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日光の中禅寺湖畔で京極堂新刊『鵼の碑』を読む
このnoteは『鵼の碑』の登場地名や登場人物の行動を一部引用しているので、ネタバレ絶対嫌!って人はご注意ください
京極夏彦の百鬼夜行シリーズ……わたしは京極堂と呼んでいる……の、17年ぶりの最新刊『鵺の碑』は日光が舞台だった。
わたしは豪く喜んだ。理由は簡単で栃木県民だからである。我が県に京極堂たちが訪れていたなんて、とってもロマンチックじゃないか。
東京、神奈川、千葉、静岡、長野の皆さまに置かれましては事前にこんなワクワクを体験していたなんて羨ましすぎる。
その上、日光である。どうやら男体山をはじめとした日光連山の山岳信仰がモチーフのようで、それも胸をときめかす一因だった。
わたしは栃木県民といっても代々宇都宮で、日光に知り合いは多いけれども親戚がいるわけではない。隣人ぐらいの距離感である。
しかし、男体山は祖父が愛した山だった。戒名に『西の山を望む者』とつけるぐらい、宇都宮から見て西に位置する男体山が好きだった。
その上、祖父は京極堂たちと同世代。なんせ山登りが趣味だったから昭和29年の2月に男体山に行っている可能性は全然あった。
なんとも浪漫溢れる話ではないか……!
こうなったら全力で『鵺の碑』を楽しみたい……
そうだ、日光に行こう。
中禅寺金谷ホテルに泊まろう
冬の日光で15時から宿に入り、それ以降はずっと本を読んでいる…………
なんとも贅沢な話じゃないか。日光は宇都宮から1時間で行ける距離だった。そんな贅沢なことをしても良い距離感だ。
しかも、わたしは今年で36歳。昭和29年の京極堂たちと同じ年齢なのだった。今後も新刊は出るだろう。しかし、地元を舞台にしてちょうど年齢も同じタイミングで、というのは二度とない。
それならいっそ、京極堂たちと同じような宿に泊まりたい……と思ったものの、彼らが泊まるのは日光榎木津ホテルなのだった。主要登場人物の兄が経営している架空のホテルである。
架空とはいえど……似たようなホテルはあるはずだ。
まず、民宿でも旅館でもなくホテルである。しかも高級ホテルで、戦後まもなく建ったもの。
日光周辺はリッツカールトンだの星野リゾートだの、高級ホテルがゴロゴロしてるがほとんどが令和になってから建てられたもので、古くからある高級ホテルは一個しかない。
日光金谷ホテル……
『美の巨人たち』にも特集されたことのある歴史的なホテルである。明治時代までさかのぼれる、日本で初めて建ったホテルなのだった。
いやいや、古すぎる。戦後まもなくに建ったホテルが良いのだ。はぁ……架空のホテルと同じ条件の場所なんてそうそうあるわけないか……
いや……金谷ホテルの姉妹店は……昭和に建てられたはずだ。戦後まもなくとはいかないが、一番年代が近い……
その名も、中禅寺金谷ホテル!!
いろは坂を上った先の奥日光にある景勝、中禅寺湖のほとり、中禅寺温泉で休憩しつつ京極堂を読むのだ。日光榎木津ホテルは日光の何処にあるのかは新刊未読の今よく知れなかったが、『百鬼夜行・陽』の記述を見るに奥日光である可能性もあった。
こんなにもピッタリな場所があろうか。なんせ、中禅寺やし……
駄洒落じゃねぇか……
即聖地巡礼!:憾満ヶ淵
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地元を出発して1時間、大谷川のほとりに居た。
二社一寺の駐車場に停め、住宅街を抜けて大谷川へ。
神橋の近くに停めればよかったのに輪王寺近くに停めたせいで坂を下ることになってしまった。帰りは地獄を見るだろうな……
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二社一寺を無視してどこに行くのかというと、憾満ヶ淵という景勝地だった。
『鵼の碑』を日光で読むという趣旨だけれど1日で読み切れるわけもない。そこで、事前に半分ぐらい読んだ状態で出発。
天気がいい1日目のうちに出て来た日光のスポットを回っていこうという魂胆である。
最序盤の関口くんの行動をなぞっていくぞーー!
