感情に向き合うことだけに専念して生きてみようか。
今、急にそんなことを思った。
2日前から、父と兄の住む愛知県に遊びに来ていて、明日帰る。
私の子どもたちと遊んでくれて、ご飯も用意してくれた父には感謝…だけしていたいのだが、やはりそこは肉親。しかも、ちょっと変わっている父親。
見たくない感情や思い出したくなかった記憶、昇華したと思っていた過去のわだかまりなんかが、思いもしない場面で出てきたりする。
今朝、朝ご飯を食べ終わったあと、父と一触即発の場面があった。
兄と一緒に聞いていた、父が意気揚々と話していた思い出話が、私にとっては面白くもなんともない、忘れたかった話だった。
そのときに私は、尖った言葉を吐き、父が
「可愛げのないものの言い方をするな、お前は」
と吐き捨てたのだった。
何を言ったのか、私はそのあと思い出せなかった。
後から兄に、
「あのとき、私、なんて言ったっけ?」
と確認してみたら、教えてくれた。
そして、
「気持ちはわかるけど、あそこまで言わなくても、と思ったぞ」とも。
もう、本当に、瞬間的に。
過去の情景が浮かんだ瞬間に、嫌な思い出も一瞬で蘇り、何かを言わずにはいられなかった。
なかなか肉親以外では、しない体験じゃないかなと思う。他人だともう少し遠慮や理性が働くから。
そもそも、嫌な気分になる相手とは、付き合い続けないしな…
この気持ちを、わかってほしいと、いつか父に言ってみた方がいいのだろうか。
でも、そのドロドロの感情を遠くから眺めながら、自分で自分に寄り添って、何がそんなに嫌だったんだろうね?と話を聞いてあげるようなイメージを抱いてみたら、
父を責めなくてもいいか。
という気もしてきた。
深掘りすれば、
大事にしたい価値観に繋がっている。
今の私を作っている。
これからの私をきっと助けてくれる。
形を変えながらでも。
はっきりとまだその輪郭は表れていないけど、その予感だけはなぜかはっきりしていて。
感情を俯瞰して見る練習を始めたところだ。
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