見出し画像

台湾の野球歴史を紹介

こんにちは、ACCESS TAIWAN の Tommy です。
日本人が台湾に来る時に、おかしいなと思うところを紹介します。
※弊社の本業は 台湾・香港・シンガポールでのリピート通販サービス、フルフィルメント(運営代行)、3PL (物流代行) を提供しています。
よろしくお願いします。

前回は「台湾の坐月子文化 と 母乳育児関連調査」をシェアしました。
坐月子は産後ケアの意味で、台湾はすごく重視しています。
こちらもお気にしましたら、ぜひ後で見てください。

今回は、「台湾の野球歴史 と 野球賭博事件」をシェアいたします。
WBC もう終わりました、今各野球リーグも開幕しましたが、今回は関連の話題を紹介しようと思います。
今回WBCの侍ジャパンはすごいです、すごく感動しました。
日本はすごく強い、将来30年に勝てそうとは思わないですね。

台湾の野球歴史は日本に大きな関連がありますので、これから紹介します。

紹介する前にはまず雑談から始めます。

雑談

今回は野球の話をしますが、まず関連があるデータを見てみましょう。

2023年世界の野球ランキングで、台湾は4位です。
※2023年 WBC 前は 2位でした。
嘘でしょう!!。台湾人も信じられないです。

こんなに高い理由は、U12 U15 U18 シリーズでいい成績取ったからです。
中学生・高校生・大学生の成績は良かったですが、大人の成績はうん…
なぜだろう~

雑談:ゲン担ぎ

日本では勝負事の前に、かつ丼食べて、いいことを願うゲン担ぎがあります。

台湾でも似たものがあります。
日常はしないですが、スポーツの国際試合の前にします。ゲン担ぎは競争相手国の代表的食べ物です。

例えば、
日本戦する前に、寿司を食べます、
韓国戦する前に、キムチを食べます、
イタリア戦する前に、ピザ、パスタを食べます。
キューバ戦する前に、キューバ サンドイッチを食べます。

観客席で Pizza 分け合って食べる人がいました。

次からちょっと難しいです。
オランダ (荷蘭) 戦する前に、
・目玉焼き(荷包蛋)を食べます。理由は同じ「荷」があるからです。
・ポッフェルチェというオランダ発祥のスイーツを食べます。
・最後は食べるものではないです、「鄭成功」の写真を試合中で出すこともあります。理由は以前「台湾南北カルチャーショック」でも話しました、元々オランダが台湾を統治したが、鄭成功がオランダを破って、台湾を統一したからです。

2023年 WBC オランダ戦で、観客席に「鄭成功」の写真を持つ人がたくさんいました。
政治家がポッフェルチェを配りました。

最後にパナマ戦、パナマの名産物が分からないので、何もしてないことでした。

全然ロジカルじゃないですけど、やってる人が多いです。

では本題の台湾野球歴史を紹介します。

台湾野球歴史紹介

台湾歴史を三つに時期に分けて紹介します。

  • 日本統治時期 1895 ~ 1945年

  • 中間時期 1945 ~ 1990年

  • プロ野球リーグ 1990 ~ 現在

01. 日本統治時期 1895 ~ 1945

台湾の野球は日本統治時代から始まりました。

日本統治の初期は社会がまだ安定していないので、台湾に住んでいた日本人は相撲や剣道などの保身術に多く取っていました。
1897年頃、台湾に駐在していた銀行員の中には野球を始めた人いましたが、投球や打撃だけでした。

1906年3月、台湾に初めての正式な野球チーム「台湾総督府中学校野球隊」が出てました。
1910年代には、台湾全土で野球が盛んで、北部から南部に発展し、1920年代から東部の野球発展にも至りました。

でも野球が台湾に入って最初の10年は、参加者が全部在台湾日本人です。台湾人の参戦記録がありませんでした。

1923年には、台湾体育協会が「全島中等学校野球大会」を主催しました。
この試合は台湾の代表チームを選んで、甲子園に参加できます。それ以後、毎年台湾では野球大会が開催されていました。

