不思議なおじいさんと大久保の人情
数年前の誕生日祝いの帰りに、不思議なおじいさんを見かけました。
新宿の新大久保駅近く。大久保通り沿いの店影のゴミ置き場で、屈んだ奇妙な体勢で立ち止まっているのです。
手元だけが僅かに動いていて、片手で折り畳まれた段ボール箱を抱え込もうとしています。
そして、もう片方の手には四点杖。
普通ではない様子に、お節介な私は思わず見つめました。
しばらくすると、四点杖がパタンと倒れ、おじいさんもガクンとさらに屈んでしまいました。
えー!と驚きながら走り寄り「大丈夫なんですか?」と訊くと、「起こしてくれぃー」と言います。
私一人では無理かと思い、他に助けを求めようともしましたが、おじいさんを暫くそのままにするのも危ない感じ。
仕方ないので、おじいさんの背負っていたデイバッグの持ち手を持って引っ張り上げてあげてみたら、おじいさんは意外に軽く持ち上がります。
「あー、助かったー助かったー」と言うおじいさん。
四点杖と段ボールを持たせて、ふと近くを見ると、ブルガリの手提げ紙袋が落ちています。
「これは?」と訊ねると「それも……拾ってくれー」と言うので、拾って持たせてあげました。
「これで大丈夫かな? 怪我はしてないよね?」と訊ねて、よくよくそのおじいさんを見ると、目の下には紫斑があり、口の周りは唾液の泡が固まっていて、眉毛には黒いかさぶたがあり、首の後ろにも酷い傷がありましたが手当てがしてありました。なのに、ツイードのジャケットやデニムパンツも皺一つなく綺麗な物なのです。
「何処に行くの? 大丈夫?」と訊くと大丈夫だと言うので、では少し離れて見守ると、おじいさんはすぐに歩みが止まったり、持ち物を落としたり、杖を倒したり倒れ込んでしまいます。
その度に私は走り寄り、持ち物や杖を持ち直させて助け起こしましたが、この調子じゃ、おじいさんは全然進めそうにありません。
明らかに段ボールを持つのが無理そうなので「この段ボール必要なのかな?」と訊くと「お友達が風除けに使うから持って行くの」と言います。おじいさんはホームレスなのでしょうか?
「何処に行きたいのかな? おうちに帰るの? ご家族は?」と訊くと、ブルガリの紙袋から定期券入れのような物を取り出して、住民基本台帳カードを私に見せました。どうやら近くに自宅があるものの家族は居ないようです。
「よし、じゃあ、この段ボール、私が持ってあげるよ。近いんでしょう?」と訊くと、申し訳なさそうに「20〜30分ぐらい……結構かかるよぉー」と言います。きっとこのおじいさんの歩みではそのぐらいかかるのでしょうが、住所的にも実際は近いのでしょう。
まあ予定も無いし、そのぐらいは付き添ってもいいや、と覚悟を決めたものの、その地点から、おじいさんの歩みが殆ど進みません……。やっぱりすぐに倒れ込んでしまうのです。
少し後ろに40〜50代ぐらいの男性が立ち止まってこちらを見ていました。
「知らない方なんですけど、すぐに倒れてしまうんですよ」と話し掛けてみると「おじいさん、さっき100円ショップに居たよね? 座り込んでて大丈夫なのかなぁと思ってたんだけど……歩けないなら背負ってやろうか?」と言います。
おじいさんは何かを話すものの、よく解りません。しばらくの問答のうちに、男性が「じゃあ、タクシーなら乗れるかな?」と訊くと、おじいさんは「うん」と言います。
男性が「じゃあお金は払ってあげるから、タクシーに乗って帰りなさい」と言います。なんて親切な方なんでしょう! 私は早速タクシーを呼び止めました。
タクシーはすぐに寄せて来てドアを開けたので、「あのー、おじいさんなんですけど、歩けないみたいなので……」と説明すると、運転手は「ああ、いいよ」と言います。
