「労働を楽にするための」ベーシック休暇とワンファクターモデル経済学「労働時間は削ってOK」
謝辞
前回の記事で、ティール組織とその先は今のところ「労働競争と資本主義の限界を解決するのに使うべき」とした。
すると、なんと記事の引用元のホモ・ネーモさんからいいねとフォローを頂くことができた。超絶感謝するとともに、アンチワーク哲学をフォローできるよう過去記事のアップデートに掛かる。
そこで今回は過去の記事から引っ張り出し、
「労働競争と資本主義の限界解決に使うべき」
カードをさらに増やそうと思う。
さらに「反アンチワーク哲学な労働主義者」から見ても労働が辛い主因の一つを説明する。
ではまずはおさらいだ。
「資本主義の限界」とは?
「辛いのに強制参加で、しかも日々競争が強化されていく。その先に崩壊があるのに止まれない」ことだ。
これは労働競争に強制力と自己強化力があるからだ。日が進むごとに市場で勝つための自己啓発が増え続け、競争しない者は無視され、労働を前提から疑えなくなる。ある段階までは良かったけれど、これは限界を超えだしたのである。
例えとしては、江草令さんの以下を使わせていただきたい。
この大火事が資本主義で今まさに起きている。だとしたら、手を打たないとならない。そこで私は前回の記事でこの資本主義の限界を解決する手段は4つと説明した。
「資本主義の限界」を解決するカード4つ
①労働を楽にするイノベーションを起こす
しかし、むしろイノベーションによって社会変化が激しくなり競争が加速してしまった。
これには、ベーシックインカムちゃんねるも、アンチワーク哲学も「どちらかというと否定的」立場を取ったと見受ける。
ただし。
アンチワーク哲学が労働を、やベーシックインカムちゃんねるが正しさを新たに定義し直したように、価値観のイノベーションには労働を楽にしていく効果はあると思う。
……それはホワイト革命社会のような今よりはマシそうな別の地獄を目指すことかも知れないし、アンチワーク哲学のようにより希望に満ちたものかも知れない。
②ベーシックインカムを配る
最有力だし実現可能だけど、どうも政府の動きが鈍い。資本主義の限界によって政府が麻痺しているためである。だから今すぐ配るべきだとしても、今すぐ配られそうにない(残念ながら)。ベーシックインカムちゃんねる的には「正しさの過剰」により麻痺している状態である。
そこで今はカードも増やしておきたい。
③自給自足コミュニティを作る
そこでみんなができることが、自給自足コミュニティだ。上の記事ベーシックインカムちゃんねるより持ってきた。
これは「みんなを助ける」より「先にあなたが助かることでみんなを助ける」ローカルな方法だと言える。しかし、これで国家を動かすにはかなりの自給自足コミュニティが必要となる。現状を見る限りベーシックインカムどころか、ティール組織ほど起きているムーブメントとも見れない。
④ティール組織より先に進む。
そして私がもう一つの候補としてあげた、ティール組織とその先がある。これは今の組織をより強制のないプロセスで維持し、苦痛を軽減する試みでもある。
これは自給自足コミュニティとの相性が抜群だ。基本的にこの自給自足コミュニティは、オレンジ型組織(労働)に疲れたからそこから抜け出すために作られるからだ。自給自足コミュニティを作る割とメインの理由になる。そしてティール組織には①〜③にはない強みがあった。
ティール組織は死地に活路を見出す。
ティール組織は資本効率も良いことから、死地に活路を見出すタイプだったのだ。そしてゆえに起業とも相性は抜群である。新たに起業するならその組織の発達段階は高ければ高いほど、あらゆる面で起業家、従業員にとって良い組織になるはずだ。何よりトップマネジメントが不要なら連続企業がとてもしやすくなる(起業家へのメリットはそこか)。
当然それが全てではなく、社会で成功する企業は運要素が強い。究極型組織を無理に起業して成功する保証はない。しかし、リーンスタートアップくらいには注目して良い理論だとは思う。
これは、かなり修正資本主義的なアプローチで、私にはこの修正資本主義的な立場は聞こえがいい。当然、弱点もあってそれはティール組織が明らかにしている。
以上、四つが私の考える「資本主義の限界の対抗策」である。しかし、これでも「資本主義の大火事」は強すぎる。
そこで今回はここにもう一枚カードを増やしてみる。エクゾディアでもなんでもないけれど、思いついているから話すだけだ。
⑤五つ目のアプローチ
今回は五つ目のアイデアを加える。過去記事を再検証するものだ。極めて修正資本主義的な立場のため、GDPで判断することアレルギーの方には予め警報を鳴らしたい。
そこで今回は過去に書いていたワンファクターモデル経済学を改めて考え直して書く。
ワンファクターモデル経済学とは?
