#34 雪隠と留学 [第3部 スペイン編] ep.XVIII「君はすするのか」
寒い季節になるとやはりラーメンが食べたくなるのは道産子の性だろうか。
ちょうど友達に誘われたのでマドリードで一番人気とされているラーメン屋に行くことになった。「かぐら」はソル広場から歩いて十分程度の街の中心に小さな飲食店と並んでいる。待ち合わせの数日前に通りかかった時には、店の前にはスペインには珍しく十数人の行列ができていた。
留学が始まって以来、あまり和食が恋しいと思うことはなかったが、この時ばかりは否が応にも期待が高まる。
店に入ると中はスペインにありがちな狭い通路が奥まで続き、突き当りに少し広めのテーブル席のスペースがある。内装は所々に昭和を匂わせるポスターが貼ってある。たまに居酒屋で見かける和服の女性のサッポロビールのポスターにはやはり目が行ってしまった。
サッポロビールだからね。
店員は見えるところに日本人らしき人はいない。人種差別的と取られるかもしれないが、無理やりアジア人を店員に揃えている様子もなかった。
席に着くとメニュー表はスペイン語、日本語、英語の三種類だ。マドリード在住の日本人もよく来るような所なのだろうか。看板のロゴにも使われている通り、博多風のとんこつラーメンが一押しのようだ。これを注文。
海外にありがちな「翻訳サイト直送ヘンテコ日本文微妙フォントのおまけ付き」ではなく、ちゃんとした日本で見ても違和感がないようなメニューだったので、上々の滑り出しだった。
友達はそれぞれ味噌ラーメンや、野菜ラーメンを注文した。
まず目に飛び込んできたのは厚めに切られた二切れのチャーシュー。おいしそうだ。スープは写真の通りとんこつの白いスープ。そこまで強い匂いは感じなかった。そして異物を発見。反射的に取り除いた。これが大いなる減点対象だった。レモンである。スペイン語で言うとlimón、英語ではlemon、ドイツ語だとZitroneでinterある。漢字で書くと檸檬。
これが酷かった。
日本でもラーメンに乗せる店があるかもしれないが、すぐ止めた方がいい。少なくともとんこつには合わない。まずはスープを一口。全く絞ったりはしなかったがやはり酸味は移っていた。それに追い打ちをかけるようにスープのぬるさだ。
全員分ほぼ同時に出されたのでおそらくこれが基本なのだろう。麺をぬめりと口に運ぶ。ずるりではなくぬめり。ヨーロッパを含む西洋の文化では音を立ててすするのはマナー違反だ。麺、これも残念だった。どんな麺を使っているのかはわからないが、とにかく伸びている。札幌ラーメンのようなコシのあるものを期待していたわけではないが、どう考えても茹で過ぎだ。でろんでろんとまでは言わないが、家で自分で作ったほうがよっぽどうまく作れる。というか厨房で作らせてくれ。
チャーシューは可もなく不可もなく。嬉しかったのは長ネギと木耳だ。長ネギはアジアンマーケットでも売っていない代物で、ヨーロッパで出回っているのは二、三倍の太さのものばかりで、緑色の部分の味わいが全く違う。木耳など見たこともなかった。
ただ、食事は楽しみたい。腐っても半年以上ぶりのラーメンである。この日のために支援物資のインスタントラーメンにはまだ手を付けていない。
ずるっと一発思いっきり行きたい。
一緒に来ていたのは台湾人とチェコ人が二人だったのであいにく味方はなし。日本人が日本食を日本食のお店で食べるんだから一回だけ許してくれ、と懇願し、何とか憐れみの許諾を取り付けた。
「では、どうぞ。」と三人が手を止めてこちらを窺う。最早、パンダだ。いや、日本だから桜か。ぬるくて伸びた麺を持ち上げる。慣れたものだ。いつも通りすする。やっぱり麺はこのスピードで体内に入れないと。
非日本人三人は僅かな驚きと笑いをこらえた表情を浮かべる。近くの席の他のお客さんも一瞬豪快なマナー違反客をとっさに見る。
これ、どう思う?
次回予告『雪隠と留学 [第3部 スペイン編] ep.XIX「敵の敵は味方の見方」』
現在、海外の大学院に通っています。是非、よろしくお願いします。