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1993年のオーストリア・モーツァルト №1〈たびだち №1〉

1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。

たびだち♪ №1

1993(平成5)年7月11日(日)(※1)(出発、大阪空港、旅程図)

  7時起床。
  7時40分ごろ自宅を出発。
  バスで最寄り駅へ行き急行でターミナル駅へ。
  大阪地下鉄御堂筋線で新大阪駅へ。
  新大阪駅前から空港バスで大阪空港へ(※2)。着9時40分頃。
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 SQ(シンガポール航空)(※3)のカウンターで搭乗手続きのために20分くらい並んだ。エコノミークラスはきびしいのだ。フィルム11本分支払ったが、現物を受け取ることを忘れて5分くらいたってから気がついてあわてて売店へ引き返した。最初の失敗だ。

〈日本~オーストリアの往復の道すじ〉
行き:日本 ⇒(経由)シンガポール、チューリッヒ ⇒ オーストリア(ザルツブルク)
帰り:オーストリア(ウィーン)⇒(経由)シンガポール ⇒ 日本


 喫茶店でサンドイッチとミルクをとって出発ロビーへむかう。その途中で思いだしてオーストリアシリングへの両替(※4)をしようとカウンターへ行ったが千円分ほどしかないとのことだった。それでも無いよりはましと思い替えてもらった。

〈オーストリア国内旅行の道すじ〉
ザルツブルク ⇒ ザルツ・カンマーグート(ザンクト・ギルゲン ⇒ ザンクト・ヴォルフガンク ⇒ ハルシュタット)⇒ (経由)リンツ ⇒ ウィーン


「円」より相当小ぶりな札と小銭少々。JCBキャッシングで2万円ひきだした。結局トラベラーチェックで十万円分、日本円で5万円余、オーストリアシリングで千円の所持金である。マスターとJCBのカードを持っていくからダイジョウブイ。(※5)


――つづく――

※1 日本時間です。

※2 大阪空港=大阪国際空港、通称伊丹空港。「関西空港」開港の1994年以前は国内便・国際便とも伊丹空港発着でした。以降、国内線の拠点空港として「大阪国際空港」の名称で存続しました。

※3 シンガポール航空は、当時も人気の航空会社でサービスが評判でした。また、スチュワーデスは民族衣装を着て、これも人気に一役買っていました。

イギリス・スカイトラックス社による航空会社の格付けで、実質最高評価の「ザ・ワールド・ファイブ・スター・エアラインズ(The World's 5-Star Airlines)」の認定を得ている。シンガポールを代表する大企業の一つで、シンガポール・チャンギ国際空港をハブ空港とするシンガポールの「フラッグ・キャリア」である。またアジアのみならず世界でも有数の規模を持つ航空会社でもある。

ウィキペディア

※4 オーストリアシリング 当時は、EUの共通通貨ユーロの登場前でしたので、国別に通貨を発行していました。1シリングが当時、約10円で計算が簡単でした。補助通貨単位は「グロッシェン」で、1シリングが100グロッシェン。

※5 ダイジョウブイ(大丈V) 当時の流行語になった、大手製薬会社のドリンクのCMのキャッチコピーです。宮沢りえさんとアーノルド・シュワルツェネッガーさんの共演で連呼していました。

「大丈夫」と英語の「V」をかけた言葉である。基本的には「大丈夫」と同意だが、……大抵はVサインを出しながら言う。インターネット上では大丈v(^-^)vと、顔文字を絡めた形を使うこともあるが、基本的には死語、または昭和世代の親父ギャグという扱いになっている。

日本語俗語辞書



※標題画像は、モーツァルト生家の看板です。

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