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楽しそうと思える家(後編) ~自分の暮らし方が、受け身になっている? 家を作り上げることは、自分を作ることでもあるのでは。

”家をせおって歩いた”アーティストの村上慧さんと、風呂なしだけど銭湯がある暮らしを提案する「東京銭湯ふ動産」の鹿島奈津子さんに、暮らしの器である家について語ってもらいました。前編に続き、後編をお届けします。(エース2021年秋号特集「すまいのかたち」より)

家は自分で作るという意識が薄れてきている?


村上 以前、スウェーデンのオレブロに滞在したことがあって、そこの人たちは、自分の家の外壁を年に1~2回の頻度で塗り替えていました。日曜に住宅街を歩いていると、玄関の軒をペンキで夫婦で塗っていたりするんです。それが新鮮で、日本ではあんまり見たことないなって。
 日本にペンキ仕上げの家がほとんどないっていうのもあるんだけど、車の洗車をしている人はいるけど、日曜日に家をどうのこうのしてる人はいないなと思います。
 日本では家が商品になりすぎちゃっている感じはありますね。何かあったら、自分がやるっていうよりは、修理業者とか専門家にお願いするんだと思いますけど、ペンキとか自分で塗ったりしたら、もうちょっと面白いのになって。家を自分で作る意識がないのかもしれないですね。

鹿島 賃貸と持ち家では、感覚が全然違うとは思うんです。日本は賃貸となると、オーナーから借りているもので、原状回復が絶対みたいなところがあります。それに、オーナー側では、こういう家が借りられやすいというフォーマットが多分あって、それに戻さないと、次の入居者が来ないという考えもあります。
 だから、安いフローリングとかクロスとかをよく使うんですけど、そういうのって張り替えやすいし、単価が安いし、汚れてもすぐ綺麗になる。効率性ばかり考えられているので、全部同じような空間になってしまうんです。
 それに比べると、風呂なし物件は木造の古い雰囲気があって、間取りもそれぞれ違うし、いわゆる工業的に作られたものではなくて、大工さんとか人が作っている感じが残っています。そういう味みたいなものが暮らしには大事なのかなと思います。 

村上 原状回復っていつからこんなに幅を利かせているんでしょうね。

鹿島 どうなんでしょう。30年前はそんなにうるさく言われてなかったと思います。

村上 それって商品的な考え方じゃないですか。あんまり人が住む前提じゃないっていうか。僕の知っているあるマンションは現状回復にうるさくなくて、このドアは3代前の人が作った、キッチンをここにしたのは2代前というふうにして、部屋の中に過去に住んできた人の蓄積があるんです。
 僕もアパートを借りた経験があるけど、それなりに自分の家を作るじゃないですか。そこを出るときに、何もない真っ白な最初の状態に戻さなくちゃいけないとなると、俺の住んでた2年間は何だったんだろう、ここに住んでたのかなみたいな。住んでた感じが残らない。それは体にも良くないですね。

鹿島 オーナーの事情とか、オーナーが自分の物件をどう考えているかとかも実は大事です。どれだけその物件を愛でているかで、建物の状態が全然違うんです。風呂なしでもプラスのイメージを私たち(不動産仲介業者)がオーナーに見せることで、オーナーも若い人が住んでくれるんだと思うようになります。
 オーナーに家賃を手渡ししている物件だと、オーナーと借主の関係ができてきて、借主はこの人から借りているというのが分かると物件を丁寧に使うようになります。家にはそういう関係がすごく大事です。オーナーも、賃貸だからこそどんな人を住まわせたいか、その人が住むことでどういうストーリーが生まれるのかをちゃんと考えてほしいんです。その辺をオーナー側が楽しんでくれるようになると、もうちょっと賃貸物件は変わるのかなと思います。

あなたにとって家ってなに?


鹿島 家は人が住むもの。人が使うもの。人が住まないと家って本当に死んでいきますし、人が住んで生き返ったりもします。何かそういう生きているものだ、と私自身は思っているので、家を愛したいという気持ちがすごく強いです。そのためには、物件のことを知りたいし、愛着を持てるように人との関係性を作る必要があると思っています。
 人にとってかけがえのないものであり、家自体がきちんと物語を持っていて、いろんな人を住まわせてきた軌跡がある。そういうものとして家を見てほしいなって思います。

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村上慧「山口市嘉川 間取り図」

村上 僕は広告看板の家のプロジェクトをやっている間、カフェで仕事をしたりしていますけど、僕の家がどこにあるんだろうかって考えるのは多分意味がなくて。一人に一つの住所というふうに制度化されているから、家のポイントが一カ所にあると思いがちなんだけど、それは人間の生活とは何の関係もないんです。
 例えば食べ物を買いにスーパーにも行くし、電気や水は遠いところから運ばれてきたりするし、そうやって人はあらゆる所に手を伸ばして生きているので、家の概念は無限に広がる。僕の場合は、家=箱をイメージしないんですよね。アメーバーみたいになっていて、住めばもうそこが家なんです。そう考えた方が面白い。
 風呂なしで銭湯がある物件に住むみたいに、自分の暮らし方や、住まい方について、もうちょっと政策的に考えた方がいいと思います。住むことに主体的になった方がいいというか、受け身が過ぎるというか。
 家賃がいくらとか言われたらしょうがないけど、家は作り上げるものとして考えた方がいい。それが自分を作っていくことでもあるわけじゃないですか。自分がこういう生活をしたいって考えた生活によって、また自分も変わっていくと思うんです。
 風呂なしの物件に住むっていうのは、一つの社会運動かもしれない。銭湯を使うという選択をすることによって、街に銭湯を存続させる力にもなるわけですし、銭湯に人がいるって空気を作ることになるわけだから、自分の生活の選択なんだけど、それは、街作りになっている。すごいパブリックな運動です。そういう自分の生活が結果的に周りを作っていくっていうことを忘れないようにするために、僕はプロジェクトをやったりしています。


村上慧さん(むらかみ・さとし)
1988年東京都生まれ。2011年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。17年文化庁新進芸術家海外派遣制度によりスウェーデンのオレブロに滞在。東日本大震災をきっかけに、14年から自作の発砲スチロール製の家を背負って移動生活を始める。 著書に『家をせおって歩く』『家をせおって歩いた』。
http://satoshimurakami.net

鹿島奈津子さん(かしま・なつこ)
1985年生まれ、大阪出身。成安造形大学で住環境デザイン科専攻。卒業後NPO法人で京都の町家再生や活用に携わる。結婚を機に関東に拠点を移し、2014年から株式会社フィールドガレージでワンストップリノベーションのための不動産仲介業を行う。18年からウェブサイト「東京銭湯ふ動産」を立ち上げ、運営企画を担う。https://tokyosento.life

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