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何故わたしはDIR EN GREYのライブにパンク服を着ていこうと思ったのか

もう絶対行くしかないと思った。
DIR EN GREY [mode of VULGAR]
――4thアルバム『VULGAR』の曲を中心に構成されたセットリストだという。

このアルバムが出たのはいったい何年前だろう。

 当時わたしは学生で生きづらさをロックにぶつけていたけれど、そこをバンギャルにさせたのはDir en greyの『鬼葬』とこのアルバムだった。
 ホントに、友だちがDirさえ持って来なければ。SOPHIAとラルクが好きなライトな音楽少女として青春をね、謳歌していたはずなんですよ。
 もう、わたしがこんなサブカルクソ女になったのはDirのせいだから。責任とってよね。


 しかし、東京公演はものすごい倍率。もうね、大戦争。どこを見ても譲ってくださいの嵐。わたしは負けた。ああ、もう大負けだった。


 でも、神は見捨てていなかった。公演一週間切ったタイミングでの、突然の追加公演発表。
 7月4日月曜日、Zepp東京。そんな突然いわれても、VULGARに行きたがるヤツは基本的に社会人だっつーの。時間なんか取れるかァー!

とりました。

 チケットも手にしました。
 ありがとう、いろんなタイミング。世界はわたしに微笑んでいる。


 そんなわけで、念願のVULGARなんですけど、わたしはこうなったら何年はいてないかわからないボンテージパンツを履いていこうと思った。
 もうね、SEXPOT引っ張り出す。
 やっちゃうよゴスパン。もはや今着ないでいつ着るんだ。今でしょ!!

 それでふと、不思議に思った。
 なんでわたしは着ようと思ったの? DIRはもはやラウドで、ヴィジュアル系ではない……いやいや、そもそもなんでヴィジュアル系でパンクなんだ???


 パンクという音楽的なジャンルがある。
 わたしの記憶の中、学生時代に流行っていた。その彼らの姿は……

それは、モンパチを筆頭に


GOING STEADY


ガガガSP


ELLEGARDEN


 誰もボンテージパンツ履いてねェ!!!
 すっごく爽やかでシンプルな恰好!ロンドンのときのゴテゴテしいパンク衣装はどこに行った!?
(あ、でもゴイステのアー写はけっこうセックス・ピストルズオマージュだな……)(っていうかファッションの方向性がけっこうモッズだなぁ)


ここにあった。

 わたしの中にある記憶では、パンク・ファッションの出会いはヴィジュアル系だった。MVの中、珍妙な恰好で歌い演奏するバンドマン。
 もうシビれちゃった。カッコイイのなんの。


 生きづらさを抱えていた学生時代、『爽やかさ』『生きることへ賛歌』ばかりだった流行のパンクバンドはしっくりこなかった。
 それよりも何やら『痛み』だの『サイコスリラー的なストーリー』を歌うDirの方が、すごく「わたしの心を歌っている」感じがしたのだった。
 ヴィジュアル系に恋をした少女たちは同じような服をした。メンバーに恋をしていたにしろ、世界観に入り込みたいにしろ。
 ゴシック パンク ロリータ モード系
そういう、ヘンテコな服をバンギャルたちは着始めたのだ。


 に、してもどうして彼らはゴシック風味のパンク服を着ていたのか?
 どうしてわたしは、バンギャルはサブカルチャーにアレンジされたパンク服を(もしくは同時に融合し発生したロリータを)着ようと思ったのか?

 長年、そのことが不思議だったんだけれど、すごくタイムリーなnoteに出会ったんですよ。

 音楽雑誌の中の人が語る、90年代~00年代のV系について。
 うわぁお、なんてタイムリーなのっ。noteには第四回しかないけれど、文中のリンクからすべての回を見ることができる。
 そのうち無料で読める中で、すごい『なるほど』としっくりきたものを書きだそう。

