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19YEARS #7 初めて会う人種

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その人と初めて会ったのは、すすむが亡くなって半年あまり経った、冬の寒い日のことだった。

私は、ささの仲間たちが主催する「朝ごはんの会」に参加するようになっていた。月に一度催されるそれは、藁葺き屋根の古民家に朝7時に集まって、みんなで朝ごはんを作るという会だ。
土間にはかまどがあって、火を起こすところからごはんを炊き、おむすびをこしらえ、汁物を炊く。青空の下で野菜を刻み、シンプルな味の惣菜を作る。リーダーがいるわけでもなく、打ち合わせがあるわけでもないのに、参加者が和やかに話をしながら、いつの間にか健康的で素敵な朝ごはんを作ってしまう、奇跡のような不思議な会だった。

持ち物は、お椀とお茶碗、お皿と湯呑み、お箸。各々家からそれらを持ってくる。持ち運びの利便性を考えて、私は木の器と、割れても悔いのない茶碗を用意して持っていくようにしていた。皆考えることは同じらしく、プラスティックの弁当箱など持ってくる人もいた。

そんな中、1人だけ、作家ものの美しい器を携えてくる人がいた。ミナペルホネンの生地でできたランチョンマットまで用意している。
同じメニュウを食すのに、その人の食卓だけが写真に収めたくなるような画になっている。主催の人は、その人の食卓を写真を収めてもいいかと尋ね、公式HPに載せても良いかと打診したりしていた。

その器の趣味は、60代くらいの女性を想像させるようなものだった。けれどその主は、30歳くらいと思われる男性だった。そのギャップに興味を引かれた私は、彼に話しかけることにした。

「素敵な器ですね。屋外に持ってくるのはもったいないくらい」
「そんなことないですよ。普段使いのものです」

その人の服装は、あまり見たことのない着こなしだった。ジェンダーのわからない感じが、私の世代にはあまり見かけないタイプで、今の若い人なんだなと思った。

「どんなお仕事されてるんですか」
「洋服のパターンを引いています」

なるほど。

朝ごはんの会には、ささで会う常連さんたちが多く、彼もその中の1人だった。自分からしゃべることはほとんどなく表情もあまりない。けれど人嫌いという感じではなくて、いつも人の話を聞いている。人の深いところをじっと観察しているようでもあった。寡黙だけど、その居住まいには存在感があった。

「何者なんですかね」
「あの人、気になりますよね」

人はそんな風に彼のことを話題にしていた。

ある日、ささのカウンターで、マスターとわたしと、その彼と、3人だけになった。マスターがわたしに言った。

「ちゃんと紹介したことありましたっけ。Sさんです。あっこさんの気持ちがわかる人だと思いますよ」

いつも寡黙な彼が、初めて自分から話しかけてきた。

「あっこさん、昨年、旦那さんを亡くされて、今とてもお辛いという話をマスターから聞きまして・・・僕もあっこさんには、自分のことを話してみようかと」

大切な話をしようとしているのがわかったので、姿勢を正してSさんの方に体を向ける。Sさんは、少し緊張したような面持ちで、くっきりとした声で、話してくれた。

10年前に大切な女性を亡くした。
今も一緒にいる。
彼女の好きだった世界を大事に思っている。
2人で1つの命となって生きている。


そんな話だった。似たような経験をしているとはいえ、彼はわたしよりずっと若い。その10年を想像するだけで、胸がえぐられるような気がした。そして、共感とともに、理解できない複雑な思いにも駆られた。

わたしはこうはならない。いや、なりたくない。すすむが亡くなって10年経った時、もっと忘れていたい。

だって辛すぎるじゃないか。

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