見出し画像

自己紹介

はじめましてアサと申します。

すでに読んでいただいていた方、うれしいです!ありがとうございます!

(ここまで書いて、少し瞑想してきます。自己紹介書くの難しいです)

***

特に肩書きはありません、50代の女性です。家にいます。
内向的HSPで、毒親育ちです。

最近はダラダラすることや手を抜くこともすっかり板につき、昨日はとんかつを焦がし、お米の水の量を間違えた!と思って炊いてる途中で水をバシャッと足し、やっぱり間違ってないかも!と少し減らし、でも結構ちゃんと炊けたので、結局どうだったのかよくわからない、なんて感じでご飯を作っています。

作らないのも覚えました。夫が思ったより早く帰ると連絡があるときは

「まだご飯作ってないー」と返信すると

「何か買ってこようか?」と言ってくれるので頼んだりします。

帰り道に魅力的なお店が少ないのが悩みです。


昔はパートで仕事もしていたのに、ご飯も頑張りすぎていました。たまには「なんか食べてね」とお金でも置いて行ったらそれはそれで子供達も楽しかっただろうな、と今なら思います。


小さい頃は、注目されるのが嫌いなおとなしい子でした。

通信簿にはいつも『もっと積極的に』と書かれ、親も心配していたようですが、一体何を心配していたんでしょう。

私は何も考えずに、ただ縮こまっていた訳ではありません。周りをとてもよく観察し、よく考えていました。

ただ、思いを伝えるのが下手だったんだと思います。言葉に変換できませんでした、今でも苦手です。ゆっくり話しを聞いてもらえる環境でもありませんでした。

私の中には色んな思いがあふれていました。
それを、否定することなく、ゆっくりじっくり聞いて欲しかったな。

両親と妹、祖父母の6人家族で、家の中は常に緊張感がありくつろげる場所ではありませんでした。

親はいわゆる毒親で、否定的で過干渉でした。世間体や体裁ばかり気にする親だったので、仮面家族だなと思っていました。

中学くらいからは常に不満と怒りを抱えていましたが、何がどうなのかもわからず、ただモヤモヤとし不機嫌でいる、と言う状態でした。ただ罪悪感は立派に育っていたので、自分が悪いとか、何かをしてあげなければという思いはずっと引きずっていました。

結婚で家から離れ、娘が2人産まれました。
そのまま、4人で暮らすつもりでしたが、実家が相続でゴタゴタがあり、可哀想に思い、実家に戻ることになりました。

そこで暮らしていく中で私は徐々に辛くなっていき、逃げるように家から出ました。
3年間外で暮らし、半年前にまた実家に戻ってきました。


離れていた3年で、だいぶ体も心も元気になったので大丈夫だろうと思いましたが、親と接すると、やはり自動的に緊張と不快感を感じてしまいます。


noteは自分の心を知るためにアウトプットしようと思い始めました。
本当はあまり重いものや感情にまかせたようなものは書きたくないと思っていましたが、親へのドロドロした思いは、自分を知るにはどうしても避けては通れないもののようです。

自分の心を知りたいと言いながら、感情にまかせたものを書きたくないなんて矛盾してますね。まだカッコつけようとしてるんですね自分は。

***

あまり深く考えずに書きはじめ、とりあえず「何か見えてくるかも」と、毎日続けてみることにしました。あと少しで50日!100日位は続けてみようと思ったのでもうすぐ半分!すごい!

こなし記事もたくさんありますが、とにかく続いた自分をほめよう!

気持ちを新たに、また自己紹介から始めます。

お付き合いいただけたら嬉しいです。

この記事が参加している募集

#自己紹介

228,904件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?