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原始人だってメロンソーダがスキ!

2020年からリモートワークになり、2023年の現在、月の60%程度がリモートワークになっている。
なお、コロナ以前はオフィス勤務であり その時はペットボトルのお茶をコンビニで買ってオフィスに持ち込んでいた。
そんなコロナ禍のリモートワーク環境で変わったことは幾つかあるが、飲み物の趣向が変わった事は大きい。
普段の仕事のお供の水分補給としていろんなものを試してきた。
この頃は断酒をした頃でもあり、なんとか 飲み物で生活を立て直そうと頑張っていた頃でもある(断酒についてはいずれ記事にする予定)

■ドリップコーヒー

まずは、ドリップコーヒーにこだわった。コロナ禍で世間が騒ぎになっていたこともあり、なんとなく浮足立っていた頃だ。
スーパーでいつもは買わなかったドリップコーヒーを買ってみた。
コーヒーの良い香りとともに仕事をするなんてできるビジネスパーソンっぽい。
ただ、面倒になってきてやめた。美味しいのだが もっと手軽に飲みたいと思って結局 辞めることになった。
なお、私は職場にスターバックスのコーヒーを持ってくるタイプではない。

■粉末の緑茶

緑茶の粉末タイプやティーパックタイプのものを試した。
実は私は急須を持っていない。
茶こしも持っていない。茶葉を捨てるのが面倒だからだ。
緑茶はほのかに甘くて美味しい。
粉末であろうと、ティーパックであろうと緑茶にはかわりはなく、味に違いはあるがどちらもそれなりの良さがある。
ただ、人間は飽きてくる生き物であり もう少し他にも試してみたくなるのである。

■ティーパックの紅茶

最初は大手メーカーのものを買っていた。ハーブティーなんかも良かった。
そのうち普通の紅茶で、なおかつお買い得感があるものを使うようになる。
なお、私は湯呑も持っていない。
ステンレスボトルの保温水筒を普段遣いしている。これは便利だ。
よって、水筒にティーパックを放り込みお湯を注ぐと紅茶が出来上がる。
ただ、ずっと浸したままにすると、紅茶が渋くなるので 自分の好みになったら即捨てる。
なお、ティーパックは2回めは使わない。
勿体ないと2回めを使っていた時期はあったものの、一人暮らしではそれほど高速に消費することができず 逆に余るので1回づつ使い捨てることになった。
それでも大量に買った紅茶が余ってしまった。飽きてしまったのだ。
なお、ステンレスボトルでも茶渋はつくので 定期的に漂白剤を使って掃除をすることが必要だと知った。

■安い粉末コーヒー
ティーパックの紅茶と来たら、次はコーヒーだ。
このあたりから少しづつ「カフェインの摂取量」みたいなことを意識するようになる。
夜に寝付きが悪いということや 結構イライラしやすいということを感じるようになってきた。
なおこの頃に 断酒をし始めた頃ということもあるだろう。
特に粉コーヒーをいたずらで濃いめにして飲んでいたら、それが癖になってきた濃ゆいコーヒーがないと 一日が始まらないなんて、キャラ設定としてありそうだなと考えてみたが、実際に一日が始まらないのは 色々と支障が出てきたので真剣に対策を考えるようになった。
この頃は ウクライナvsロシア戦争が始まり 段々と物価高が始まった頃であった。
結構いい選択肢だった「カフェインレスの粉コーヒー」は高いという理由で買い控えるようになった。そして、コーヒーも諦めるようになった。

■ティーパックのルイボスティー

カフェインレスで、お湯に味がついていればいい、という非常に志(こころざし)の低い視点で、お茶を探していたところルイボスティーのティーパックを見つける。
ルイボスティーは独特の風味があった。なんとなくオーガニックな飲み物、木の根っこのような不思議な風味がした。アフリカのサバンナのようなイメージ。
最初は楽しんで飲んでいたのだが ルイボスのサバンナ感にだんだんと飽きてきた。

■麦茶

日本の夏には麦茶だ。しかし、別に夏に限ったものでもあるまい、ということで麦茶を買うようになった。麦茶はなぜか大量のパックで 大量製造が可能になっている。一つのパックで2リットル程度作ることができる。
なお、私はヤカンを持っていない。
だから水出し麦茶を作って飲むようになった。
水出し麦茶はなんとなく、優しい味であり 逆に言うと麦茶の風味がついた水という感じであった。
そこで考えたのが お湯をステンレス水筒に入れて、そこに麦茶のパックを浸して麦茶を作るという技だ。
これはすごく早く麦茶が作れた。2リットル用の麦茶パックを500ミリのお湯で作るのだから 即 濃ゆい麦茶が作られる。
最初は 一つの麦茶パックを4回に分けて使いまわしていたが 麦茶パックのストックが減らないので 次第に1回使ったら、そのままパックは捨てるようになった
というのも、一度使った 麦茶パックはちょっとみすぼらし 台所の片隅においておくと実家にいるような感じがするのだ。
そして、「このパックは何回目だっけ?」と記憶しなければならないのもちょっと不便だった。
しばらくは 濃ゆい香ばしい麦茶を飲んでいた。なお、こういう飲み方をしていると 茶渋(ちゃしぶ)が 水筒や歯につくようになって気になる

