見出し画像

「児童労働をしている子どもと目が合った忘れられない思い出」 【ACEトークvol.6:前編】

※2021年9月22日にYouTubeライブ配信した「ACEトーク」のレポート記事です 

世界の子どもを児童労働から守るためNGO職員として活動しているACEスタッフたち。なぜこの仕事についたのか?何を感じ、何を思いながら日々業務に向き合っているのか?毎月一人ずつACEのスタッフをゲストに迎えて仕事にかける思いや、NGOで働くのってぶっちゃけどう?というようなお話を、ACE啓発・市民参加事業の青井彩乃が司会として聞いていきます! 

早くも迎えた第6回は「学生ボランティアから職員になったスタッフ」、普段は司会進行を務める杉山綾香さんがゲストです! 

杉山綾香さんプロフィール

画像1

誰も教えてくれなかった外の世界で起きていること

青井(司会):インドに住んでいた時に目にした児童労働についてのお話を聞かせてください。

杉山:まさにそれが、私が児童労働問題に関心を持ったきっかけです。 

中学校入学と同時に、父の仕事の関係でインドのニューデリーに行くことになり、中学3年5月までの2年間住んでいました。初めての海外がインドで、色々な文化の違いも衝撃だったし、何よりも一番衝撃を受けたのは路上で生活する子どもや家族がいることでした。物乞いをしていたり働いたりしている自分と同じくらいの年齢の子たちがいて、「なんでこんな状況なんだろう?」と疑問に思いながら過ごしていました。

私は日本人学校に通っていたのですが、その時に中学生向けの特別授業があって、それが児童労働に関する授業で、ACEとも関わりが強いインドの国際協力NGO:グローバルマーチで仕事をされていた日本人の方のお話を聞いたんです。「みんなが見ているのは『児童労働』というもので、私はそれをなくすために活動しているんです」という話を聞いて、「かっこいい…!」って思ったのが私の原体験です。

「いつも外で見る子どもたちの様子は何だろう?」っていう疑問に対して誰も答えを教えてくれなかった中で、今も色々なところで活躍されている活動家の冨田沓子さんという方が、それを教えてくれました。児童労働はなくせるということもそこで知ることができました。

青井(司会):誰も教えてくれなかったっていうのは、おとなに聞いても返事が返ってこなかったてこと?

杉山:そうなんです。見ちゃいけない・触れちゃいけない・無視しなさいっていうのが両親や日本人のおとなのスタンスでした。それは今思えば私たち子どもを守るため、小中学生はまだまだ弱くて守られる立場だったというのもあったと思います。外で遊ぶこともあまり許されていなかったし外の世界で起こるセンシティブなことは教えてもらえなかったし、もしかしたらおとなも正解を知らなかったのかもしれないです。

青井(司会):児童労働をなくせるということとか、それが何なのかということを聞けたのはすごく勇気づけられた体験だったんですね。かっこいい、こうなりたいっていうのはその時に思ったんですか?

杉山:そうです。当時、かっこいいな、わたしもそんな人になりたいなって強く思ったのは今でも覚えていて、それがまさに今に繋がっていると感じています。

【ACEトーク】vol.6「ボランティアから職員になったスタッフ」(杉山綾香さん) 5-47 screenshot


自然と選択肢になった国際協力への道

青井(司会):15歳の時に日本に戻ってきてからもそういうことを思い浮かべながら進路を選んできたの?

杉山:そうです。日本に帰ってきてから、高校はバスケ三昧だったんだけど、大学を選ぶときには国際協力系・国際学科とかに絶対行きたいなあって決めていて、自然とそっちに導かれるようにオープンキャンパスに行っていました。

青井(司会):じゃあもう大学に行ったら国際協力系の授業とかを取っていたんですね?

杉山:まずは平和学を学びたくて…平和構築について知りたかったんです。それで、平和学の学部がある明治学院大学に進学しました。その時は子どもの権利のことを学んだり、ACEに出会ったりとか、ちょっと外に出るという感じで大学生としての立場や時間を利用して、授業のみならずいろんなところに出向いていました。


「インド 児童労働」で検索🔍

青井(司会):ACEとの出会いはどんな感じだった?

杉山:大学生になってある程度自由な時間ができて、もっと児童労働のこと知りたい!と思って、「🔍インド 児童労働」って調べたら一番上に出てきたのがACEでした。事務所が上野にあるということで、ボランティア登録したのが大学2年生の19歳の時でした。

青井(司会):それでボランティアとしてACEに関わり始めたんですね。それはどんなボランティアだったんですか?

