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#61|広くて近くて今にも落ちてきそうな空②

1933年のある日 17時20分

 俺は犬が嫌いだ。あいつらはいつもへらへらして人間に首を繋がれている。ああいう自分の意思を持たないような奴らは嫌いなんだ。たまには警察犬とか番犬みたいな格好つけた犬もいるが、所詮はいいように使われているだけだ。自分たちが何をしたいかなんて考えたこともないのだろう。それに比べて俺は自由だ。やりたいことはなんだってやれる。もちろん全知全能の神ってわけじゃないから出来ないこともあるが、少なくとも他の誰かの指示に従う必要なんて全くないし、そんなことはやらない。やるときがあるとすればそれは俺がやりたいからだ。
 俺は芸術が好きだ。この街は芸術で溢れている。彫刻と音楽が好きだ。俺はあまり手先が器用じゃないから、ただの岩だとかを30分も足を止めたくなるような姿に換えることはできない。ミケランジェロの『ダビデ』を一目見ることが夢だ。俺はあまり手先が器用じゃないから、細かい指の動きで楽器を操って思わず目を閉じたくなるような音色を奏でることは出来ない。オペラ座でウィーンフィルハーモニーの演奏でモーツァルトの『魔笛』を観るのが夢だ。夢を叶えるためなら何でもやってやる。父さんがよく言っていた。
「おい、シュテファン、お前は何がしたいんだ。やりたいことがあるならその結果だけに集中するんだ。どうすればそれを成し遂げられるかを考えるんだ。」
 父さんも母さんも貧乏だったから俺は小さな頃から家族のために働いていた。学校なんて行っていない。生きるために必要なことは父さんと母さんが教えてくれるし、街を歩いていれば色んな人の話し声が聞こえてくる。俺は狭いところに入ったり隠れるのが得意だし、会話を盗み聞きしてたくさんのことを学んだ。『ダビデ』は美術史美術館の近くのカフェ・イム・ライフントホフで話しているのを聞いた。ブルク公園のモーツァルトの銅像はよく散歩で通るときに見る。その近くでよく大学生がバイオリンを弾いている。その曲を最高の舞台で聞いてみたい。
 芸術は好きだけど学校には行けない。だから美術館から出て来る人の話を聞くのは楽しい。もちろん全員が芸術を楽しんでいるわけではないみたいだけど。今日もミケランジェロのある話を聞いた。父さんはいつも結果を追い求めろ、と言う。ミケランジェロが言うには「どの石にもすでに完成された彫刻が中に眠っている。彫刻家の仕事はそれを探し出すことだけだ。」つまり、辿り着く結果は既に決まっていて、それに向かっていく事が肝だ。また、ある時は「私は大理石の中に天使を見た。彼を自由にするまで彫り続けた」と言ったらしい。父さんはいつも結果を求めろと言うけど実は既に決まっているのではないか。まあそんなことはどちらでもいい。
 父さんは少し変なことを言うこともあったけど頭が良い。落ち着く方法を教えてくれたのも父さんだ。俺は落ち着こうとするときは1つアルファベットを思い浮かべてそれから始まる単語を考える。父さんは彫刻だとか音楽だとかには興味がなくて数学とか物理とかを勉強していた。落ち着こうとするときは素数とかっていうのをいつも数える。父さんはが言うには「素数は孤独な数字だ。俺たちだって結局は孤独な存在なんだ。素数は勇気を与えてくれる。なぜなら周りにもたくさんの孤独がいることを教えてくれる。」

③へ続く



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