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1993年のオーストリア・モーツァルト №17〈ザルツブルク №9〉

1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。

ザルツブルク♪ №9(モーツァルトの住家などを訪れる)

1993(平成5)年7月13日(火)つづき

〈ザルツブルク新市街 散策〉
新市街は、ザルツァッハ川の右岸をいいます(ミラベル宮殿のある方)
旧市街側からは徒歩で橋を渡っていきます

 昼食は生家の裏手、つまり「大学広場」の青空市場でハムサンドとジュースの立ち食い。これがまたおいしい。ついでに、「カフェモーツァルト」でコーヒーを飲み元気をつけた。(※1)

〈ザルツブルク旧市街 散策〉
Cafe Mozart(カフィェ モーツァルト)「カフェモーツァルト」
〈ザルツブルク旧市街 散策〉
「カフェモーツァルト」への階段

 マカルト橋を〈新市街〉の方へ渡った。「モーツァルトの住家」へ。ここは生家の展示ほど系統だっていない。これから何年もかかって充実していくとのこと。(※2)

〈ザルツブルク新市街 散策〉
(上の写真)モーツァルトの住家
元の建物は今の倍近い大きさだったのが第二次大戦で右半分が空爆で破壊されました
空き地となった場所にグレーの建物ができましたがあまり見栄えが良くありませんね

(下の写真)
裏庭は人もいず静かでした

〈ザルツブルク新市街 散策〉
(上の写真)モーツァルトの住家
元は立派な建物だったのがいまは窮屈な様子です

(下の写真)
記念プレートには日本企業の名前も

 そこを出、「三位一体教会」などを写真に撮り、次に「ミラベル宮殿」へ。美しい庭園、建物内にも入って「大理石の間」を見た。(※3)

〈ザルツブルク新市街 散策〉
「三位一体教会」
ミラベル庭園も設計したオーストリア・バロック建築の巨匠ヨハン・フィッシャー・エルラッハにより設計されたとのこと
〈ザルツブルク新市街 散策〉
(上の写真)人気のスポット「ミラベル宮殿」は「三位一体教会」と共に
オーストリア・バロック建築の巨匠ヨハン・フィッシャー・エルラッハにより設計されました

(下の写真)ミラベル宮殿から望む「ホーエン・ザルツブルク城」

 またここからは、「ザルツブルク城」の全容を遠くに見ることができる。宮殿の裏は少し高くなっていて散策ができるよう、道がつけてあった。(※4)

〈ザルツブルク新市街 散策〉
(上の写真)「ミラベル宮殿」の門
門の左右の像はたしか、映画「サウンド・オブ・ミュージック」で観た覚えが
(下の写真)ミラベル宮殿の裏の庭園には遊歩道があってわきには小人像が並んでいました

「モーツァルテウム」「マリオネット劇場」など写真に収めた。「魔笛の家」を探したがどうしてもわからなかった。(※5)


〈ザルツブルク新市街 散策〉
(上の写真)「モーツァルテウム」音楽の殿堂
世界中から留学生もたくさん

(下の写真)建物の前の樹木と植え込み
自転車がカッコいい


〈ザルツブルク新市街 散策〉
(上の写真)Salzbruger Marionettenntearter(ザルツブルガ― マリオネッテン ティアーター)
「ザルツブルクマリオネット劇場」ウィンドーと人形の展示
Die Zauberflöte ist Wunderbar !(ディー ツァウバーフリューテ イスト ヴンダバ―ㇽ!)
魔笛は素晴らしい!

(下の写真)マリオネット劇場の外観


〈ザルツブルク新市街 散策〉
新市街で入ったみやげ物屋さんのかわいい人形たち
奥には木板の四季の絵
Sommer(ゾンマー)夏と、Winter(ヴィンター)冬が見えます
Frühling(フリュリング)春と、Herbst(ヘアプストゥ)秋はカーテンの陰になっています

――つづく――

※1 名物スイーツ「ザルツブルガーノッケル」は残念ながら食べませんでした。

※2 ザルツァッハ川の、左岸が旧市街、右岸が新市街にあたります。いくつか橋があって徒歩や車で渡ります。
 モーツァルトの住家は、彼が17歳から24歳まで過ごした家。その修復事業には、日本の生命保険会社が文化事業として支援をしました。修復後の美しい住家をこちらで観ることができます。

※3 とても美しい「ミラベル宮殿」は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台にもなったゆかりの場所です。

この宮殿は、1606年に大司教ヴォルフ・ディートリヒが愛人と子供たちのために建てたもので、最初は愛人サロメ・アルトの名前をとって「アルトナウ宮殿」と呼ばれていました。この宮殿が女性らしい趣を漂わせているのは、このような経緯があるからでしょうか、、、。 しかし、大司教といえども聖職者。当時の大司教は絶大な権力を握っていましたが、さすがに愛人のための宮殿建築には非難が集まったそうです。「ミラベル宮殿」の名は、後継者の大司教シティカスが改名したもので、「美しい眺め」という意味です。

どらまちっく・ひすとりー 旅とともに

※4 ミラベル宮殿は庭園も広くて、観光客でいっぱいでした。あとで私も宮殿コンサートへも行くことになります。

ミラベル宮殿は、現在はザルツブルク市長公邸として用いられています。2階には壮麗な「マルモーア・ザール(大理石の間)」があり、モーツァルト親子もここで演奏を行っていました。2階にのぼる階段は「天使の階段」と呼ばれ、1723年にラファエル・ドナーによって造られたものです。このミラベル宮殿のマーブルホールでは、今なおコンサートが開催されている人気スポットです。

Cool-Austria

※5 モーツァルテウム (Mozarteum) は、オーストリアのザルツブルクにある団体で、名称はザルツブルク出身の大作曲家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに由来する。現在、ザルツブルク・モーツァルテウム大学
国際モーツァルテウム財団、モーツァルテウム管弦楽団の3つの団体が活動している。(ウィキペディア)



※標題画像は、モーツァルト生家の看板です。

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