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読書びより

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2023年5月の記事一覧

『人間の建設』No.48 「はじめに言葉」 №3〈言葉と方程式〉

 私など素人が思うに、数学の論文などはほとんどが数式でところどころを文章でつないでいるという構図を想像します。ところが岡さんによればそれは違うということです。たいていが文であると。  論文と比較対象にはならないとはおもいますが、数学で身近な書物といえば学校時代の教科書。とはいっても、もう残っていないので確認しようもありませんし、どんな記述のあり方だったのか記憶も薄れています。  小林さんの抱くイメージも、私とその点では大差なかったかもしれません。それと、文とはいっても小説

『人間の建設』No.47 「はじめに言葉」 №2〈安心という目途〉

 岡さんが言った「家康の安心」とは、1600(慶長5)年の天下分け目の「関ヶ原の戦い」を制して征夷大将軍となり天下を統一した時のことをさしているのでしょうか。  小林さんや岡さんが言うようなことは数学に限らず、日常われわれもよく経験することのように思います。一つ解決すると、次の問題がでてくる。それがなんとか片付いたと思ったらまた、……。  だから、岡さんが言うように「無解決」ということもあり得るのだと。逆に問題が全部解決するとしたら、もう何もすることがなくなってしまいます

『人間の建設』No.45 「数学と詩の相似」 №2〈言葉と数〉

 ここで岡さんは、数学者と物理学者の立ち位置のちがいについて述べています。比較的わかりやすい説明と思います。同じ自然科学の分野でも数学と物理学ではこれほど違うものなのかという印象を受けます。  物理学が自然という対象の本質とは何かを追究していく。一方、数学は対象というものを規定せずに数学という抽象的な世界を探求していく。「リアリティ」対「抽象」の大いなる違いがあるように思われます。 「ないところへできていく」。数学とはこういうものだったのか、とあらためて認識させられた気が

『人間の建設』No.46 「はじめに言葉」 №1〈わかるということ〉

 小林さんのように、モーツァルトを論じ、ゴッホを語り、ドストエフスキーを評してきた人が、西洋人のことがわからなくなってきたと言います。岡さんも、細胞の一つ一つがみな違っているという気がすると言っています。  岡さんは、若いころフランスに3年間留学しているのです。年表によれば、生涯をかけて取り組む研究分野として「多変数解析関数論」の世界を選んだのが、この留学中だったということです。  また、ラテン文化の奥深さを学んだのもこの留学中の経験がその契機になっているそうです。国際的

『人間の建設』No.44 「数学と詩の相似」 №1〈ヴィジョンの《ひらめき》〉

 岡さんの著書で読んだ、あるいは奈良まで来て直接聞いた「情緒論」に、小林さんが感銘を受けた様子が伝わるお話です。感動と言っていもいいくらいに。  それを小林さんは、ヴィジョンと呼んでいます。岡さんのオリジナル、それが当時の学説や世の中の潮流とは一線を画す、たとえ異端のようであってもいい。なぜなら、美しくおもしろいからだと。  岡さんのヴィジョンが一番よく現れているのは数学の仕事だろう。専門家ならこれが情緒だとそこを指摘できるのに、自分には出来ない、でもそれでいい。「ヴィジ

『人間の建設』No.43 「一(いち)」という観念 №4〈最初に情緒ができる〉

 今度は遺伝か環境かという問題に会話が移ります。岡さんは一卵性双生児を調査して導かれた学説をもとにした話を進めていきます。  それは遺伝するのは肉体的なものであって、それ以外の才能とかの遺伝というものは、まったくの仮説だ、とても説明できないというのです。もちろんだからと言って環境だけで説明しきれるものではないとも。  遺伝、環境という問題に対して、岡さんが情緒論を問いかけていきます。赤ん坊がお母さんに向かって笑いかける。母親が他人で、抱かれている自分は別人だとは思っていな

『人間の建設』No.42 「一(いち)」という観念 №3〈懐かしさという情操〉

 次に岡さんが、順序数について話します。生まれて八ヵ月のころ、鈴を振って聞かせると、初めは「おや」という表情をする。二度目には、遠いものを思い出すような目の色。三度目からはどんどん振るようせがまれる。  ここで印象的なのが、岡さんが八ヵ月と具体的・断定的に言っています。一を知るのが生後十八ヵ月だと前段で岡さんが言いましたが、今回は順序数の話。岡さんが自分のお子さんを観察した上のことでしょうか。  岡さんは、子が「目の色を見せる」と表現しています。詩的な表現とも取れますが、

『人間の建設』No.41 「一(いち)」という観念 №2〈数学者における一という観念〉

 岡さんは、人間は成長にしたがって一というのがわかる時期が来る。それは十八ヵ月、一歳半のころであると言っています。  小林さんは岡さんの文章を読んだそうなのでご存じですが、私は出典を知りませんので推測ですが、岡さんの子育ての経験からそういう仮説を立てたのかもしれません。  岡さんがいかなる天才であろうとも、お釈迦様でもあるまいし、自分の生後十八ヵ月のときの記憶に基づく話ではないと思うからです。  この辺りの会話は、前段とは逆に岡さんが完全に主導権を執っています。自分の領

『人間の建設』No.40 「一(いち)」という観念 №1〈飛鳥ノ京〉

 小林さんが、岡さん在住の「奈良」について語ります。私は未見ですが、春日大社の「砂ずりの藤」はきれいだそうですね。宇治平等院の藤を見た感動は今も忘れませんが、春日大社の藤もいちど見てみたいものです。  さて、小林さんの「奈良に身をひそめてたことがあって」という文章が気になります。恋多き長谷川泰子をめぐる、中原中也との三角関係の整理でしょうか。単身、大阪・奈良に移り住み、志賀直哉家に出入していたとか。  まあ、小林さんもモテたんですね。とはいえ、いまから百年近くも前の話です