早速乗せようとすると「一人じゃないんでしょ?一人じゃないんでしょ?」とせっかちに問い質して来ます。
私は「ええと、知らない人なんですけど……。でも、お金はあの男性が払いますので」と答えると、運転手が「一人じゃダメだよ!」と言います。
しかたなく男性に「一人じゃダメで、付き添わないと、って言ってるんですけど……」と恐る恐る伝えると、「ああ、俺が一緒に乗るよ! いいよ!」と言って呉れました。
お節介極まる私を上回る、まさかそこまで親切な方が居るとは! と驚き感動しました。
運転手は「それならいい」と言うので、男性がおじいさんをタクシーに乗せようと一生懸命補助しました。でも、おじいさんはよろけてしまいます。
するとその様子を見て、運転手はヒステリックに「ああ! あんなんじゃダメだよ!」と急にドアをバタンと閉めて走り去ってしまいました。せっかくの親切な男性の申し出だったのに……。
その後もすぐに倒れ込んでしまうおじいさんを男性と私で助け起こしていると、若者が寄って来て小指と親指を立てて電話をかける身振りをしながら「救急車呼ぶ?」と訊いて来ます。
「ううん、病気じゃないの。知らない人なんだけど歩けないみたいなの。すぐ倒れちゃうの。あの近くの派出所に声をかけて貰えると助かるのですが」と答えると、「OK!」と若者は走り出しました。
韓流ファンっぽい女性二人組(親子?)がやって来て「救急車を呼ばなくて大丈夫なのですか?」と聞いてきました。
「病気じゃないんです。今、若い男性に派出所のお巡りさんを呼んで貰っているのです」と答えると、女性二人組は派出所に向かった若者を訪ねに行き、わざわざ状況を知らせに戻って来てくれました。「派出所に人が居ないから、派出所の電話から救急車を呼んだらしいですよ」
するとおじいさんは「救急車はダメだ!」と言うのです。「救急車は使っちゃダメって前に怒られたから。派出所と救急車に4回お世話になって、もう使わないって約束したから。だからダメだよ! 離せ!」と急に興奮し出しました。
しかし、離すとまた倒れそうなのです。
もしかして、この辺りのお騒がせおじいさんとして知られた存在なのでしょうか?
そうこうするうちに、ようやく警察官2名が来ました。
おじいさんは「ダメだよ! 離せ!」とますます興奮します。
「前に怒られたかも知れないけど、私がお話ししてみますから」とおじいさんに言い聞かせ、若い方のお巡りさんに「おじいさんは警察と救急車は前に怒られたから呼ぶなって言うんですけど、全然歩けなくて何度も倒れてしまうので……」と事情を伝えました。
若いお巡りさんは空気を読んで「おじいさん、じゃあ今日は内緒でおうちまで連れて行ってあげるよ!」と優しい声色で話し掛けます。
おじいさんが「怒られるからヤダよ!」と言うと「おうちを知られたくないなら、おうちの近くまでにするからさ。それなら大丈夫でしょ?」と。
おじいさんは安心したのか、ようやく警察車に乗り込みました。
しかし、おじいさんはその途端に「早く連れてってくれよ! 早くしろよ!」と横柄になりました……。
兎にも角にも、私達のお役目はこれで終わり。タクシー料金を負担し付き添いまですると申し出てくださった大変優しい男性にお礼を言って、おじいさんを見送りました。
これからの高齢化社会、私もそうだけど、歳をとって歩けなくなったら、いったいどうするんだろう? 老いて孤独になっても生きてゆけるのかな? と、この出来事と誕生日をきっかけに歳をとる事について考えました。
そして、こんな都会でも優しい人達はこんなに何人も居る事に驚き、人生捨てたものじゃないのかも、と思いました。
おじいちゃん元気かな? どうか長生きされていますように。