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19YEARS #1 最期の日の記憶

2012年5月16日午後。

体温計は34.2℃を示していた。
「壊れてるんですかね。34度なんて変ですよね」
巡回の看護師さんに話しかけてみる。看護師さんはうなずいてみせたが、返事はなかった。ただ、笑顔でかいがいしく夫の体を世話してくださる。

わたしは朝から、女ともだち数人と一緒に、夫のベッドを囲んでいた。眠っている夫を見ながら、穏やかに、おしゃべりしたり笑ったり。毎日のように誰かしらお見舞いに来てくれるせいで、ベッドの周りには、お花やぬいぐるみ、お守りやメッセージで溢れて、温かな雰囲気に包まれていた。

「今日はこれで帰るけどまた来るね」
「私は、あっこさん家に戻って、ライちゃんと遊んでるね。ごはんもあげとくから」
「ありがとうね。気をつけて」

ともだちが帰ったあとは、夫と2人きりになった。しんとした2人だけの時間。昨日まで話せていたのに、今日はずっと眠っている。そういえば、お医者様と昨日話をしたのだった。
「少しずつ楽になる点滴をしますけどいいですか。意識のレベルも少しずつ下がっていきますが」
「はい。夫が楽になるようならお願いします」
点滴のせいで眠っているのだ。私は心から安堵していた。夫はもう、痛くもなく、苦しくもない。おかげで私の心の中の悩みも苦しみも消えて、幸福感すらあった。窓の外には、5月の青い空が広がっていた。

「奥様も横になって休めるようにベンチを置いておきますね」

いつになく、看護師さんのサービスが良い。夫の体も、こんなに綺麗に拭いてもらえたのは、初めてかもしれない。

「今日はずっとこちらにいてくださいね」

看護師さんは、親切そうな笑顔でそう告げた。その言葉で、今日は特別な日なのだと知る。驚くことはなかった。新しい仕事の予定を聞くような気持ちで、受け止めた。今夜の予定は・・・自宅に待つ愛犬ライは、友人が面倒を見てくれているので大丈夫だ。

「近しいものに連絡とかしといたほうがいいですかね」
「その方がよろしいかもしれませんね」

現実とドラマは本当にちがう。縁側でお茶を飲むような、ほんわかとした笑顔を交わし合いながら、これから起きる大切な儀式に臨む。誰もが優しく静かに私達夫婦に接し、粛粛とことをすすめてゆく。

見慣れない看護師さんが病室を訪ねてきた。

「わたしはこの病院に勤めてもう長いんです。普段はこちらではなく、別の病棟を担当しているんですよ。ターミナルケアという、最後の時間をお世話するところなんです。たくさんの方と接してきましたが、こんな病室は初めて見ました。この病気の患者様は、ほとんどの方が最後に苦しい時間を過ごされるのです。苦しみのあまり聞くのも辛いような声を出されたり、暴れるのでベルトで固定されていたりすることも多いです。お見舞いもほとんどなく一人で亡くなって行かれる方も少なくないのです。小林様は、どんなにいい人生を歩まれてきたのか、この病室を見ればわかるような気がいたします。感動をありがとうございました。」

そう言って涙を流した。
わたしはこの上なく幸せを感じていた。夫の人生は、素晴らしいものだったんだ。

夜になって、事務所の社長、長年お世話になったマネージャーさん、仲のいい友人のタレントさんたちがたくさん病室に来てくれていた。意識のない彼は、なにも話さない。でも、スケジュールが厳しい世界の友人が駆けつけてくれることがどんなに大変なことかをいちばん知っている夫は、きっと、ごめんねと言っている。できることなら笑わせたいと思っている。それを私は知っていたけど、謝ることも、代わりに笑わすことも私にはできない。

夜勤のお医者様が大きな機械とともに部屋に入ってきた。心電図を測る電子音が部屋に響く。

ベッドに上半身を預けて、両腕で夫のあたまを抱いていた。頬ずりをし、キスをして、耳元でささやき続けた。

「愛してるよ。愛してるよ。」



モニターに映る波が少しずつ小さくなってゆく。たくさんの人が見守る。

「22:45。ご臨終でございます」

気がついたら私は、マネージャーさんに抱きかかえられていた。ごおーという音が頭に響く。私の声だった。

廊下に出たみんなは、それぞれだった。所属事務所の社長は、誰かに電話をしていた。各所への連絡、マスコミ対応の指示など、私にはできないしわからない部分だ。

毎日のようにテレビで見る大御所お笑いタレントSさんは、ポケットからくしゃくしゃになった封筒を取り出して、私に手渡してくれた。
「間に合わんかったかー。そうかー。そうかー。これ。お見舞いと思ってたんやけど香典になってしもたなぁ。そうかー」
封筒は普通の茶封筒で、裏に名前が走り書きされていた。そのそっけない見かけと、中身の重さのギャップがあまりにも印象的で、なんてかっこいいんだろうと、こんなタイミングなのに、感動してしまった。

仲良しだった知性派のお笑いタレントIさんは、twitterに「小林すすむが今逝きました」という内容をつぶやいていた。おそらくそれは、日本で一番早かったニュースだったと思われる。(テレビや週刊誌はそのツイートで知って、翌朝動き始めた。)

誰もが知る大物女性タレントKさんは、廊下の壁にもたれながら、私に言った。
「あっこ、どうする。明日から未亡人だよ。未亡人ってモテるんだって。はははは」
つられて笑ってしまった。今しがた夫が息を引き取ったというのに。

大切な人が亡くなったときの正しい態度というものがあるなら、今ここにいる人たちは、わたしを含めみんな、はみ出しているのだった。芸能界という、正解のない場所で、長い間生きぬいている人たちは、あまりにもオリジナルで、正直で、愛情深く、すごすぎる。

看護師さんたちが、病室を出たり入ったりしているのを、夢を見るような心持ちで眺めていた。2人がかりで夫はパジャマから服に着替えさせられていた。ピンクのギンガムチェックのボタンダウンシャツ。夫お気に入りのストレートデニム。うん。やっぱり似合うねこれ。

こんなところに出口があったのか。と言う場所から病棟の外に出た。夜の匂いがする。見上げるとたくさんの星が輝いていた。夫は、いつの間にか箱の中に横たえられていて、大きな黒いワンボックスカーの後方に乗せられた。わたしは運転手さんの隣に座った。窓を開けると、友人、病院の人、愛しかない人たちが、手を振っていた。

もう一度空を見上げる。
「知らない世界だ」
と思った。そこは、すすむのいない世界だった。

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