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読むのはこれ、愛なんだな

「ひとが書いた文章を読む」体験



きのう、ある人のブログを最初から最後まで通しで読み終えた。
同じ人が書いた15年分の文章を一気に読むのはちょっと特別な体験で、私はそのことを自分のブログで記事にした。

本人にも伝えたら「嬉しい」と言ってもらえたのでほっとした。
流石になにも考えずに報告したわけではなくて、相手がそういうのを喜んでくれるタイプだとちょっとわかってて全部読んだところがある。

少し時間を置いたら自分が揺さぶられてきた


で、少し時間が経ったらなんだか猛烈に寂しくなってきた。
なんだこれ。
寂しいな。
誰かー。誰かいないのか。各種SNSのログが増えるのを待つがこういう時に限って増えて行かないような気すらする。みんなどこに行っちゃったの?なんか読ませてくれ。あと私の書いたものも読んでくれ。私がやったみたいに、私の書いたものを次々「次は?もいっちょ次は?」って読んでくれないかな……

急に思い出した、漫画の一節

好きな桑田乃梨子先生の漫画「男の華園」で、創作の原動力が寂しさだって語るシーンがあったな。とそこを読み返す。

「おまえは寂しがりやのあまえっこだから言ってんだ!」
「あーうん オレ だからなんか書くんだよな」
「?」
「……だから 自分の考えてること知ってんのが自分だけじゃ寂しいから
人に見せることでちょっと紛らわしてる
それで根本的な寂しさが紛れるわけじゃなくても
『オレはこんな風に思うしこういうものが好きなんだ』ってことを肯定してくれる人がちょっとでもいるとホッとして
それって友達とかと直接話すのとは微妙に違っててさ
拒絶されたり否定されることももちろんあるけど」

桑田乃梨子「男の華園」文庫版2巻84ページより

そのシーンは昔から好きなんだけど、今日はより刺さって、私の気持ちを説明してくれるような気がした。

ああ、「読む」ってひとつの「愛」の形なんだなと。
私はいつもそれが欲しいんだ。

読んだよ、って伝わること

私はあんまり感想や「ふぁぼ」を欲しがらないタイプで、別になくても誰か読んでるだろうし、書きたいから書いているわけで反応がないからと言って次を書かないということもない。
だから読んで欲しいと積極的に思ってはいないと思い込んでたけど……

読むことは愛で、私はそれを誰かに与えたいと思って、そしてそれは「私が欲しいもの」なんだと気づいてしまった。

この先誰かが私の作品や文章を読んでくれたことに対する気持ちがより豊かなものになりそうな予感がする。時はきたのだ、さあみんな読んでくれ。
今まで書いたものでもいいし、今後はもっと読まれるように努力するよ。私は寂しいから書くよ。自分の考えてること知ってるのが自分だけだなんて寂しいからさ。

読んで欲しいものを並べておくね

まず無料で公開してるものから。無料だし読んでね。無料は読まないとだよ。有料のは買ったら積んでてもいいよ……

noteに書いた記事。比較的読んでもらうつもりが強い、自分の体験や内面の記事。

ショートショート。これも読まれると嬉しいシリーズ。最近あんまりかけていないけど……

サイトの日記は、2001年からログがあるし、毎日のように書いてる期間も多いので正直読める人いないと思うので無理しなくていいです。

聴くの大変だと思うけど、しゃべってる系の動画も見られると嬉しい。

https://twilog.togetter.com/AchiFujimura/allasc

Twilogで古いほう(2009年)からTwitter見るのも楽しい。
通読してみる? 2万ツイート近いけど。

有料の作品ですが……読まれるとむちゃくちゃうれしいやつ


ハトをテーマにしているけど、日々考えていることや私の脳内が割とぶち込まれた500文字の掌編になっているので読んで欲しい。

キャラクターものでファンタジーだし、2003年~2007年の作品だけど私の好きなものを詰め込んだので読んで欲しい。新作も書く気はあるよ……

最近の作品だと「ぞんびぶんぐてん」読まれるととてもうれしい。

「夜はとうとうわたしのものに」も、好きなものや世界をちょっと表現できたと思う。


また書くからね!

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