マガジンのカバー画像

読書びより

163
気ままな読書で感じたことや役に立ったことを書いています
運営しているクリエイター

2022年2月の記事一覧

『寝る前5分のパスカル「パンセ入門」』について(2)

アントワーヌ・コンパニョン著『寝る前5分のパスカル「パンセ入門」を通読して、特に私の印象に残った回について振り返りましょう。 今回はその2回目です。 18「そのものは天使でも、獣でもなく、人間である」 以下「 」内は著者による『パンセ』からの引用です。 「人間は、自分が獣に等しいとも天使に等しいとも考えてはならない。しかし、その両方に無知であってはならず、その双方を知らねばならぬ。」 「人間の偉大さは、惨めであると自覚していることにおいて偉大なのだ。/樹木は自分が惨

春霞たなびく山の桜花見れども飽かぬ君にもあるかな (はるがすみ たなびくやまの さくらばな みれどもあかぬ きみにもあるかな)                  -紀友則- わたしの好きな古今集の一首。 他のクリエーターさんがこの歌を記事されていたので、好きしました。 春よ来い!

『タイムスリップ森鷗外』を再読しました

ここのところ、『青年』など森鷗外の小説を読んだ勢いでこのミステリーを再読しました。 図書館で見つけて、あっ、懐かしい表紙と思ってほかの本と一緒に鯨統一郎著『タイムスリップ森鷗外』を借りました。 大正11(1922)年から80年後の渋谷道玄坂にタイムスリップした鷗外、Tシャツにジーンズ姿(似合う!)。携帯にアンテナがついているところが懐かしい。 作中出てくる『文豪』という「ワープロ」も懐かしかったです。(何のことかわかる人は骨董品⁈) この本、最初読んだのいつごろだっけ

廣部知久著『いつもモーツァルトがそばにいる。』(2)

「ある生物学者の愛聴記」との副題がある、『いつもモーツァルトがそばにいる。』は廣部知久さんの著書です。 前回(1)では、表紙からの連想や、著者のモーツァルトに寄せる思いに親近と感謝の念をいだく私の心情を述べました。 今回(2)では、本書の内容を中心に述べたいと思います。 本書の構成は、モーツァルトの1曲または、8章ごとに挿入された著者のエッセイ1篇を1章とし全225章からなります。曲が200曲、エッセイ25篇。 <曲の並べ方はどうでしょうか> 解説書などでよくあるの

廣部知久著『いつもモーツァルトがそばにいる。』(1)

「ある生物学者の愛聴記」との副題がある、『いつもモーツァルトがそばにいる。』は廣部知久さんの著書です。 皆さんの中にも、モーツァルトの音楽、聴いたことがあるという方多いと思います。 アイネ・クライネ・ナハトムジークや、トルコ行進曲など。 この著書は、モーツァルトの音楽に魅せられたひとりの科学者からモーツァルトへの贈り物です。 廣部さんは、本書の著者経歴欄にある通り生物学者として立派な経歴をお持ちの方です。 しかし、音楽に関してはアマチュアといえば失礼に当たるかもしれ

瞳に緑いろの反射のある目で。

「もうお帰りなさるの」と云って、おちゃらは純一の顔をじっと見ている。この女は目で笑うことの出来る女であった。瞳に緑いろの反射のある目で。 森鷗外の長編小説『青年』の「十七」、主人公が宴席でたまたま出会った、年若の芸者「おちゃら」が初めて純一に声をかけた場面です。 え~っ。またまた気になる女性の登場です。「目で笑うことの出来る」とか「瞳に緑色の反射のある目で」なんて。鷗外の描く女性の魅力的なこと。 『青年』にこれまで登場した、謎めいた未亡人の「坂井夫人」、下宿の隣家に住む

知らないことを聞くのは……

しかし、知らないことを聞くのは骨が折れる。知っていることを聞くの気楽なるに如かずである。 森鷗外の長編小説『青年』の「九」、平井拊石(ひらいふせき)の言葉です。拊石のモデルは、夏目漱石とも言われます。鷗外と漱石、ふたりの文豪の関係は興味深いですね。拊石は続けてしゃべります。 お菓子が出ているようだから、どうぞお菓子を食べながら気楽に聞いてください。 急にくだけて菓子をどうぞ、ってどんな状況でしょうか。実は、ここはサロンのような場所で、講釈を聞くために集まった人たちの前で

『寝る前5分のパスカル「パンセ入門」』について(1)

アントワーヌ・コンパニョン著『寝る前5分のパスカル「パンセ入門」』を通読して、特に私の印象に残った回について振り返りましょう。 今回はその1回目です。 学生時代に読んだ本で印象に残っているひとつがモンテーニュの随想録『エセー』です。面白いと思った記憶があります。 一方、パスカルの『パンセ』も部分的にせよ読んだはずですがあまりおぼえていません。多分よくわからなかったか、ピンと来なかったのでしょう。でも、このままで済ませたくない! 本書はフランスのラジオ番組シリーズの一つ

『寝る前5分のパスカル「パンセ入門」』について(3)

アントワーヌ・コンパニョン著『寝る前5分のパスカル「パンセ入門」』を通読して、特に私の印象に残った回について振り返りましょう。 今回はその3回目です。 25「心には心の言い分がある」 以下「 」内は著者による『パンセ』からの引用です。 「心には心の言い分があるが、理性はそれらをまったく知らない」。かくも美しく釣り合いのとれた格言を耳にしたことのないものがあろうか? 「神を感じるのは心であって理性ではない。信仰とはそのようなものである……」 ……しかし、神にかかわる

『寝る前5分のパスカル「パンセ入門」』について(4)

アントワーヌ・コンパニョン著『寝る前5分のパスカル「パンセ入門」』を通読して、特に私の印象に残った回について振り返りましょう。 今回はその第4回、最終です。 37「もしもお前が私を見つけていたのでないならば、おまえは私を探しはしないだろう」 以下「 」内は著者による『パンセ』からの引用です。 「心を悩まさないでよい、もしもお前が私を見つけていたのでないならば、おまえは私を探しはしないだろう。」 この文章はどう読み解けばよいのでしょうか。難しい言葉は一つもありませんが

MARO著『聖書を読んだら哲学がわかった』について

『キリスト教で解きあかす「西洋哲学」入門』と副題の付いた本書。著者MAROさんは、上馬キリスト教会ツイッター部の「まじめ担当」。 ご本人、慶応大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWPご卒業という学歴をお持ちです。著書『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』も以前拝読しました。 今回の本書『聖書を読んだら哲学がわかった』は、私にとって<目からうろこ>本の一つになりました。 この本、始まってまだ数行ですけど、だからこそいきなり思い切って結論を言ってしまいます。 と軽妙