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連載小説『青年と女性達』-十二- お雪とおちゃらの邂逅(かいこう)



十二


 それからしばらったある日の事、純一が外から帰ると植永の婆さんが「お雪さんと、もう一人、おちゃらさんとやらがお待ちですよ」と云った。
「えっ、二人が……一緒に来たのですか」と純一が驚いて問う。
「いえ、おちゃらさんが先に来て待っている間に、今度はお雪さんが来たのです」と婆さんが応える「お雪さんに、先客がおありですよと伝えましたところ、構いませんという事だったのでねぇ」と少しばつが悪そうに婆さんが云う。

「ご免」と云ってふすまを開けた。部屋に這入はいると二人の客があちらとこちらに離れてお互いにあらぬ方を向いている。
「待たせました」と何方どちらへともなく云うと、二人が純一を見て云う。
「いえ」
「いいえ」
 そして又そっぽを向くといった具合。
 純一も所在なく黙って居る内に、お安が通い盆を持って部屋に這入はいって来て云った。
「まあまあ、お通夜でも御座いませんでしょうにお静かなこと。お口に合いますかしら、どうぞ」
と新しい茶と菓子を運んできて、冷めた茶を引いて部屋を出ようとした。

「今日は来られていたんですか」とお安に純一が問うた。
「ええ、お雪さんがぜひ付いて来て下さい……と云うのでお邪魔していますのよ」
 純一にはお安の話の前後が判然はんぜんとしなかったが、少し部屋に残っていて欲しい気がしたので話を続けた。
「ご主人の植永さんは息災そくさいでお変わりありませんか」
「ええ、お蔭様で」とお安が応えて「ほほっ」と口に手を添えて微笑ほほえんだ。
「どうかしましたか」と純一。
「いいえ、何もしませんのよ。ただ今朝の主人の事を思い出して」
「ご主人がどうかしたのですか」

「うちの主人はあんな顔をして結構気が小さいんですの。今朝も……」とお安の話が続く。こんな風にお安の話を聞くのも珍しい。その内容よりむしろ音調を聴き、お安の美しい顔を見ながら、いつぞやの瀬戸の言葉を思い出していた。純一はこんな時に不謹慎ふきんしんとも感じつつ思った。
 ――お安には坂井夫人とも異なる、色香と上品との女性美の均衡がある。眩しく包む後光すら感じる様だーー
 時間が止ったようにも感じた。お雪もおちゃらもお安の話にせられて聞き入っているのか静かだ。お安が「さて」と云って部屋を出て行った時純一は眼でお安を追いかけてその名を心で叫んでいた。

「純一さん」お雪とおちゃらがどちらからともなく口火を切った時純一も我に返った。
「あなたから話してはいかが」とおちゃらがお雪に云う。「あなた、大村さんとのお話はどうなの。ちまたではその話でもちきりなのよ。今更純一さんに何の御用かしら」
「そんな。あなたに何を話さなければならないの」とお雪も負けずに云い返す。「あなたこそ色々つやめいたお話が新聞にも載っているんじゃなくって」
「あんなの全部嘘よ。あたしを売り出そうとする宣伝だけの事よ」とおちゃらが反論する。「だって、あたし純一じゅんいっちゃんだけを想っているんだもの。世の中の他の男なんて眼じゃなくってよ」とおちゃらは純一のことを『ちゃん』付けで云って、お雪をギュッとにらむ。

「あなた、でも……芸者でしょ」とお雪。
「芸者がどうしたのよ。世間では近頃の女学生の品性下劣云々うんぬんでお偉い女史が嘆いているじゃない」とおちゃら。
 お雪が云う。「あれは一握りの不良な女生徒の行状をさも全体の事のように大袈裟おおげさに云っているのだわ」
おちゃらも云う。「芸者がみな芸者とは限らないわよ」
 何が何やら訳も分からなくなってきた。
 どこまでも平行で交わらない会話の行方を純一は遠い眼をして聞いているだけである。
 
 そして「何よ」「何さ」を切っ掛けとして、お雪とおちゃらの二人の間で言葉の応酬に止まらず、つかみ合いの喧嘩が始まった。純一は余程あわてたが「君たち、よしてくれ、止めろ」と叫ぶだけで実質何も出来ない。
 

――十三へ続く――




※画像はリカさんのものをお借りしました。

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