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アオアシに学ぶ「思考」

最近店長の勧めで『アオアシ』を読んだのだが、面白すぎて既に2周した。アニメも観た。ほんでボロボロに泣いた。
最近サッカーブームで、例に漏れず私もW杯を楽しんで、『ブルーロック』を毎週楽しみにしているのだが、もう『アオアシ』は別格だと思う。
(私は本屋で働いているくらい漫画や小説が好きなのだが、これはもう本当にオススメできる漫画なのである)
ここでいくらでも魅力を語ろうと思えば語れるのだが、それではただの長文noteになってしまいそうなので、私が感激した名言を3位まで選んで魅力を語っていきたい。
まずは第3位。

強豪を見て自信喪失した葦人だが…

次に当たる強豪の試合を観に行った主人公が、その圧倒的な力量の差を前に「自分はそうなれない」と落ち込むシーンである。
自分がどうしようもない状況に立たされ、自信を喪失したとき、そこでただ落ち込んで終わるのか。それでいいのか。
いや、そうではない。そのような状況に立ったときに、「じゃあ、どうするのか?」と考えることこそが重要なのだ。目指す先は一つでも、方法は千差万別で、それぞれにあったやり方がある。常に考え続けることの重要性を、アオアシは教えてくれる。
この「考えること」というのは、アオアシの大きなテーマである。それは第2位に繋がってくる。


序盤の超有名なシーン

まず主人公の青井葦人という名前は、このパスカルの台詞から取られている。これを読んでくれている人も、小学校の教科書とかで読んだ事のあるフレーズなのではないだろうか。
「考えて、考えて、考え続ける」ことが、この漫画の大きなテーマだ。
サッカーというスポーツに限らず、自分が窮地に立たされた時の「インテリジェンス」はどんな時でも有効だ。人間は身体能力ではなく、思考によって生存競争に勝ったのだから。思考こそが、人間が唯一持っている特権的な能力なのだから。
漫画に話を戻そう。この漫画の監督の福田という人物は、「教える」ということを簡単にはしない。常に選手一人一人に考えさせ、自分で答えを見つけさせようとする。その様子は時としてひどく残酷にも見える。だが、そのような思考の末に辿り着いて掴んだ答えこそが、本当の意味で自分の血肉になるのだ。
葦人は、漫画の途中で大きな挫折を味わうのだが、決して自暴自棄にならず、自分で考えて考え続けて、選手として、一人の人間として成長していく。その成長速度は圧倒的だ。彼の活躍は、読者に「思考」の大切さを実感させてくれる。

そして映えある第1位はこの台詞だ。

身体の大きい選手になりたい?

これは個人的なコンプレックスも含まれている。
私は身長170センチで、日本人の平均身長より少し小さい。もちろん、すごく小さいというわけではないのだが、スポーツの世界でこの身長はかなり小さい。自分の身長がもう伸びないのだと悟った時はかなり絶望したものだ。それから、身体の大きな選手を見ると「羨ましい」と思うようになり、勝手に嫉妬したり、絶望したりしていた。
主人公の葦人もそうである。彼の身体は生まれつき「フォワードに向いていない」身体であるとされ、作中でもフィジカルが特別強い選手として描かれていない。むしろ、フィジカルが強い選手にはかなり劣る選手として描かれている。
作中で葦人はその壁に当たり、もっと身体の大きい選手だったらなと思う。
だがそんな葦人に向かって、ヒロインは「その体だから、今の君がある」と言うのだ。その体じゃなければ、もしかしたらフィジカル任せの選手になっていたのかもしれない、考えない選手だったかもしれない、と。
これは第2位第3位の台詞にも繋がっているものだろう。自分にないものを求めるのではなく、それを認めた上で、「だからどうするのか」を「考える」。
これは身長が足りないからと短絡的に絶望した私自身にも刺さる台詞だった。自分の現状を認めた上での、その先の「思考」。
アイシールド21にも似たような台詞がある。

アイシールド21

自分が今持っているもので、「最強の闘い方」を考えて、見つけていく。「ないもんねだりしているヒマ」は我々にはないのだ。

以上がアオアシで私が感激した台詞たちである。
こうして見ると、全てヒロインの台詞だということに気がついた。この漫画は、ヒロインと主人公の関係性も素敵なのだ。ただイチャイチャしたり、喧嘩したりするのではない。それぞれに夢があって、譲れないものがあるからこその関係性がある。そうした点もアオアシの魅力だろう。
このnoteを読んで、もしアオアシが気になったのなら、是非とも読んでいただきたいと思う。

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