第4回
市川 まず、前回話したように日本の80年代のアンダーグラウンドな音楽シーンには<メタル(ジャパメタ)>と<パンク(ハードコア・パンク)>という2つの部族がおり、両者は本当に不毛な暴力的抗争を繰り広げておりました。そしてそんな野蛮な不良たちとは距離を置いて、ニューウェイヴの連中が自分たちの居場所をこっそり確保しておったのです。
――日本昔ばなしですか(笑)。あの、そのパンクとニュー・ウェイヴって一括りにされてる場合もあればきっちり区別されてる場合もあるんですけれど、この2つの違いや機微ってどういうものだったんですか?
市川 誤解を怖れずものすごく単純に比較すると<パンク×ニューウェイヴ>は、ヤンキー×オタク、衝動×感性、開放×閉鎖、馬鹿×小利口、みたいな(爆笑)。そもそもは衝動一発の「皆死んじまえ」全否定ロックだったパンクにどうしても体質が合わない文系者たちが、センスと理屈を頼りに始めた一見スマートなパンクが、ニューウェイヴ@ロンドン&NY。だからファッションでもアートでも映画でも文学でもテクノでも、お洒落で頭よさそうに見えるものなら何でも食べちゃう雑食性が武器だった。日本に置き換えれば、ヤンキー的な不良に「絶対なりたくない」けど、とにかく他人とは違うことを「ポップ」にやりたかった草食系かしら。


ヤンキー的な不良に「絶対なりたくない」けど、とにかく他人とは違うことを「ポップ」にやりたかった草食系……

 わ、わたしやんけっ

 生きづらさを抱えていた学生時代、もはやグレなければモヤモヤを発散できなかったけれど、絶対に「人を傷つけたり」「法律に反する」ようなことはしたくなかった。
 生きづらくなった十代の逃げ場のひとつ、ヤンキーやコギャルはわたしのやりたいことではなかったのだ。

 そこに天啓のように現れたヴィジュアル系。まさに蜘蛛の糸。
 そして更にヴィジュアル系の成り立ちを、このコラムでは教えてくれるんだけれども、そこにバンギャルがパンク服を着るルーツがあった。


第3回
市川:むかしむかしライヴハウスは「不良の溜まり場」だと思われていました。ヤンキーじゃないよ不良だよ。

藤谷:その時代は体験していないのですが、「パンクとメタルが仲が悪くて暴力沙汰になった」というような都市伝説はよく聞きますね……。
市川:都市伝説じゃないんだよこれが。パンクスがメタラーを<メタル狩り>、メタラーがパンクスを<パンク狩り>――アンダーグラウンドなシーンの片隅で、バンド同士が不毛な暴力的抗争を繰り拡げてたの。にもかかわらず、そのどっちサイドからも「同じ村の住人」視された稀有な立ち位置の男がYOSHIKIだったわけ。hideが「ヨっちゃんハードコアパンクもジャパメタもOKだったから」と感心しきりで。
藤谷:そうなんですか。そういうコミュ力あるところもヤンキー的ですよね。
市川:コミュ力というか、単にメタルもパンクも好きでどっちか選べなかっただけというか(失笑)。するとYOSHIKIの中で両者の境界線が曖昧になっていく。たとえば当時のメタルは絶対上半身裸なんかにならなくて、すぐ裸になっちゃうのはパンクスだった。さてYOSHIKIはすぐ肌を露出するじゃん。髪の毛をダイエースプレーで角状に立ててたのも、メタルよりはパンクス。


『パンク狩り』!?『メタル狩り』!??
なにそれ、60年代ロンドンであったモッズVSロッカーズかよ!
東京にもスタイル・ウォーがあったんだなぁ。現代でだって多少はスタイル・ウォーはあるけれど、実際に抗争なんかにはならずに、にちゃんで煽りあうぐらいだし。


その話だけでも面白いのに、その間を取り持つ男がいたという。

それがYOSHIKI。X JAPANでピアノを弾いたり半裸でドラムを熱く叩いてたりしてるあの男である。
そしてご存じの通り、X JAPANはヴィジュアル系の元祖とも呼ばれるバンドのひとつだ。

つまりこうだ。
むかしむかし、80年代には、メタルとパンクがおりました。仲の悪いこの2つですが、どっちも大好きなひとりの少年が現れます。
彼はやがて、2つのいいところを混ぜたバンドを作りました。

