すべては一人から始まる
”ビックアイデアに向かって人と組織が動き出す「ソース原理」の力”
は、物理の振動子のアナロジーで読み解いてみよう
概要
ビジョンの実現にむけて、一番はじめにリスクをとってアクションしたいいだしっぺの熱量が伝染し、人々が巻き込まれ、動き出していくメカニズムのコンセプト説明書
きっかけ
サブタイトルの通り、自分がソースになっているかもしれないと思ってしまい、本当にそうなのか確かめてみたくなった
読後記
結論、私はソースではなく、サブソースだろう。いつもソースの描くビジョンの中で一生懸命活動しているから。
「一番はじめにリスクをとってアクションした言い出しっぺ(ファーストペンギン、やる気のある人、熱を帯びた人)」のことをソースと読みかえられるだろう。終始、人間関係の中での現象を説明するもの。ノウハウを望む人は手に取らないほうがよさそう。
競合ひしめく組織に関する書籍の中で注目される理由は、人のダイナミクスを記述したところだろう。
個人が独立した存在であり、周囲との関係性の中で変わることのない存在として認識されている個人主義に立脚した概念から見ると、画期的な視点に見えるに違いない。ただ、関係の中で主語さえ変わる日本語の文化圏にいる私たちにとって、個人の存在が揺らぐ(例えば、既婚女性の教師が日常的に「私は」「先生は」「お母さんは」、場面に合わせて主語を使い分ける)のは日常で疑うことでもない。その分、新鮮味は欠ける。詳しくは「木を見る西洋人 森を見る東洋人」を読んでもらうことにする。
このコンセプトの新しさは、あるべき姿を決定論ではなく、確率論で組み立てようとするところにある。確率論だということは簡単でも、論を組み立てに行こうとするところが一味ちがう。
ソース(言い出しっぺ)自体が迷い、揺らぐ存在であり、そのような存在がどのような条件で周囲を巻き込みながら、結果的にリードする存在(=結果的にリーダー)になるのかを説明しようとする。
ただ、決定論で語られないだけに捉えどころがなく、すんなり頭に入ってこない。確率論で組み立てようとしているから。
どのように学び、再現すればよいか、戸惑いながら読み進めていかざるを得なかった。しかし、ビジョンに完全に内包、または、ビジョンから完全に逸脱した人が、周囲の人々を巻き込む存在(=サブソース)となり、人々が有機的につながっていく、という一節から、振動子の同期現象を思い出した。いわゆる、公園のブランコが気が付いた同期して揺れているという話。蛍の明滅でもいい。詳しくは「同期現象研究の広がり」などを参照されたい。
その場の中か、場そのものに外から影響を与える状態が同期現象を引き起こしやすい、というのは直観的でわかりやすい。振動子でも似た概念が登場する。
言い換えると、振動子の同期が起こりうる条件を人間関係に当てはめて考えたときに、どのような状態になるか予見してみよう、という話に読みかえることができよう。
強い振動源(=ソース)がビジョンを実現し、興味を失うと振動が小さく、少なくなっていく(=エネルギーを失う)。その振動は周囲に伝わる。ソースがエネルギーを失う中で、サブソースがエネルギーを得て、広く、大きく振動すると、サブソースがソースが覆っていた範囲をカバーするようになる、と説明できる。共感(=共振)する条件は?ソースが複数あると同期するのか?なども説明できるだろう。
始めるリスクを取るソースを潰さず、ソースを活かすためにできることをサブソースが学び、サブソースがいかにふるまうのかを学ぶ書籍と示唆しできるだろう。
(おわり)
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