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公園を抜けてしばらく歩くと年季の入った寺の入り口が現れた。
月曜日の午前中、ここまでの道のりですれ違ったのは住民のおばちゃんたちと外国人の男性一人だけだった。
二社一寺の方はいっぱい人がいたのにここはとっても静かである。知名度がそんなに高くないのだろう。わたしだって『鵼の碑』を読むまで知らなかった。
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『鵼の碑』は憾満ヶ淵で戯曲家の久住が、地蔵を数えている関口巽に出会うところから始まる。この地蔵は化け地蔵と言って、数えるたびに数が変わるらしい。
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地蔵は苔むして朽ちているものもある。首がないものもあった。
これは、明治にあった鉄砲水のせいである。寺の入り口を潜って来たけど、お堂は倉庫のようなものしかない。寺もまた流されてしまったのだった…………というのは『鵼の碑』に全部書いてあったことで、きっちりガイドブックとして機能している。
便利〜
首なし地蔵がずらっと並ぶ光景は不気味なようだけど、鉄砲水という理由を知ると途端に怖く無くなって、刻まれた歴史を感じるばかりだった。
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憾満ヶ淵はこの岩の上に不動明王の幻影が見えるので梵字でカンマン(不動明王)を彫ったということだけど、長い時代によって……見えるような……見えないような……
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淵そのものもとっても綺麗ですねぇ
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ちょうど昼になったので飯を食おう。憾満ヶ淵から去ったならその後に食うのは蕎麦しかない。
なぜなら関口くんが憾満ヶ淵から立ち去った後に寄ったのが蕎麦屋だからだ!
輪王寺の宝物殿で和書を見る
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じゃあ次は京極堂の行動をなぞろうかな……と思ったけど輪王寺に缶詰になって古文書鑑定してるだけだったので輪王寺に行くしかない。
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三仏は過去に幾度も見ていて、改築前も見たし改築中も見たし改築後も見た。
せっかくだから輪王寺で見たことないとこ行こうかな、と思いうろうろしたところ……
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宝物殿があったのでここに決定!古文書や和書のひとつでもあればそれで充分だ!
宝物殿だけなら中庭とセットで300円で見られる。内部は撮影禁止だったので写真はないんだけど、徳川家全代の肖像画があったり、奈良時代の仏像があったりとなかなかの見物であった。
巻物もあったし、わずかながら和書もあったので今回の趣旨を満たすこともできた。
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庭も美しく、紅葉の時期にまた来たくなった。
まぁ激混みでしょうけども……
日光榎木津ホテルはどこにあるのか?
さて、午後になってホテルのチェックイン時間も差し迫ってきたのでそろそろいろは坂を登らなければならない。
『鵼の碑』半分まででは、話の上では様々な神社仏閣が立ち上れど、実際に登場人物が出向いたところはそんなに数は多くない。日光榎木津ホテルのような架空の場所を除くと、特定できるのは割とこんなモノだった。あとは華厳の滝ぐらいかな……
それにしても、日光榎木津ホテルはどこにあるのだろう?
輪王寺まで徒歩25分ぐらいの距離で、憾満ヶ淵にもフラッと行ける距離の、外見洋風の中身和風なホテルとなると……
やはり日光金谷ホテルだよな……
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日光金谷ホテルは過去に(県民割で)泊まったことがあるので写真があるのだけど、このようにモロに外見洋風の、中身和風である。
すごく見事な建築なのでぜひ一度は泊まってみて欲しい!かっこいいよ!
日光榎木津ホテルはなんか滑稽な和洋折衷らしいけど……
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また、位置に関しては金谷ホテルから輪王寺までは徒歩13分ほどだそうだから、もうちょっと憾満ヶ淵方面に寄ったところにあるのかな……
何を本気で検証してんねん。
金谷ホテルには数々の著名人が泊まっていて、アインシュタインの宿帳なんかを150周年記念で公開中ですの。
いろは坂を登って昭和の道を知る
いろは坂を登って奥日光エリアに行こう。
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奥日光に行くには、二社一寺のメイン街道を抜けて清滝まで行き、その先の大谷川沿いの道をしばらく走ると現れる第二いろは坂を登っていく。
いろは坂というとユーロビートばっちばちの公道限界バトル漫画が呼び起こされるが、そんなことができるようになったのは高度経済成長の後で、昭和29年にはこの第二いろは坂さえまだなかった。清滝の先はもう山だったのですな。
今は降り専用である第一いろは坂の元となった道が出来たのは大正時代だけど、整備されていろは坂と命名されたのは昭和29年の10月だそうな。
狭い道を対面で走るからそれはそれは酷道だったそうで、いやぁ……走りたくな〜い!
