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物語食卓の風景・残された妻③

 百貨店の系列ということもあるのか、このスーパーの魅力は、珍しい食材や調味料がいっぱい並んでいること。岡山から大阪へ出てきて、百貨店に生き始めた頃も、地下の食品売り場は魅惑的だったけれど、あの頃は外国のチーズやお酒、ハムなどの、どうやって食べたらいいかもわからないし、お値段もなかなか手が届かないようなものばかりで、眺めて感心するだけで手に取ろうとは思わなかった。

 でも、あれから洋食も食べるようになったし、世の中ではいろいろな料理が流行って、外国の食材も珍しくなくなった。洋食もねえ。それこそ百貨店食堂でオムライスを食べたのが最初だったかしら。お父さんとデートしたときだったと思う。黄色い卵の皮に、茶色いソースがかかっていた。あれ、うちで使うケチャップと違って味がマイルドでコクがあるのよね。そう、デミグラスソース。そのうち缶詰で買ってビーフシチューなんかを作ってみるようになったけど。

 洋食は、『主婦の友』と『きょうの料理』で覚えた。あの頃は若かったし、どんどん世の中が変わっていくのが当たり前で、都会生活にも早く慣れて、「洋食ぐらい知っているわ」って顔をしたかったし、まあまじめに料理したわね。料理教室にも行ってみたけれど、先生が教えるのは、ふだん食べないような豪華な料理ばかりだったから、しばらくすると行く気がなくなっちゃった。

 真友子が好きだったのは、ハンバーグね。ハンバーグを食べているときは、にこにこ顔で。野菜を嫌がるから、ハンバーグにニンジンやピーマンを小さく刻んで入れて食べさせるようにしたんだった。酢豚とか作ったら、ほとんど手を付けないのよね。肉とパイナップルとタマネギを何とか食べるぐらいで、ニンジンやピーマンはどうしても嫌がって、叱りつけると泣きわめくし、「親子ゲンカだな」とお父さんにはあきれられたっけ。

 香奈子が好きだったのは、カレーライス。小学校高学年ぐらいになると、おかわりまでして食べるようになった。ふだんは、どちらかというと食が細い方だったけど。「お母さんのカレーのほうが、給食のカレーよりおいしい。給食のカレーは甘いんだもん」と不満を言っていた。どうも香奈子は辛いものが好きみたいで、蕎麦にも七味をたくさん入れるのよね。大人になってからは、「パンチを効かせたいから」と言って、コショウを自分の料理にだけ振りかけていることもあったわ。

 洋食のおかげで、うちの食卓はずいぶんゴージャスになった。中華ももちろん作ったわ。酢豚でしょう、八宝菜でしょう、ギョウザに春巻き。春巻きは面倒だったわねえ。でもあれ、おいしいのよね。お店で食べるのもおいしいけれど、家のだと野菜もいっぱい入れられるし、お店のほど油っこくない感じになるのがよかった。でももう、あれは作らないわね。子供たちが大きくなったら、とにかく量を作らないといけないので、から揚げやらとんかつやらフライやらにしていった。春巻きは、野菜の形が見えにくいから、子供たちがよけずに食べてくれるという意味でもよかったのよね。

 回想しながらも洋子は、食品棚に目を配る。

 あら、ケール。それからプチベールですって。きれいな野菜ねえ。ルッコラもあるわ。ケールはときどき近所のスーパーでも最近見かけるけれど、プチベールはないし、これ食べてみようかしら。ルッコラとはつか大根も買って。サラダは気楽でいいわね。肉か刺身をいれたらメインになるし。

 いろいろな食材をいっぱい入れるサラダは、RF1のショーウインドーで覚えたのよね。あの店が百貨店の地下にできたときはびっくりしたわ。それまでサラダって、レタスとトマトとキュウリ、キャベツのせん切りとキュウリとトマトなんて組み合わせぐらいしか知らなかった。あ、でも、ポテトサラダとマカロニサラダもあったわね。とにかく、RF1のサラダはきれいだった。ヒジキをサラダに入れるとか、カボチャをマッシュしてポテトサラダみたいにするとか、考えてもみなかったわ。ジーッとショーウインドーを観ているから、お店の人に「お決まりですか」と聞かれて、あわてて離れたこともあった。だって、買うには高いんですもの。組み合わせだけだったら、真似すればいいし、自分で作ったほうが安上がりだもの。

 サラダ用の野菜もずいぶんカラフルになった。ここのスーパーに来ていると、中が赤い大根やら、紫色や白いニンジンやら、赤いレタスやら、珍しいカラフルな野菜が並んでいることがある。大根はねえ、でも煮物にするのが一番おいしいと思うのよね。はつか大根ぐらいかしら、生で食べておいしいのは。あれ、マヨネーズをつけたらおいしいのよね。前にうっかり中が赤い大根を買ってしまって、でも煮たらその赤い色が汁に染み出して、大根も煮物も薄赤い変な色になっちゃったことがあった。それ、「色が変だ」と、お父さんは食べてくれなかったわねえ。1人でせっせと食べていたら、片づけるのに4日もかかっちゃった。

 調味料棚!ここ、楽しいのよね。スパイスが、こんなにたくさん並んでいる。キャラウエイシードにホールカルダモン、シナモンスティックにマジョラム、タイム、クミンシード、サフランまである。名前だけは覚えたけど、こんな食材誰が買うのかしらね。どうやって使ったらいいかもわからないわ。コープさんにもスパイスはあるけど、こんなにたくさんはない。しかもメーカーも3つ4つある。あら、隣に料理の素があるわ。「ヤムウンセン」「ガパオ」「ナムル」「鶏の香草焼き」「トマトのカプレーゼ風」「アンチョビポテト」……食べたことがないような料理もいっぱい。お店で『世界の料理ショー』ね。

 本当に、世の中すっかり変わってしまった。こんなに豊かになっちゃって、でもこういうの豊かっていうのかしら。今の子たちはたくさんの料理に囲まれているけれど、作り方が分からない人も多いんじゃないかしら。レシピ本もたくさん売っているけれど、たくさんありすぎて、どれを選べばいいかわからないし。大きな本屋にいったら、棚の前で目が回りそうだわ。この料理の素のコーナーもそうよね。こんなにいっぱい横文字の料理が並んでいたら、いくら簡単に作れるといったって、どれを選べばいいかわからないじゃないの。選択肢が多過ぎるのよね。おばあちゃんにはついていけないわ。

 無責任にこうやって、並んでいるものを楽しんで観ているだけで十分だわ。あら、ピクルスもあるわ。きれいねえ。こんなにいろいろなピクルス、どうやって食べるのかしら。漬物もいろいろ売っているけれど、家で漬けないのよねえ、今の人はきっと。私もあんまり漬物は作らないけれど。梅干しぐらいかしら。でも、お父さんと2人になってから、あんまり梅干しも食べなくなったわねえ。お弁当を作る機会がなくなってから、だんだん食べなくなって、香奈子なんか子どものお弁当に使わないかと聞いたら「いらない。お弁当のご飯は混ぜご飯でおにぎりにするから」と断られた。混ぜご飯の素みたいなものもあるらしいのよね。あ、ここのコーナーだわ。お寿司の具まである。まあ何でも出来合いのものがあるのにびっくりする。

 そろそろ生鮮食品のコーナーに行きましょう。たくさんの食材をみていたら酔っちゃいそうだわ。もうサラダは、刺身を買ってそれでいいことにしましょう。残った魚は炒めたら明日も使えるし。

 

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