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各種の虐待・マルトリートメントと関連事項(第二期:第2回①)

第2回は、前回少しだけ触れた4つの虐待について、関係のある事柄を紹介し、さらにそこから発展して、「ハラスメント」と「愛」という言葉について触れます。前者は場所と対象者が変わっているに過ぎず虐待と大差ないこと、後者においては自分や「子ども」を理解する際の新たな視点となるはずです。

1.身体的虐待となる大人の行為

「身体的虐待」となり得る大人側の行為は、①ただの暴力と②不可抗力、そして③不可抗力だと思っている暴力の3つに分かれます。大人の意図や信念とは関係ありません。これらすべてに①可能なら避ける、②与えた場合に謝罪をする、③より良い方法を見出すという3つが当然のこととして求められます。

「暴力」は、ストレス反応のひとつです。ストレス反応に「行動化」というものがあります。ストレスをなんらかの「行動」で減少させる試みのうち最も程度が低いのが「暴力」です。身体的な力を他者に向けることで個人が内的な安定を図る試みです。心身共に健全な状態では、基本的に暴力は生まれません。

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行動化以外には「身体化」があり、ストレスが身体症状として現れる場合です。行動化には声に出さないものを含む「言語化」があり、思想に昇華するような高尚なものと下劣な暴言までがあります。他にも「遊戯化」があり、プレイセラピーはこれを利用しています。芸術表現もこれに含むことができます。

「不可抗力」は、致し方なくフィジカルなダメージを相手に与えてしまう場合です。ただし、「体罰」のようにそれを「不可避」だと思い込んでいるものも多くあります。人権を加味する限り、危機的な自傷他害の場面以外に不可抗力として成立する力の行使は無いと考えた方が適切です。

2.人権擁護のための7つの参考事項

①インフォームドコンセント(説明と同意)
医療の現場では、人権擁護の観点から治療の際にインフォームドコンセント(説明と同意)という取り組みを行っています。医療行為(治療)でさえ、充分な説明と合意が無ければ人権侵害になり得ます。対象者の「知る権利」を守ると同時に、行為者の「説明責任」を果たす義務としての行為でもあります。

②インフォームドアセント
そこからさらに発展した考え方として、インフォームドアセント(IA)というものがあります。「自己決定権」も擁護しようという取り組みで、治療に関わる当事者の主体的な参画意識の向上が目指されます。新しい概念ですが、教育や保育など子どもに関わる領域においても望まれる視点だと考えられます。

③「正当性」と「正当化」
ICやIAという観点から、子どもとの関わりにおいて「正当性」と「正当化」を理解し区別することの必要性が浮かび上がります。「子どもの権利」や「成長する心や脳の性質」等を少なくとも知ろうとしながらの関わりには「正当性」があり、それを怠る関わりは「正当化」が多くなる。そう言えるでしょう。

④「知る権利」と「説明責任」のためのアセスメント
また、「知る権利」と「説明責任」を充分に果たすためには、子ども個々の理解力のアセスメントが必須となります。未成年ですので、当然、親の同意も必要ですが、それだけで済ませて良いという理由はどこにもありません。これについては別の観点からも重要事項となりますので、その際にまた触れます。

⑤人権擁護のための取り組みとしての「学び」
「正当性」を確保し、「正当化」を消滅させることを完全に行うことや、子どもの理解力を完璧に「精査」することは、実質不可能ですが、いずれも、関連する領域の知見を得ることで、その精度を上げることができます。つまり、関連領域について学ぶことそのものが人権擁護の取り組みであると言えます。

子どもの権利

⑥「責任」の意味するところ
子どもの権利に伴う「責任」は、当然「大人」が引き受けるということも念頭に置く必要があります。「責任responsibility」は、前後で分ければ「反応するresponse」「力ability」で、大人に求められるのは、暴力等の「ストレス反応」ではなく、子どもの権利を「守るための力のある反応」です。「責任」についても後に触れます。

⑦「子どもの権利」について
「子ども」の権利の詳細は「児童の権利に関する条約」を検索しみてください。ここでは関連する2つのことを押さえるのみとします。1つは、いわゆる「基本的人権」と同様であるということ、もう1つは、法令や条約(ルール)というものは、それがなければ守ることが難しいためにできるということです。

3.生命として、自然なこととして

ある種のクモの雌は出産すると自らを子どもたちの餌とし、ある種のカマキリの雄は出産を控えたメスの食料となるそうです。あらゆる生命が基本的に自然に、次世代を自らよりも優先しているはずです。
子どもが傷つき、あるいは死に、大人が生き残っている限り、私たちは虫以下の存在であると言えます。

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まとめ

今回は、4つの虐待の分類から「身体的虐待」について触れ、関連することとして「ストレス」、そして他に7つの参考事項を紹介しました。

結局のところ、私たち大人には、暴力を振るう者であってもそうでなくても、自らについて考えたり、知らないこと(知識や情報)を得ていくこと(少なくとも知ろうとすること)からしか始めることができません。

私は、暴力に限らず、そして対象が子どもでなくとも、傷つけあいながら暮らしていく姿を、決して人間らしい姿であるとは思えません。

暴力においても、今すぐに止めるということは不可能に思えますし、お気づきのとおり、虐待について考え始めると、戦争や世界平和といったテーマについての「願い」にも繋がっていきます。決して簡単な目標ではありませんが、一歩ずつ進んでいく先にしか到達がないということは、何においても言えることと思えます。

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