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ヴィジュアル系バンド・ボーカルの死と、ファン

IQ5

僕はヴィジュアル系バンドが好きだ。

ヴィジュアル系バンド(以下、V系バンド)とは、ド派手な衣装に身を包み、顔は白塗り、床まで達さんばかりの長髪のカツラと言った具合に、バンドによって魅せ方は様々だが、視覚表現に重きを置いた音楽グループのことである。

音楽性については、主として退廃的な雰囲気を醸し出し、また歌詞も、死や戦争、妊娠中絶、差別と言った重く、扱い辛いテーマで、厭世観に満ちたものが多い。

そのためか、V系バンドマンにはメンヘラが多い。また、それを好むファンも大体がメンヘラと言っても過言ではない。

僕が今回ここで取り上げるのは、とあるV系バンドのボーカルの死である。

彼もまたメンヘラだった。心が弱く、自殺しようと考えたことは以前にも何度もあったと言う。その弱さは、彼が元々持っていた持病に寄るところが大きいのかもしれない。

しかし、彼は懸命に生きようとしていた。ある曲では、こう叫んでいる。

後ろは見るな もう一度言うよ
後ろは見るな
死への欲望にサヨナラ
迷いは消えた
怖い今を暗い今を黒い今を越えろ

死にたいと言う思いを断ちきれ。今を越えろ。聴いてるこちらが恥ずかしくなるぐらい、どストレートな歌詞ではあるが、彼は辛くても苦しくても惨めでも、今を乗り越え、生きることを必死に訴える。これらの言葉は、弱くて脆い僕らに向けられているのだ。

そんな彼が死んでしまった。自殺とも事故死とも言われているが、警察は自殺と判断したようだ。

自殺なのか事故死なのかは大変重要な問題だ。しかし真実はこれから先もずっと不明なままだろう。また、事故死と言っても、彼自身の過失によるものだ。自殺と表現しても差し支えないように思う。それとは別としてファンは自殺を否定し続けるだろう。

ともかく、彼は死んだ。この事実は揺るがない。

僕はこれを裏切り行為と思わずにはいられない。彼が死ぬことによって、残されたファンはどうなるのか。

youtubeには数多くの彼の動画がアップロードされている。コメント欄には、ファンの悲壮な叫び、感謝の言葉が綴られている。「○○が死んで、生きるのが辛いよ」「○○のおかげで、生きる希望を持つことができた」「ありがとう」。死人に向けたものとして、これらは言ってしまえば順当な反応である。

けれどもどうだろう?彼は死んだのだ。事故とも自殺とも分からない方法で、彼は人生からドロップアウトする道を選んでしまった。自ら生を諦めるとは、生は全うするほどの価値を持っていないと宣言することに等しい。彼は最後の最期で、人生に対し、ある重大で尊重すべき決定的な結論を出したのではないか?

それに対し、「○○のおかげで、生きる希望が持てました」と言っているのだとすれば、随分的外れで間の抜けた反応のように思えてくる。何故なら「死ぬべきだ」と主張する人間から「生きるべき」だと諭されたと言うに等しいからだ。無論彼を反面教師として捉え、ファン達はこれらコメントを残したわけではない。そのままの意味で、純粋な感謝として表現したはずだ。

何かがズレている。

けれどもそれとは別として、彼が死んだ事実は、非常に悲しいことだ。

僕はこれからも、彼が残したメッセージを再生し、耳を傾け、(死を選んた者からという意味で矛盾しているかもしれないが)『元気』をもらい続けることになるのだろう。それは他のファンとて同じことだ。

ただ忘れてはいけない。彼は死んだ。彼は死んでしまったのだ。そして、彼はやはり自ら死を選んでしまったのではないか。この疑念は、どんなに追い払い否定したくとも、僕らに重くのし掛かり続けていくのだろう。

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