昭和四年 1929年
画像元 URL

そのうち、甲子園で最高成績を取ったのが、1931年の嘉義農林高校(通称:嘉農=かのう)で、準優勝を獲得しました。
チームメンバーは日本人・台湾人(漢人)・原住民で構成されていました。2014年に映画化もされました。
映画名:KANO 1931海の向こうの甲子園 関連情報 URL
※映画セリフの90%以上が日本語です。

画像元 URL
すごく厳しそうな監督ですね。うまくいかないなら、殺されそうです。
画像元 URL

02. 中間時期 1945 ~ 1990

この時期も野球が盛んでした。
多くの野球チームが設立されて、炭鉱チーム、台電チーム、合庫野球チーム、糖廠野球チーム、鉄道局野球チーム、公賣局野球チーム、大涼チーム、天香味宝チーム、三軍野球チーム(軍隊)などがありました。

名前の通り、各公営機関がチームを結成して参加するアマチュア野球が主流でした、選手は各機関で野球に興味を持つ従業員たちで構成されていました。

合作金庫銀行の野球チームです。
画像元 URL

青少年野球

1969年から1996年まで、台湾の野球もすごく盛んでいました。
世界少年野球大会で台湾のチームは25回のうち、17回優勝しました。
また最初の9年間は連続で優勝しました。

でも大会のルールに違反したことが判明しましたから、1996年以後、参加しませんでした。
違法した内容は

  • 学校単位で大会に参加しますが、代表となった学校が他の学校の優秀選手を引きぬいて、オールスターチームで参加していました。

  • 年齢違反(規定より年齢高い優秀な選手でも試合に参加していました)

  • ギャンブル(学校内の球場で暴力事件が発生しました)

ちなみに、この時期は台湾が国連から追い出された時期(1971年)です。
国際舞台で輝きたいので、国際試合で頑張って、外国チームに勝つことをすごく重視した時でした。まあ、世界から認められたいですね。

初の世界チャンピオンで、街中で歓迎して祝ったときの写真です。
画像元 URL

プロ野球

でもこの時期はプロ野球リーグがないから、兵役を終えた選手は、合庫、中油、台電などの公営企業のチームにしか入れず、仕事は安定していますが、給料は高くありませんでした。昇給には試験も必要です。
したがって、海外のプロ野球リーグに参加することが選手が多かったです。

郭源治(中日ドラゴンズ)、郭泰源(西武ライオンズ)、莊勝雄(ロッテオリオンズ)、陳大豐(中日ドラゴンズ・阪神タイガース)、呂明賜(読売ジャイアンツ)などです。

郭泰源(西武ライオンズ)画像元 URL

現在でも優秀な選手は海外のプロ野球リーグは行きますね、吳念庭(西武)、宋家豪(楽天)、張奕(西武)、王柏融(日本ハム)などなどです。

03. 台湾職業野球リーグ設立  1990 ~

1990年3月17日、台湾でプロ野球リーグ誕生しました。(ちなみにDH制です)
誕生したときは 4 チームだけですが、最大 7 チームが存在しました。
でもギャンブル事件や赤字運営などの原因で、 4 チームにまで減ってしまったことがあります。4 チームだけだと、対戦組合せが 6 種類だけです。
※現在は 6 チームがあります。
※1つのチームは今年誕生で、今は二軍の試合しか出られません。

2015年までの野球チームロゴ 画像元URL
2023年一軍試合の5チームです。 画像元URL

台湾ならではの野球

01. 上下半季

台湾は二シーズン制です。
上シーズンと下シーズンがあります、二シーズンともチャンピオンがあります。
シーズン後のプレーオフがあります、

ルール①:
上シーズンと下シーズンのチャンピオンは同じチームの場合は、チャンピオンチーム VS 年間勝率 2位チームが戦います。

ルール②:
上シーズンと下シーズンのチャンピオンは違うチームの場合は、
第1ステージ:チャンピオンチームのうち年間勝率が低いチーム VS それ以外で年間勝率が一番高いチーム
第2ステージ:チャンピオンチームのうち年間勝率が高いチーム VS 第1ステージで勝ったチーム

画像元 URL

なぜ二つシーズンにするのか?