杉山:活動レポートの発送をしたり、「てんとう虫チョコ」(ACEが当時販売していた寄付付きのチョコレート)の袋詰めとその発送を手伝ったりとかをして、結構な頻度で出入りしていました。

青井(司会):他にも、学校内でそういった国際協力系のサークルには入っていたんですか?

杉山:はい、入っていました。児童労働のことをもっといろいろな人に伝えたいなと思っていたので、写真展を企画したこともあります。私自身インドについてももうちょっと知りたいなと思って、大学のメンバーと2-3週間インドに行って色々なNGOを訪問したりもしました。


学生チーム「PeACE」の立ち上げは人生のギフト

青井(司会):ACEの学生チームの立ち上げの話もぜひ聞かせてください。

杉山:ボランティア仲間の一人が、ACEが当時開催していたBBAっていうグローバルマーチのシェルターに行くスタディツアーに参加した子がいたんです。その子がツアー帰国後に、「ACEの活動をもっといろんな人に広めたい!」って連絡をくれて。インカレサークルのようにいろんな大学が繋がるような団体を立ち上げよう、という話になったんです。それがキッカケでACEのユースチームPeACE」(ピース)の立ち上げに携わりました。それが大学2-3年の時です。

青井(司会):それで学生時代は結構その活動をしていた感じですか?

杉山:そうですね、もちろん大学でも色々な思い出があるんですけどね。でもやっぱりその時PeACEで他の大学の子と繋がって、今もその子たちと繋がっているので、ギフトだなと思います。だから私にとってPeACEの立ち上げに携わることができたのは、すごくいい思い出です。

青井(司会):ACEが作りたいって言って学生が応えた形でできた団体じゃなくて、学生側から立ち上げたいという声が上がってできたんですね!

杉山:そうなんです。ACEのスタッフの皆さんにも学校の講演などでPeACEの紹介をしてくれるなどして、立ち上げることができました。

青井(司会):いいね。青春だね。

杉山:青春でしょ笑

【ACEトーク】vol.6「ボランティアから職員になったスタッフ」(杉山綾香さん) 10-7 screenshot


ボランティアとして細くも長く携わってきたのが今のポストとの縁に。

青井(司会):学生ボランティアとしてACEと関わっていて、今はACEの職員として働いている杉山さんのキャリアのその間にどんな経緯があったか聞きたいです。卒業後はACEに就職したんじゃなくて、他の仕事をしていたんですよね?

杉山:そうです、塾の先生をやっていました。ACEとの縁は一瞬薄くなったときもあったんですけど、イベントがあるときは参加することもあって、なんだかんだ細く長く繋がっていました。

塾の先生をやりながら、でもやっぱり国際協力に携わる仕事をしたいなあ~と思ったときに、自分にとって一番身近に感じられる国際協力の場がACEだったから、ACEのHPを調べたんです。そうしたらちょうど求人が出ていて。でも、その時にはそのポストには青井さんが入ることが決まっていたんです。あ、余談ですが実は青井さんと私は同期なんですよ笑

それでも、それまで色々なボランティアをして繋がってきた経験もあって、「よかったらこのポストやらない?」って言ってもらったのが児童労働ネットワーク(CL-Net)だったんです。私はCL-Net主催のイベントに学生のころから参加していたので、どういうネットワークかもなんとなくわかっていたのもあって...だから繋がっておいてよかったです。それが今の仕事にも繋がっている感じです。

青井(司会):学生ボランティア終わってそのままACEに入ったったわけではなかったのは、ACEのポストの空き状況も関係するし、杉山さんがどんな働き方をしたいかにもよるっていう、色々なタイミングもあるからそのままマッチするのではない可能性が高いですよね。でも、ボランティアとしてずっと関わってきたから、杉山さんってあの子ね!ってわかってもらえるし、ACEのことを知ってくれているというところで繋がってきたんですね。

後半は杉山さんの今を聞いていきます!


--------------------------------------------------------------

noteの後編はこちらから!  

YouTubeアーカイブ動画はこちらから  

第6回ACEトーク「ボランティアから職員になったスタッフ」杉山綾香さん出演回のアーカイブ動画は以下からご覧ください。  


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?