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社会にいるという錯覚

もうお正月も終わったが、去年のクリスマスの話をしたい。
クリスマスイブの日、私はアルバイトを終えた後、一人で街に繰り出した。
道行くカップルや家族を横目にしながら、夕日の見える海まで行って、買ったばかりのフィルムカメラで写真を撮ったりした。一人で映画も観た。
そして帰りに予約していたケーキを取りにいった。
安くてでかいヤマザキパンのケーキである。別に予約なんてしなくても買えるのだが、当日になってやっぱいいやとなることが多い私なので、予約して逃げ道をなくしておいたのである。
暗い夜道を、ヤマザキパンの工場の最寄りのデイリーヤマザキまで歩いた。思えば初めてクリスマスの夜にちゃんとしたケーキを買ったと思う。その前はスーパーで売れ残っていたケーキを買ったし、その前はもう覚えていない。元カノと食事をして、ケーキはどうしたんだっけ。
デイリーヤマザキは混んでいた。混んでいたのは店内ではなく、ケーキの外売りをしている駐車場である。サンタの格好をした店員たちが、声を張り上げながらケーキを売っていた。その周りには様々な年齢層の人々がいて、どのケーキにしようかなとか、へえこんなのあるんだとか色々言っていた。
私もその中に混じってケーキを物色したのち、予約したケーキを受け取った。赤い帽子をかぶったレジのお姉さんが笑顔でケーキを渡してくれた。
ケーキを買っている人はみんな幸福そうに見える。
店を出て、購入した5号のホールケーキをぶら下げながら歩く。外は寒くて、空気が澄んでいた。いつもより電車の音が響いているような気がする。ふと、他にもケーキらしきものを手に提げながら歩いている人々に気づく。ケーキを自転車のカゴに入れて、慎重にペダルを漕いでいる親子がいた。一人で歩いている学生の買い物袋の中に、小さなケーキが見えた。
その瞬間、とてつもなく奇妙な安堵を感じた。
自分が社会の中でなんの齟齬もなく生きており、今確かにここにいていいんだという安堵である。
なんだか居場所を与えられたような気がした。
友達も少なく、恋人もおらず、ただお金を稼いで、研究をしているだけの日々を過ごしている私にとって、社会との繋がりは極めて希薄だ。
そもそも自分を社会の一員だと思えていないし、つまはじきにされないようにビクビクしながら必死で演技をしているに過ぎない。
だけどクリスマスケーキを買ってイブの街を歩いていると、そのような気持ちがなんとなく薄らいで、奇妙な安心感に包まれた。
それはクリスマスに限った話ではなく、例えば仕事終わりの混雑したスーパーだったり、用事が終わって帰る時の帰宅ラッシュだったり、スーツを着て街を歩いている瞬間だったりもする。
そのような時、この社会にいてもいいんだという錯覚をする。
その感覚がとても好きで、だから私は、夏祭りやクリスマスなどのイベントは積極的に楽しむようにしている。
まあ、所詮錯覚に過ぎないのだけれど。
そんな錯覚を楽しめるくらいには、大人になれたのだと思いたい。

クリスマスイブに撮った夕焼け


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