず見つめれば必ずいい方向に行きます。

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最後に、ドラマ「受験の神様」に合わせて一緒に見てみたいドラマとして「女王の教室」を紹介しておきます。


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