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本離れへの疑問とインターネット・SNS以前の雑誌の価値

僕は「みんなの森 ぎふメディアコスモス(通称メディコス)」によく行く。メディコスは、せんだいメディアテークや、多摩美術大学図書館などの作品で知られる建築家・伊東豊雄が手がけた図書館を中心とした公共の複合文化施設だ。岐阜市は観光資源に乏しい人口40万人程度の中規模地方都市だが、メディコスには年間100万人前後が来館している。単純計算で1日3,000人ほどが来館しているという統計はヘビーユーザーの実感として正しく、ここで老若男女が集まる光景を見ていて思うのは「本離れ」への疑問である。

統計的に見れば、本離れは真に見える。90年代中期を境に書籍の出版数は漸減し、書店数も80年代末をピークに減少の一途を辿っているからだ。そこに至る直近約25年の流れを整理すると

・Amaozn.co.jp「本」ストアオープン(2000年)
・iPhone発売(2006年)
・Instagramローンチ(2010年)
・スマートフォンの世帯保有率が80%超え(2019年)
・電子コミックの売上比率が50%超え(2019年)

などの出来事が挙げられる。これらにより、2023年現在に即時性の高い情報を取得する手段は、紙媒体(主に雑誌)からスマートフォンに完全移行した。WEBやSNSから得られる情報は基本的に無料であることもこうした流れを後押しした。
また、在庫数や物流の観点において、品揃えが良く、場合によっては当日注文したものがその日に届くAmazonで本を買うのは自然な流れだ。人間は、便利な方、楽な方に流れる。そして、新刊書店の大きな収入源だった雑誌やコミックスの売上が落ちたことで、ステレオタイプな書店のビジネスモデルは崩れていった。

一方でそれならばもはや図書館もいらないのでは?という疑問も湧く。しかし、前述のメディコスのように隈研吾や安藤忠雄、妹島和世といったスター建築家が設計した図書館が全国各地で生まれ、多くの人が足を運んでいるという。これは、果たしてなぜか?一つには、至極当然ではあるものの有料の書籍を無料で利用できるのが大きい。景気の悪化や物価上昇によって多くの人の可処分所得が減っているという経済的背景もあるだろう。そして、即時性の高い情報媒体(=雑誌)はWEBやSNSに代替されたが、小説や実用書などの書籍は変わらず紙媒体で読まれていると仮定できる。そうでなければ、村上春樹の新作が出る度にニュースになったり、厚切りジェイソンの投資本がもてはやされることもない。

前置きが長くなってしまったが、本離れは、雑誌やコミックスについては正だが、その他については必ずしもそうではない。というのが実態であり、マスメディアやインフルエンサーが喧伝する“世の中の流れっぽいもの”は参考程度に留めておくことが良いと思うのだ。

かくしてオールドメディアとなった雑誌だが、だからこそインターネット・SNS以前以前に発行されていたものには、作り手が現地で集めた当時最先端の情報や手探りのクリエイティビティが凝縮されており、コレクションや資料としての価値がある。

40代以降のクリエイターのインタビューを読んでいると「当時は、地方に住んでいたこともあって全然情報がなくて、宝島で(藤原)ヒロシ君と(高木)完ちゃんのLAST ORGYを貪るように読んで、そこで得るものが全てだった」といった趣旨の内容をよく見かける。これは、スマホネイティブなZ世代にとっては疑問しか生まれない現象だと思われるが、どれだけGoogle検索を駆使しても当時の情報がデジタル化されている訳ではないため、例えばリアルなY2Kファッションをしっかり調べたいと思った時には、その頃の雑誌やブランドのカタログを手に入れるか当事者から話を聞く以外に方法がない。

それ故、新しいから良い、古いから悪いという二元論は無意味であり、それよりも目の付けどころがシャープであることに意味があるはずだ。と思ったことが、本屋を始めるに当たり、古本を扱うきっかけとなった。そして、過去の歴史から何かを学び、現代の事象とつなげ、自分なりの見立てをすることが楽しいし、自分らしくある手段なのだと。そんな偏った趣味・趣向を楽しんでくれる人の知的好奇心を刺激し続ける書店でありたいというのが、今の目標であり、本来自分がやりたかったことなのだと40を目前にして思っている。

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