『人間の建設』No.26 破壊だけの自然科学 №2
前段で、岡さんはアインシュタインが光の存在を否定したことを前提に「現在の物理学は数学者が数学的に批判すれば、物理学ではない」としました。観念的公理体系、哲学的公理体系というものにかわってしまったから。
さらに岡さんは、理論物理学がしていることは、破壊とか機械操作であり、建設ということを何もしていない、とつづけます。
機械操作というのはこのあと岡さんの話で出てくるのですが、自動車や汽船や電車の発明のようなことです。ここでも、破壊か機械操作しかしていないと、現代物理学を批判します。
そして、岡さんは科学文明とは、建設ではなくて殆どみな借りものだと言います。「石炭、石油。これらはみなかつて植物が葉緑素によってつくられたものですね。……このまま掘り進んだら、すぐになくなってしまいそうなものですね」。
さて、前回と同じ問いになりますが、この対談からほぼ60年たった今、物理学の世界はどのような現状なのでしょうか。
岡さんの批判にこたえることができているでしょうか。乗り越えられたのでしょうか。
現代物理の最先端は、一般相対性理論と量子力学の両者に矛盾しない唯一の仮説と目される「超弦理論」(超ひも理論)だとどこかで聞きました。
それによれば、岡さんの言う建設というものを物理学は可能にできるのでしょうか。それとも、破壊や機械操作を続けていくのでしょうか。
あるいは、この理論も、岡さんの言う観念的公理体系、哲学的公理体系の生んだ、あだ花のようなものなのでしょうか。
――つづく――
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※mitsuki sora さんの画像をお借りしました。
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