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『人間の建設』No.27 破壊だけの自然科学 №3

岡 人が進化論だなどといって考えているものは、ほんの小さなもので、大自然は、もう一回りスケールが大きいものかもしれませんね。私のそういう空想を打ち消す力は今の世界では見当たりません。ともかく人類時代というものが始まれば、その時は腰をすえて、人間とはなにか、自分とは何か、人の心の一番根底はこれである、だからというところから考え直していくことです。そしてそれはおもしろいことだろうなと思います。

小林秀雄・岡潔著『人間の建設』

 前段までに岡さんは、理論物理学がしていることは、破壊とか機械操作であり、建設ということを何もしていない、と述べました。

 では、そのやり損ないや間違った方向を改めて、建設に向かって何をどう進めていくのかが問題になります。

 どう進めていくかに関しては、ここまでの対談の中で岡さんが示唆されてきたと思います。

 知性偏重の態度を改めて、まず「意義を良く考え、それが指示する通りにする」。個我の満足ではなく、携わる者皆の心が納得する方法、知情意のバランスを図って進めるということでしょうか。

 何を、ということに関して、岡さんは「人類時代」が始まれば、とことわりを入れたうえで話します。

 岡さんによれば今の「人類文化は生存競争を内容とする」野蛮で危うい「獣類時代」ということです。

 この表現で、わたしはパスカルの『パンセ』が言う、「人間は天使でも獣でもない。そして不幸にも、天使のふるまいをしようとすれば獣のふるまいをすることになるのだ」を思いだしました。

 さて、その「獣」を克服できて、いよいよ人類時代が始まったならば、「初めに人のこころというものをもっと科学しなければ」ならず「自然に対してももっと建設に目をむけるべきだと思います」と述べます。

 軌道修正ですね。抽象的な理論を幾重にも積みあげて、情=心、感情というものからかけ離れてしまった自然科学というものの再構築。まず一番身近な自分自身から建設的に始めようと、岡さんは提議します。

 しかし、岡さんは、今の人類文明の存続にたいして懐疑をあらわしています。そして、滅びることがあったら「20億年を繰り返してから」やり直せばいい、「やりそこなっているうちに、何か能力が得られて、そこを越えるというやり方です」という遠大な論を展開します。

 当時は原水爆の開発や、大国間の冷戦などの世界環境の深刻さが浮き彫りにされた時代でしたから、岡さんの杞憂ももっともだとうなづけます。

 対談から、約60年後の現代。大国の当事国は入れ替わりましたが、核の問題は解決するどころか、当時の威力の比ではない規模に拡大しています。われわれ自身が、獣類時代を脱したとも思えません。

 できることなら、いまの世界が滅びる前に、なんとか「人類時代」が到来して真に平和で建設的な科学の時代がきてほしいものだと私などは思います。夢でしょうか。

――つづく――


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※mitsuki sora さんの画像をお借りしました。


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