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『人間の建設』No.25 破壊だけの自然科学 №1
小林 たとえばアインシュシュタインが物理学者としてある発見をする。発見はしたが順序だてて表現できていないものを数学者が表現してやるということが数学にはあるのですか。
岡 アインシュタインのしたことについて一番問題になりますのは、それまで直線的に無限大の速さで進む光というものがあると物理で思っていたのを、否定したのです。それを否定して、しかしいろいろな物理的な公理をそのまま残したのですね。
小林さんが、物理学者の考えていること表現したいことを、数学者が代わってやることの可能性を岡さんに聞きます。
岡さんはまず、アインシュタインの成果について、それが物理学に与えた影響を述べていきます。
光が、それまで物理学者が考えていたようなもの、つまり直線的に進んだり、無限の速度を有するものではなかったことがわかりました。
アインシュタインは「在来の光というものを否定した」。この意味を岡さんはこう説明します「物理の公理体系が残っても、実験的には確かめることのできないものに変わってしまったのです」。
「物理的公理体系ではなくなったのです。これはなんと言いますか、観念的公理体系、哲学的公理体系というようなものにかわってしまいます」。
このことを、数学者は問題視しているということです。岡さんによれば、現在の公理体系を再び物理的公理体系に構築しなおすことはできそうにもない、と否定的です。
さらに、「現在の物理学は数学者が数学的に批判すれば、物理学ではない」。哲学の一種のような状態なので「それ以上立ち入って理論物理のことをやろうとしている数学者はあまりいないでしょう」とのことです。
この対談からほぼ60年たった今、物理学の世界はどのような現状なのでしょうか。観念的、哲学的物理学という、岡さんの批判にこたえることができているでしょうか。乗り越えられたのでしょうか。
現今のノーベル賞や、物理学上の発見などの報道など見るにつけ、物理学は日々進歩しているように、われわれ素人目には見えるのですが。
――つづく――
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※mitsuki sora さんの画像をお借りしました。
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