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コロンバニ『あなたの教室』

映画監督でもあり女優でもあるフランス人作家の作品です。舞台はインド。かつて、イギリスの植民地支配から長らく苦しんでいたこの国は、「ヒンドゥー・ナショナリズム」を掲げて独立しました。この「ヒンドゥー・ナショナリズム」とは、「女性は男性に従うものだ」とする性差別の考え方やカースト制に見られる様な身分差別の考え方をも含んでいます。そのため、いまだにインドでは「女性には教育はいらない」と考える人たちも多く、特に経済的に苦しい地域では、児童労働も当たり前のようになされているという現実があります。

そうしたインドの現状に一石を投じようとする主人公を描いたのがこちらの作品でした。


3人の女性たち

このお話には3人の女性が出てきます。

一人目は少女です。母親と長い道のりを旅してある浜辺の町にたどり着きます。母親は身分が低い生まれで、貧しい上に健康も損なっていました。その母親が、自分の娘をある食堂に引き取ってもらいます。

二人目の女性はフランス人英語教師。失意の元インドを訪れ、先の少女に自分の命を救ってもらいます。

三人目の女性はインドで女性を守るために戦うグループのリーダー。先のフランス人教師との出会いから、互いの心をほどいていきます。

抗えない「差別」という厳しい環境の中で、女たちは時に絶望し、時に希望に胸を躍らせ、時には悲しみに打ちひしがれ、時には肩を抱き合って喜びながら、それでも「ベター」な世界に向けて一歩一歩、歩みを進めていくのです。


知識は力。教育は自由への鍵。

話の中で、フランス人女性教師は、少女の暮らす街に学校を創ることに向けて奔走していきます。「知識は力。教育は自由へのカギ。」という信念を胸に。

支配者(カーストの上の身分の者たち)からすると、「知らない」ということほどありがたいことはないでしょう。無知である者はなんと支配しやすいことか。「世の中とはそういうものだ」と、思考するのをやめ、人生をあきらめてくれる人たちは、とても都合がいいのでしょう。そしてこの「あきらめ」が連鎖してくると、あきらめる人は増える一方だし、その上にいる人たちはますます胡坐をかくばかり。負のスパイラルがあっという間に出来上がります。

逆に、知識を得て自ら思考し、その信念に基づいて行動してくる者たちは、支配者側からすると危険人物です。女の子たちに知識を与え、教育という機会をもたらす主人公たちは、インドで長く「当たり前」としてこられた風習を壊そうとする「危険な者達」でした。長きにわたる慣習は簡単に崩せるものではなく、小説の中でもショッキングな出来事が起こります。
それでも主人公たちは、小さくても一歩先へと常に歩むことをあきらめない限り、「よりよい世界」へと確実に近づいていっているのだということを教えてくれます。

子どもはすべて持っている。奪われない限り。

これは小説の中で引用してあったプレヴェールの言葉です。物語の中では、物理的に奪われていくものが数多く描かれていて、とても悲しい気持ちになったり、悔しさを感じたり、憤りを覚えたりしました。

しかしこのことは、小説に出てくるようなある一部の地域の話だけではなくて、私たちにだって当てはまるのではないでしょうか。

私たちは生まれながらなにして完ぺきで、すべてを与えられています。しかし、少しずつ成長していく中で、社会や、その社会から影響を受けた周りの大人たちを通して、いろいろな価値観を知り、さまざまな考え方に接し、よりよく生きるために自分を適合させていきます。それを繰り返すうちに、本来の自分というものを少しずつ忘れてしまい(もって生まれていたものを奪われていき)、いつの間にか自分が何者なのかもわからなくなっていくのです。「私はどうしてここにいるの?」と自問した時、その解答を持って生まれていたはずなのに、答えを手繰り寄せようとしてもはるか遠すぎて届かないところまで生きて来てしまっているのかもしれません。

それでも、何度絶望の淵に立たされようとも、何度あきらめようとも、本来あるべき姿に向かって、一歩でも半歩でも、その歩みを進めていくこと。それは奪われたものを取り戻そうとすることでもあります。このプロセスにこそ価値があったんだと分かる日が来るのかもしれません。

この小説から、暗闇の中に投じられる一筋の光を見たように思いました。


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