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『人間の建設』No.29 アインシュタインという人間 №2
小林 アインシュタインは、すでに27、8のときにああいう発見をして、それからあとはなにもしていないようですが、そういうことがあるのですか。
岡 理論物理学者は、一つの仕事をすると、あとやらないのがむしろ原則ではないでしょうか。幾幕かの理論物理という劇で、個々の理論物理学者は一つのシーンを受け持っている。その後はもうやらない。そんな気がします。
小林 ある幕に登場するわけですね。
岡 数学者はそうではない。その人のなかに数学の全体というものをもっている。自分の分野はしまいまでやります。物理学者とはちがうのです。
小林さんから見て、物理学者と数学者は近いものだと思うのでしょう。不肖わたしなどもおなじイメージをいだいています。
ところが、岡さんによれば両者には意外にもタイプのちがいが明確にあるというのですね。私のたとえがわるいかもしれませんが、物理学者は一発屋の派手好み。数学者はコツコツ歩む地味なやつ。
小林さんは、この対談のはじめのころから、自然科学の泰斗アインシュタインを正面に据えて、自然科学に通底する諸問題について、岡さんの考えを知ろうとしていろいろな質問をしたり意見をぶつけたりしてきました。
ところが、岡さんにしてみれば、物理学者と数学者は研究人生のタイプがちがう。数学者に物理学者のことを聞くのは、小林さんがそう思うほど的を射ていることではない。
つまり、岡さんは数学者としての良心からいえば、この問いにおいて自身が最適な応答者とは思わないというのが本音ではないでしょうか。物理学のことは物理学者に聞いてくれ、と。
一方、小林さんは、自然科学を論ずるに、自分が研究したアインシュタインの人となりや、哲学者ベルグソンとの衝突問題をよりどころにしたかった。
しかし、それを同業の物理学者に聞いたところで聞きたい答は出てこないだろう、たとえ少しぐらい(※1)「すれ違い」があっても、いや、なればこそ岡さんに聞きたいという、うがった考えがあったかもしれません。
数学は、あらゆる自然科学の基礎であり、数学から見た物理学といえば、だれをおいても岡さんだ、という考えもあったでしょう。
小林さんは、物理学ないしは自然科学への問題意識を自身で敷衍したかった。しかし、そうするには自分の専門の人文系とは余りに懸隔があるとわかっていた。この対談がいい機会なので、岡さんに解を求めたい気持ちがあったと私は想像します。
対談が進展する内に小林さんはうすうす岡さんの内心が透けて見えてくるのですが、それは想定内でした。
天才の対談を読むことはかくも一筋縄でいかない営みでしょうか。でも、そういう込み入ったところを読み解いていくのも、読書の醍醐味のひとつではないかと思いました。
――つづく――
※1 最近書店で目に留まった、新潮文庫版『人間の建設』の帯に「すれ違いの雑談か、世紀の対談か、判断はあなた次第」という意味が記されていたので、思わず「ニッ」としました。
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※mitsuki sora さんの画像をお借りしました。
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