それが、X JAPANだっていうなら……成り立ちのピースに、すでにパンクは居たんだわ!!
わたしの時代では不良的な部分は消え失せて、爽やかになってしまったジャパニーズ・パンクだったけれど、この時代はガチ不良。ファッションもさぞやトゲトゲしかったことでしょう。
 うん、先日To-yを読んだけどすっげぇロンドン・パンクなカッコだったよ。
 それならそれと融合することで生まれたヴィジュアル系が、そしてそのファンがボンテージパンツを履こうとすることはなんにも不思議なことはない。

 後にヴィジュアル系はいろんな遍歴をたどり、いろんなものが混ざった挙句に、流行したことでファン層が変わって、『不良』から『ヲタク』に内情が変わった。
それは、このようにコラムの中でも語られている。

■ヤンキーV系の衰退とオタクV系の台頭はなぜ起こったのか?
市川:とはいうものの、V系がヤンキー的な「オラオラ」ロックだった時代は実は短くて、95年くらいには早くもヤンキー性が希薄になってた気がする。既にその頃にはV系がお金を沢山稼いでくれる音楽ビジネスとして確立したもんだから、良い意味でも悪い意味でもスマートに高級に巨大になってしまった。そうなってくると、がむしゃらな創造衝動もヤンキー色も薄れてきてしまう。そしてヤンキー性が希薄になった最大の「裏」理由は――YOSHIKIが本拠地をLAに移して日本からいなくなったこと。だははは。
藤谷:そんな地理的な問題で済ませてしまっていいんですか!


まずは不良的なヴィジュアル系を引っ張ってきたYOSHIKIが日本から去り、ラルクやGLAYがヒットする。そして。


藤谷:そんな状況を象徴するかのように現れたのが、96年デビューのSHAZNAですよ。徹底的にポップ、徹底的にキャラクターを立てていったことでブレイクしたじゃないですか。私はヤンキー→オタクへのある種の転換点ってSHAZNAだと思っていて。ああいうふうに自分をキャラクター的に表現するというのは、現代の2.5次元的なヴィジュアル系に通じているというか。
市川:うん、「必要悪」SHAZNAを契機にオタク的な奴らが増殖していくわけですよ。恐竜の時代が終わって哺乳類の時代が始まるようなもんです。いや、ヤンキー漫画がアニメに駆逐されたというべきか? 


 2.5次元な魅力を持ったヴィジュアル系が台頭するのだ。
 この『すべての道はヴィジュアル系に通ず』の第一回を見ると、そもそも語ろうとしていることは「ヤンキー文化とヲタク文化を渡り歩いたヴィジュアル系とは?」というところだ。

 そう、ヲタクはパンク服を着ていたよ。
わたしはもともとヲタクだったし、今だってそう自負している。小学校の時は重度のゲーマーで、それが転じて同人誌即売会にも行った。
 そこで目にしたヲタクたちは、半分以上がパンクとかゴシックとかロリータとか、バンギャルと変わらない恰好をしていたのだった。
(残念なのは化粧がへたくそでサマになっていなかったことだ。ゲフンゲフン)

 そして、もともとはパンクスというのは不良……ヤンキーであったことも知っている。
 しかし、70年代ロンドンで渦巻いていたカルチャーと、わたしたちヲタクがどうやって結びついたのかわからなかった。
 そりゃあヲタクだって多かれ少なかれ、世間に不満を持ってるよ。生きづらさを抱えているさ。でも、同じく生きづらさを抱えているからって、暴力を象徴としてたパンクスの服を、なんで着るようになったんだ?
 ヲタクといえば、NO暴力。イッツひ弱。なのに……
そこを結びつけたのが、ヴィジュアル系……っていうか、YOSHIKIだったのだ!

よ……YOSHIKIマジ神


ヴィジュアル系のブームが去って、ヲタクたちもカルチャーを着るのをやめてオシャレになり、一緒に輸入されたロリータはすっかりアキバのものになった。
今や、ヴィジュアル系のライブに行っても、ゴシック風味なパンク服を着ているコは少ない。思っている以上にカジュアルな恰好で着ている。


でも、わたしはVULGARにはボンテージパンツを履いていこうと思う。
それは、ただライブにいくのではない。学生のころに出会った世界観に、わたしもまた帰るための制服なのだった。


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