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1993年のオーストリア・モーツァルト №4〈たびだち №4〉

1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。

たびだち♪ №4

1993(平成5)年7月11日(日)のつづき(チャンギあれこれ、旅行計画書)

 うろちょろうろちょろあっちの店こっちの店とただ見をしたり、待合室のシートでボケっとしたり。

 コーラを飲みたくなったので、場所を聞こうと、てっきり日本人だと思いこんでおばちゃん(※1)に声を掛けたら日本語が通じなかった。失敗。
 自分で探してドリンクスタンドへ行ったら、こんどは店員の言っている英語の金額が聴き取れない(※2)。何回も聴き直したので自分ながらうんざりした。結局2ドル85セントだった。

〈旅行計画表〉
青枠は、旅行社のTさんに手配してもらった航空券と宿泊 赤枠は事前に立てたルート計画
実際には、インスブルックへは行かずドナウの船旅もしませんでした
ひとり旅は気持ち一つ、都合二つで予定変更はつきものです
(もと資料の手書き文字を活字に置き換えてあります)


 ふと梅干をなめたくなったが、あいにく手荷物鞄に入れ替えてなかったのでお預け。ここでは消火器の色がグリーンだ(※3)。関係ないけど。


――つづく――

※1   どこかのお国の東洋人でした。おばちゃんには違いなかったです。

※2 3ドル位出してお釣りはチップで渡せばよかった、と後で思いました。おかげで、オーストリアではイメージ通りにチップを連発しました。

※3 ほのおの赤い色の反対色はグリーン。火事の現場では目立つということを聞いたことがあります。関係ないけど。笑



※標題画像は、モーツァルト生家の看板です。

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