でも、今は上りと下りが分かれているので安全に通行することができる。ありがとう日本道路公団。
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いろは坂の途中にはロープウェイで有名な明智平があって、男体山を眺められる。
今回はロープウェイで登らなかったけど以前登ったことがあって…………
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男体山や、中禅寺湖と華厳の滝を一望。
晴れた日は絶景なので絶対登ろう☀️
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裏側では町から明智平までをかつて繋いだ、ロープウェイの遺構を確認することができた。
東京からは浅草〜東武日光駅で今も現役。JRより東武線の方が東京から行くにあたってはアクセスサイコーなんですね。
昭和初期における日光内の交通事情が知れて興味深い。なんせ、山だから移動方法は限られていたのですな〜今だって車両を持ってないと自由気ままには移動出来ないしね……
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いろは坂を登り切ると目の前には中禅寺湖。
この湖はふつうに栃木におけるアウトドアのメッカでして、県を誇るアウトドアショップWILD-1の宇都宮駅東店限定シェラカップは中禅寺湖となっております。
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あれ、中禅寺湖だと思ってたけどもしかして鬼怒川か……?日光連山だから今回の趣旨的にはええか……
昨今のキャンプブームでわたしもキャンプデビューをしたのだけど、結局は中禅寺湖ほとりにある菖蒲が浜キャンプ場が1番良い……と毎年通いつめております。
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夏季の朝の6時までに起きると見られる湖畔上にできる雲が好きでなぁ……
中禅寺はヌクモリティ
んで、中禅寺湖には何度も来ているのだけど立木観音……つまり中禅寺には行ったことは一度もなかった。
いろは坂登って中禅寺湖まで来ると、それでヘトヘトでまぁ、いいか……ってなっちゃうんだよな。今回は趣旨が趣旨だけに絶対行くぞ!!って思ったので入る。
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拝観料は500円なり。
二社一寺と言われる輪王寺、二荒山神社、東照宮は平日の月曜日でも人がいっぱい居たけれど、奥日光は静かなものである。
こと、拝観料が掛かる中禅寺境内となると……見学者はわたしだけであった!
見た目以上に境内は広い。
歩くと…………
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願いが叶う鐘撞……
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身代わりの瘤……
なんか、こう……イロモノが並ぶ。
日光で1番古い、日光山の開祖である勝道上人が建立したという寺だけれどなんかとっ散らかっている。見せ物小屋のような風情さえある。
まるで地方のゆるい寺のような……いや、地方の寺なんだけど……
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さて、立木観音を見に行こう。
いわく、勝道上人が桂の木を一本削りして千手観音菩薩を掘ったという。すると1250年前の木像になるわけでめちゃくちゃ古い。
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立木観音の入り口はこちら。U字工事のポスターが眩しいぜ……(2023年9月に来たらしい)
本堂内は撮影禁止なので画像はないが、立木観音はそれはもうすごかった。
千手観音と聞いていたが実際は十一面千手観音菩薩で、頭も腕もいっぱいなのだった。広く延ばされた千の腕は、桂木一本彫だと思うとどれだけの巨木だったのか……と想像を含まらせる。
が、実際は千手の部分は合木らしい。伝承とはそんなものである。
同時に興味深いのが堂内のちぐはくさというか……立木観音の裏側には階段があって上に登れるのだが、それがリノリウム張りなのである。
風情を感じる木造建築から急に始まるリノリウム張りの階段。新しくはない、古ぼけている。割と高い距離を登るとそこは五大堂であった。
天井には「瑞祥龍」がおり、五大明王像が安置されている。
なんか……
なんだここは……
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そこから回廊に出ると、絶景であった。
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おみくじ引いたら大吉だった!
下に降りると寺務職さんに挨拶されたので話を聞くと、五大堂は昭和初期に建てられたものだそうで割と新めの建築だった。だからリノリウム張りだったんですな。
江戸時代の建築も残っているけど……と指さされた部分は建物の脚が腐りかけていて、補強がされていた。木造の建築物は、自然厳しい日光の山中では長くもたないのだ。
中禅寺に感じたチグハグな印象は、改修をちょこちょこ繰り返した結果なのだろう。
思い返せば輪王寺の三仏だって改築してたし、陽明門も三猿も改築されて色やお顔が変わったと話題になっていた。
木製である日本の建築は定期的に建て替えるのが前提なんだなぁ……
午後過ぎ、中禅寺の境内はのんびりしていてしばらく寺務職さんとお話していた。ここは良い……二社一寺のように……お守りを売りつけられないから……
その後『鵼の碑』を読み進めたら作中で「中禅寺さんは中禅寺となんか関係あるんですか?」聞かれた中禅寺秋彦は「系譜に興味ないし知らん」と答えていた。
関係ないのかあ〜
※追記
と、思ったら『怪と幽』15号湯の怪にて、京極夏彦といくワクワク日光聖地巡礼ツアーが掲載、中禅寺秋彦の名前の由来は“中禅寺に秋にきたことがあるから”とのこと。
物語上では関係なくとも、やっぱり由来はここ中禅寺だったんですね。
秋に来たら、紅葉がさぞかし綺麗なことでしょう(そして無茶苦茶混んでいることだろう)
中禅寺金谷ホテルで読書する
15時になったのでチェックインしよう!