いくつの理由があります。

  • 原因①:上シーズンと下シーズンは二つのチャンピオン戦がありますから、視聴率アップ、観戦チケット販売…などが売上に良い影響が多いです。

  • 原因②:チーム数が少ないですから、勝率が低いチームはシーズン途中から若いメンバーを育てるを優先することがあります。そうすると、試合がつまらなくなります。

デメリット:負けたチームが逆にプレーオフに進出できそう

このような二シーズン制は欠点があります。

2021年の例にします。
上シーズのチャンピオンは兄弟エレファンツです。
下シーズのチャンピオンはまだ出てないですが、暫定一位は統一ライオンズです。暫定二位は兄弟エレファンツです
また年間勝率二位は樂天モンキーズです。
もし兄弟エレファンツが下シーズンのチャンピオンも取ったら、樂天モンキーズは確実プレーオフに参戦できます。
そうすると、兄弟エレファンツ vs 樂天モンキーズの試合は、樂天モンキーズが負けた方がプレーオフ進出に有利です。
八百長します?ムズイです。
※2022年のプレーオフのルールは変更しました、ルール①がなくなりました。

情報元URL

画像元 URL

02. リボンを投げる

続きは台湾プロ野球の文化です。
チームが優勝した試合後は、必ずリボンを投げます。
リボンの色はチームによります。

例:2021 兄弟エレファンツが優勝した時です。


画像元 URL

なぜこんなことをしたのか調査しました。
1992年、当時は兄弟エレファンツの応援団長は絶景を作りたいから、文房具屋さんで500個安いリボンを買って、釣り糸で結んで、屋上に掛けました。試合終了の時に、釣り糸を切って、500本のリボンが出てきて、すごく絶景でしたから、それ以後チャンピオン戦でこのことをするようになりました。
情報元 URL

※投げた後のリボンは掃除がすごく大変です。

03. チアガールズ

今回の WBCで台湾のチアガールズが世界で話題になりました。
でもこれは 2013年以後から始まりました。

2013年前は、太鼓、スピーカー、笛、チアスティックをもって、ずっと大声を叫んで、選手の応援をしました。
下記は 2010 年の応援録画です。画質が悪いですが…

下記は 2013年 WBC の応援録画です。

チアガールズについては、

2012年10月のアジアシリーズ(日本・韓国・台湾・中国・オーストラリアの野球リーグで優勝したチームでの戦い)で、
当時 Lamigo (現在楽天モンキーズ) の社長が韓国へ観戦に行ったとき、韓国チアガールズの熱い応援方法にすごくショックを受けました。
翌年から Lamigo は同じことを開始しました。

最初はすごくバカされましたが、観戦チケットの販売に効果があったから、それ以来、他のチームもチアガールズを作りました。

結論

今回は台湾の野球を紹介しました、
台湾の国技は野球です、昔から野球をやってきました。

弊社は ACCESS AP TAIWAN、台湾・香港・シンガポールでリピート通販システム提供するサービスです。

台湾人は新しい文化でも受け入れることができます
(例:リボン投げる・チアガールズ…とか)
新しい商品・売り方を台湾で売ってもいかがでしょうか?

次回からは「台湾の野球賭博事件」を紹介します。
よろしくお願いします。

2023/04/13 木曜日 16:25
TOMMY WU
ACCESS AP TAIWAN オフィス

この記事が参加している募集

#企業のnote

with note pro

12,365件

#野球が好き

11,049件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?