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本当に幸せになりたいのだろうか?
正しい階梯の上に立つこと
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)に興味はあるけれども、学ぶにはなかなか気が進まないとか、コースを学んではいるのだけれどもなかなか実践していこうという気にはなれないということはよくあることです。
もしそのように感じているのであるならば、
自分は、本当に幸せになりたいのだろうか?
と、自らの内側に自問してみる必要があります。
もし、本当に幸せになりたいと望んでいるのなら、喜んでコース(奇跡のコース/奇跡講座)を学び、喜んでコースの教えに従って実践しているはずだからです。
「コースは確実に幸せに導いてくれる道である」とコースのイエスは述べているわけです。
でも、それでもコースを学ぼうとしない、実践しようとしないのは、どういうことなのでしょう?
ようするに、自分は幸せになることを拒否しているということです。
じつは、私たちは誰もがそうでありながら、そのことは自覚されていないのです。
コースでは、それ(自覚されていないこと)が問題なのだ、と教えてくれています。
自分の内側に正直になって観察していくならば、喜んでコースを学んでもいなければ、コースが教える通りにちゃんと実践もしていないということが自覚されます。
なぜそうなのか?
そのことについて私たちはコースを通して理論的(形而上学的)に学んでいく必要があります。
コースの教えからいうなら、私たちは自覚していない無意識の部分で、自らが「幸せになんかなりたくないし、幸せにならない」と決断しているということです。
自分で自ら、実相(天国)を、つまり、幸せを拒絶しているのです。
本来は、今この時も天国にいるにもかかわらず、です。
私たちは、わざわざ天国を拒絶して、この世界の夢を見続ているのだということです。
肉眼で見ているこの世界を知覚しているのが、そういうことなのです。
私たちはその真実を自分で忘れているのです。
そして、絶対に見つかることのないこの世界の中で、幸せを探し続けているということです。
私たちは、その真実をまったく忘れてしまっています。
そして、この世界の中に幸せがあると信じ込んでいます。
疑問すら抱くこともありません。
それというのも、無意識の心においては幸せになどなりたくないからです。
つまり、「自分は神から離れておらず、今も神と一つである」ということを思い出したくないのです。
そのことは無意識に隠されたままになっています。
それゆえ、コースを学んでいる私たちは、その無意識の心の部分について明らかにしていくことが求められているわけです。
そのためには、コースが教えていることを知的レベルで理解していくことはもちろんのこと、実践を通して自覚/認識していく必要があるのです。
自分たちの内側には、幸せ、平安を拒絶している自分がいる、つまり、コースの学びの階梯を上りたくない自分(自我)がいるということです。
その自分(自我)を認識していくことがとても重要なのだということです。
学びの階梯をどのように上っていくのか?
そのことについてワプニック博士は、以下のように教えてくれています。
この世界は、数かぎりない選択肢を提供しますが、どれ一つうまくいきません。それに気づくことが、あなたを正しい階梯の上に立たせます。それに気づくことが、自我の階梯からあなたを引き離します。自我の階梯は、あなたを上らせようとしているかに見えますが、あなたはいつも同じ段の上にいます。
あなたは階梯を上ろうとして何度も懸命に努力しますが、それでも、いつまでたっても最下段にとどまります。なぜなら、この世界の階梯、自我による階梯は、あなたをどこにも連れて行かないからです。ですから、そうした階梯自体がまるごと間違ったものだと認識することによって、あなたは正しい階梯の上に立つのです。そして、そこからは、すうっとのぼり始めることができます。
学びの階梯を上っていくためには、「正しい階梯の上に立つしかない」と、ワプニック博士も述べています。
そのためには、学びの階梯の一番下に留まろうとする自分(自我)を認識していく必要があるということです。
自我は、幸せにならない、と決めていて、その自我と同一化してしまっている私たちは、その自分(自我)を自覚していかないかぎり、認識していかないかぎり、私たちは、正しい階梯の上に立つこともできなければ、その階梯を上っていくこともできないのです。
ですから、まずは、幸せにはなりたくない自分を認識していきましょう。
もっといえば、自分で苦しみを選択しているということを認め、受け入れていくということです。
そこからが真の幸せへの第一歩となるのだということです。
参照記事:JACIMサイト別館 「赦すけど忘れない」(第8回)
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