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中禅寺湖のほとり、木立の中に佇むクラシックでレトロなリゾートホテル。
時期的にクリスマスの装いがされており、暖かい雰囲気で満ちていた。
本家の金谷ホテルにあった、和洋折衷で重厚な雰囲気はなく、暖かみのある親しみやすいログハウス風。
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ひとり客にぴったりなセミダブルルーム。
普段ビジネスホテルを渡り歩くようなわたしには落ち着かない広さ……
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バルコニー出て即、中禅寺湖!
さて、荷物を置いて一息ついたら……あとはもう読書の時間である。
現実よ、さらば。
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読書は主にラウンジでしていたのだけど、椅子の座り心地は良いし、コーヒー紅茶飲み放題だし最高であった。いつまでもここで読んでいたかった。
どれぐらい最高かというと、最高すぎて読書に集中してて写真撮ってないレベルである。しょうがないね。
また、金谷ホテルは伝統のディナーも売りで当然おいしかったのだけど、趣旨とズレるので別のとこに書きました。
当然温泉もサイコーで、到着してすぐに1回、食後に1回、朝に1回と3回も入ってしまった……
おかげで肩こり腰痛疼いていた古傷がちょっとマシになった気がする。
お湯は硫黄臭が強い乳白色で、ほんとに効く!!!って感じ。湯治に連泊したいわぁ〜♨️
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ホテル内には建設当時や歴史を示す写真が飾ってあって、昭和20年代の様子を垣間見ることができた。
それ以外は……本を読んでいた。
ずっとずっと読んでいた。ラウンジの閉まる22時、読み終わらないので自室に戻って読み進める。
その昔、何かに引き寄せられて東京から彼らがここ日光にやって来た。さらに昔にあった、ヌエのような事件の正体を求めて奔走する。
いま、わたしが息を吸っている、この山中の信仰が語られる。わたしが抱かれているホテルの山は神の範疇だという。
わたしは今、人世と山中の境目でごろ寝しているのだ……
深夜2時になっても読み終わらないので、諦めて寝た。
本当の聖地
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翌日、起きて温泉入って朝食食べて1時間読んで、まだ読み終わらないので歌が浜まで車を出した。
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歌が浜駐車場は無料ながら中禅寺湖の絶景が楽しめる穴場でわたしは毎回、いろは坂登ったらここで休憩をしている。
帰りにも駐車するとは思わなかった。火曜日の午前中は全く人が居なくって、わたしはそのまま車中で締めの章『鵼』を読み進めた。
1時間ほどで読み終わった。
時間が進んで正午になると、犬を散歩するおじさんや二社一寺エリアから登って来たのであろうカップルなどが増えていた。
わたしは景色を見渡す。
火曜日は曇天だった。その中雄大に広がる中禅寺湖、そして聳え立つ男体山。
栃木県で育てば、必ず栃木県民の歌を覚えさせられるのだが、そこでも歌われている山である。
小学生の時分で覚えるから、なんたい……男の体!?えっち!!きゃっきゃ!!とはしゃいだものよ……コロコロキッズに男体は刺激が強い。
栃木県の中では平野で育ったわたしでも、この山は身近なものだった。
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2年ほど前、地元の博物館に行ったら男体山の山岳信仰についての展示があった。
その昔、登拝には儀式があり、専用の持ち物や装束があった。信仰としての登山のための装束一式が博物館には納められていた。
今は、信仰のために登ったりはしない。
祖父も登山を愛したがスポーツ登山である。信仰心ではない。
わたしも菖蒲が浜キャンプ場を気に入っているが、信仰とは無縁だ。
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しかし、あんまりにも雄大な自然を前にすると息を呑むというか、人にはなんともし難い何かと直面したような気になる。
夏の穏やかな日に、菖蒲が浜を訪れるのもそんな雄大な何かに身を委ねて、俗世から消え去ってしまいたいからだった。
人の世の懊悩からわたしを切り離してくれるもの。
そんなモノをもしかしたら畏怖とか信心とか呼ぶのかも知れなかった。
帰り道、第一いろは坂を降って、清滝ICへと向かう。
大谷川沿いの何にもない道を行く。この道ができる前、ここが山中であった頃、もしかしたら……
読了後の今、二社一寺でもなく、名勝でもなく、なんでもない道が1番胸が踊るのだった。
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