愛の臨在に触れることは、今この瞬間にでも可能なのです
「私」はワンネスを恐れている
愛はすぐそこに臨在しているというのに、
天国はすぐそこにあるというのに、
実相はすぐそこにあるというのに、
真理はすぐそこにあるというのに、
それはすぐそこにあるというのに、
なのに、それは遥かどこか遠くにあると信じている、、、
さらには、この世界こそが現実で、ワンネスを幻想だと信じている、、、
私たちはコースを学んでいるにもかかわらず、コースが教えていることなど嘘だと信じているのです。
もっといえば、コースが教えていることをとても恐れています。
というのも、私たちは愛を、天国を、実相を、真理を、それらを幻想としていたいからです。
そして、「私」は存在している、としていたいのです。
愛と対面するなら、「私」は消えます。
実相と対面するなら、「私」は消えます。
真理と対面するなら、「私」は消えます。
ワンネスであるならば、個の「私」などがあり得るわけがありません。
「私」は、じつは、そのことを知っており、それを恐れているのです。
神と一つならば、「私」というものがありません。
「私」というものが、じつは非実在なのだということを明らかにしたくないのです。
今この瞬間も、毎瞬毎瞬、「私」は愛を拒絶しています。
今この瞬間も、毎瞬毎瞬、「私」は天国を拒絶しています。
今この瞬間も、毎瞬毎瞬、「私」は目覚めることを拒絶しています。
それはすぐそこにあるというのに、です。
でも言い換えるなら、それはうれしい知らせでもあります。
というのも、いつのときも、どんなときも、どこにいても、それはいつもすぐそこにあるわけですから。
それは、いつのときもいまここに臨在しています。
そう、その愛の臨在に触れることは、今この瞬間にでも可能なのです。
そして、その愛の臨在に触れていくならば、むしろ、その愛の臨在にもっと触れていきたいと望むようになっていくでしょう。
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