■豆乳

豆乳はおまけ程度に飲んでいた。成分調整豆乳というやつだ。
仕事でイライラすると カップに注いで一気に飲み下す。するとイライラがスーッと落ち着く気がする
これがイソフラボンの効果かぁ…とほっこりしていた。
1日の途中で イライラすると豆乳を飲む。
冬はレンチンして ココアやコーヒーなんかを混ぜてもいい。
1ヶ月程度そんな事を続けていただろうか。
ふと成分表を見たところ「砂糖」が入っていることに驚いた。
実のところ私は どちらかと言うと砂糖についてゆるく砂糖断ちをしている。
「砂糖の甘くない話」を初め、色んなところで砂糖の影響について耳にするようになり、この頃には砂糖の中毒性も身にしみてよく理解していたのだ。
(以前に スーパーの甘い菓子パンを貪(むさぼ)るように食べていた頃があったのだが、それはまた別のときに話すとしよう)
体に良いはずの豆乳を飲んでいたら 砂糖も摂取していたことになっていることに驚き、「成分調整(成調)というのはこういうことか」とショックを受ける。
それならば 成分【無】調整の豆乳にすればいいじゃないかと スーパーで成分【無】調整の豆乳を買う。なぜだか豆乳のコーナーでは端に追いやられていた。健康にいい物がコーナーの端に追いやられているなんて…と思ったが、家に帰って納得した。
成分【無】調整の豆乳は美味しくないのだ。
なぜ、成分を調整した豆乳があるのか?無調整では美味しくないので売れないからだ。
それならば 売れるには成分を調整すればいいじゃない。そのためには砂糖を使えばいいじゃない…ということなのだ。
確かに成分調整した豆乳は美味しい。ただ、砂糖が使われている。
知らないうちに 砂糖の呪縛にとらわれていたのだ。
そんな事があり、豆乳はもう飲んでいない。

別に砂糖を忌避する必要はないが 成分調整済みの豆乳を飲んでイソフラボンがイライラを鎮めていると思っていが、単に砂糖が欠乏して 微量の砂糖を摂取することでイライラが収まっていただけだったのだ。

もう、成分調整済みの豆乳を飲みたいという気は起きない。

■白湯

なんだか、もう色々と面倒になった
茶渋対策は 水筒にも必要だし、歯にも着色するのがだんだんわかってきた。
歯のホワイトニング(これもまた別の機会に書く)をしているのに濃ゆいコーヒーや濃ゆい麦茶を飲んでいるのでは本末転倒だと感じるようになった。
そして、何よりも 睡眠が大切なのに カフェインを摂っていると夜の寝付きが悪いというのも 本末転倒だと感じるようになった。
つまり、睡眠を犠牲にしてまで飲むべきものではないと (個人的には)判断したのだ。
人によっては カフェインを取らないと落ち着かなくて眠ることができないという人もいるだろう。それはそれで良いと思う。

結局 私がたどり着いたのは白湯だった。
湯沸かしポットでお湯を作ってそれを ステンレス水筒に入れる。
たまに、オフィスに出勤するときもお湯を入れている。
コンビニでお茶を買うこともしない(これは節約の為でもあるが)。

白湯を常飲すると カフェインに敏感になってしまう事に気づいた。
ファミレス(私は 考える場所としてファミレスをよく使う)のドリンクバーなどで午前中に コーヒーを2杯飲むだけで その夜はやや寝付きが悪くなる。23時頃に大体眠るのだが、夜中の1-2時まで寝付けないことが多くなる。
なお、ファミレスの紅茶でも やや寝付きが悪くなるので最近は グラスに半分だけ紅茶を注ぎ半分は水を入れて薄めて飲むことが多い。

白湯なら茶渋が付く心配もない。ティーパックなどのゴミも出ない。
お財布にも優しいし、スーパーに行ったときに 買い物を悩む必要はなくなる。
あと、口臭も気にする必要がなくなったというのも ちょっといい。
緑茶でもやはり舌の奥に不純物が付着するので ちょっと口臭は気になるものだ。
"緑茶にはカテキンがあって、殺菌作用があるから 口臭にも良い"とは聞いていたのだが、実際に白湯を飲むようになったところ、「口臭を気にするなら白湯の方がいいかもしれない」と感じている。

■最後に


個人的には「私は ◯◯がないとハッピーになれない(もしくは普通の生活が送れない)」という条件をなるべく 捨てることが私の人生には必要なのではないかと思っている。

・カフェインが無いと落ち着かない
・酒がないと人生楽しくない
・毎日 あのオヤツが食べられないとイライラする
・コレクションが手元にないと満足できない
・最新のグラフィックボード出ないとゲームが楽しくない
・車や持ち家がないと一人前として認めてもらえない気がする …など

上記は 自分の体が単に依存しているという現象もあるし、考え方の偏りもあるだろう。
しかし、いろんなものに縛られない生き方を目指したほうが 私の場合は幸福になれるようだ、と気づき始めてきた。
「物(もの)」に縛られる生き方を極力手放すようにしたいと考えている。
なお、自分の体もまた「物」だと考えている。だから 自分の体が依存するような食べ物は 美味しくても なるべく摂らないようにしている。
スナック菓子とか甘い菓子パンとかお酒など…。

とはいえ、ファミレスに行くと 時には毒々しく不健康な緑色の甘いメロンソーダやコーラを飲んで、脳内にドーパミンが分泌されるのを楽しんだりする
健康に悪いものは 大体 美味しいのだ。
嗜好品はほどほどに楽しむのがよかろう、ということだと思う。


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