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【人生のほんの1日】20221004 ピアノ発表会に向けての朝オンラインレッスンとピグマリオン効果

以前の記事で、現在師事しているピアノの先生がとても指導熱心で私のピアノライフの励みになっているということを書きました。

今週末に私が所属するピアノ同好会の発表会があるのですが、先生からのありがたいオファーで、今週は毎朝30分程度 ラヴェル ソナチネ 第3楽章の心配箇所をピンポイントでリモートレッスンしていただいています(今日で2日め)。

ちなみに9月末頃の私の演奏はこちら😊

昨日・今日のリモートレッスンでは、主に第3楽章の最後の1ページ、ラストに向けての輝かしい疾走のようなパートを練習しました。

ラスト4段は加速もしつつ強弱を細かくコントロールしながら段々と盛り上げ、花火のように輝かしいアルペジオからの和音で全曲の幕を閉じるのですが、加速&テンション上げながら、かつ正確に弾くのがまだ難しく頑張りどころ😅

3拍子の中に2拍子でカウントを取るような変拍子的な箇所があったり、右手の2声部でメロディとそれ以外の弾き分けがあったりして、「ただ音を鳴らす」先の表現がこれまた奥深いです。

先生がおっしゃる情報量に私の脳がついていけず、ちょっと頭がグルグルしてしまいそうでしたが、何度も繰り返し見ていただき、少しずつ音楽的に表現するための動作感覚が身体に浸透してきているように思います。

第1楽章も、出だしとか技術的に難しい展開部など万全ではないのですが、発表会に向けては期間も限られるので、ギリギリまでできることをしていく予定です。
発表会もひとつの通過点でしかないので、その時点でできるベストを尽くすと。

で、私の場合、大人からピアノを始めたこともあり、レッスン時の即時対応が苦手だったりします。たとえば今日レッスンした第3楽章のラストなども、レッスン中はいろいろと細かい表現の指示をたくさんいただくため、情報量も多くてその場では脳内が情報処理しきれず指も対応できなくて、いつも平気で弾いてる箇所でもいったん結構グチャグチャになってしまいがちです。

今日改めて気づいたのですが、今習っている先生は、少しでも良くなっていれば、ノリノリで「すごく良くなっていますよ!」とか「とても上手でした!」と「少し盛った」ポジティブフィードバックをくださるんですね。これは何気に今までの先生とはちょっとしたことなんだけど大きな違いなのかなと思いました。

意外と先生の「少し盛った」ポジティブ発言、少し誇張しているけど嘘ではないので生徒としてもお世辞ではなく事実として受け入れられるし、かつ「素直にうれしい」し、「先生を喜ばせる演奏ができている」自信にもなるし、なにより「より頑張れる」意志力が湧きますね。心の持ち様がとても前向きになります。

ピグマリオン効果という心理学用語をご存知でしょうか。
「他者からの期待を受けることで学習や作業などの成果が上がる効果 」なのですが、先生のレッスン中の発話や指導方法の中にはこの効果が多分に盛り込まれているように感じました。「褒めて伸ばす」に近い感覚ですね。

先生は、コンクール上位入賞者もたくさん輩出してきた指導者ですが、ピアノの技術や表現の指導力だけでなく、生徒の能力を引き出し伸ばす「ことばがけ」によるコーチング力も素晴らしいのだと思いました。

ちなみにピグマリオン効果とは逆説的な概念にゴーレム効果という用語があります。これは「周囲から期待されていない人物の成績や成果が平均値を下回る現象」で負のピグマリオン効果のようなことですが、私の体感としては、私が最初に習ったピアノの先生の発話傾向には結構ゴーレム効果があるように感じました。「先生が言った通りの悪い結果になる」みたいな。

最初の先生とのいきさつについては別記事でも書いているのでご参照ください。

最初の先生は、悪い点・できていない点を指摘してくださるのはありがたいのですが、その発話が「できてないんですよねー」とか「拍子感がおかしいんですよねー」とか、伝え方として「ネガティブフィードバック」なんですよね。

私の場合は、先生からのそれらの言葉が逆に「できないことへの自覚」という気づきになってしまい、私の上達のためには正直合っていないのかなと思いました。

もちろん、最初の先生の指導法はごくごく普通の指導だと思うし、「上質な域の演奏でもないのにむやみに褒めるもんじゃない」と最初の先生のような発話傾向で指導する先生は、とても多いのではないかと思います。

ただ、人の心って悪いことの方により注意が向いて記憶に残ってしまう「ネガティビティバイアス」がはたらきますから、同じことを伝えるのであれば、やはりポジティブな言葉に置き換えて相手に伝える方がより良い結果が得られるのではないかなと改めて感じられました。

現在の先生は、私が習い始めて6年間で3人目の先生です。最初の先生は前述のような感じで、ちょっと私とは「言語感覚が違う」点で「いい先生なんだけど私には合わない」と思い移籍することに。次にピアニスト志望の生徒を育てる英才教育系の先生につきました。

2人めの先生は、私に「まだまだピアノが上手になれる」という意識改革を起こしてくれました。しかし、この先生とはいろいろ金銭面のトラブルとか道徳的・社会通念的な価値観が合わず離脱(この先生もかなりクセ強だったので機会あったら別記事で書こうと思います)。

そんな紆余曲折を経て現在の先生と出会いました。

いろいろありましたが、最初の2人の先生がいなかったら現在の先生と出会うこともなかったわけですから、人生ってまさに糾える縄のようですよね。

内心 納得がいっていないまま最初の先生に習い続けていても現在の先生と出会うことはなく、その場合、私は現在手がけているような楽曲を弾くことはできていなかったように思います。

「自分が身を置く環境をより良くしていくために常にアンテナを張って行動する」ことで事態は好転していくのでしょうね。



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