まずはこれを見ていただきたい。
労働時間が減るほど生産性が上がっているようには見えないだろうか????労働時間は半分くらいなのに、時間当たりGDPは六倍にも爆上がりしている。
このグラフを真に受けるなら、労働時間を半分に減らすとGDPが三倍になる。この労働時間という一要因によって生産性が決まっている『かのよう』に振る舞うことを『ワンファクターモデル経済学』とこれからは呼ぶ。
実はこのグラフは経済学者の間ではエセ相関だと言われている。労働時間が短いほど最強!!という結論を経済学者は出さなかった。
しかし、どうみても逆ではないのは疑いようもない。このグラフを見ても、働けば働くほど稼げる、労働時間を削るとGDP的に貧しくなるなどとどう考えられようか。
つまり、労働時間を減らしてもその国のGDP的な経済活動は弱くならない。それどころかむしろ強くなる可能性まである。長期的に見て弱くなるとは結論づけられていない。直感的には強まるだろう。
つまり、資本主義自身が労働時間は削ってもOK!!と言っているわけだし、なら労働時間が少ないほうがいいに決まってる!!ということを取り込んでしまおう。
そうすれば、いくら労働が「他者から強制される不愉快な営み」だとしても、その時間が短くなればかなり楽になる。
そして、このワンファクターモデル経済学に説得力はあると思う。今この記事を見る、見飛ばすほとんどの人が、本質的な豊かさを達成するにせよ、ただGDPという数字を稼ぐにせよ、日本の労働時間は長すぎて非効率であることを認めているからだ。だからこの労働時間を削っていいという事実はみんなにぐさっとくるはずなのである。
そう。
労働が一番根深いのは、辛いのは、それが人生の大半だからである。
人生の半分以上の年数、一年の半分以上、起きている時間の半分以上、同じようなことをしなければならない。こんなのいくら心から好きなことをしてても嫌いになる人は多いはずだ。これがどれか一つでも半分以下だったらどれだけ楽だったことか。
GDP主義者にとっての最高の吉報
そして、それをどれか一つくらい半分以下にしても経済は失われない、むしろ強くなる可能性さえあるのだ。これは「いわゆるGDP主義者」にとっての最高の吉報である。
これは例えるなら、アイスクリームと溺死する人の数の相関関係だ。その二つはまるで結びつくように見える。アイスを食べたら溺死するみたいに。が、この二つには関係がない。その間には「夏が暑いから身体を冷やしたい」という極めて二つと強く結びついた因果関係がある。しかし、アイスクリームを食べる量は、溺死する人の数には影響しない。だったら、好きなだけアイスクリームを食べようというわけだ。そして、アイスクリーム禁止が「他者から強制される不愉快な営み」だとしたら気にしなくていい。溺死には影響しないからである。アイスクリームを食べたいなら食べればいいし、食べたくないなら食べなければいいのだ。
そうなれば、仮に時々、他人から強制される不愉快な営みがあったとしても、「じゃあ明日にでも始めようか。面倒ごとは早いほうがいい。」くらいに受け止めることができるはずだ。
GDP主義者にとっての最低の悲報
しかし、ここには極めて悲しい事実もある。労働時間を削っても(労働競争的にも)全然問題ないのに、労働時間が削れないのだ。いや世界的にみて削られつつはある。しかし削られる速度が遅すぎるのだ。到底、資本主義が「大火事」になる速度に追いついているとは思えない。
労働主義者にとって労働が苦しい正体
これは労働時間を削ってもいいと知ってる人にとって最低の悲報だ。この事実こそが人を苦しめる。
まさに自分達の行いが「ブルシット」だと現実を突きつけるからだ。そして「できそうなのに」無力なのだ。これは「政府が無能だからまだ実施できないんだ」と言い訳をつけられるベーシックインカムより痛い(言い訳つけてる場合じゃないけど)。自分の働く時間くらい削れると思えてくるし、より問題をローカルで身近に感じられるからだ。痛すぎる。
「だったらなぜすぐ削れない。労働時間を減らして貧しくなるならまだ頑張れたのに……😢」
これを多くの労働者は各々程度こそあれ知っているし、今の日本の労働時間が長すぎるからどうにかしたいと多くの人が思っている。
そして個人的には、この削ってもいいものさえ削れないことこそ「今の資本主義の形をした何かの一番苦しくて解決しなきゃいけないこと」だと思う。
例えるなら、完全に社会のことを考えていても、自分のことしか考えてなくてもサービス残業なんてしない。その両者をインテグラルに捉えているならなおさらだ。しかし、なぜか人はサービス残業するし、やめられないのだ。まさに「真の新自由主義者」が看過できないことが起きている。
ここが一番資本主義が大炎上してる部分だし、ここから直さないといけないと思っている。
そして、それに対抗するためには、アンチワーク哲学や「労働時間は削っても全然平気」という考え方が必要だと思う。この価値観のイノベーションに「ワンファクターモデル経済学」は取り組む。
ワンファクターモデル経済学のメリット
①人々の直感や実態と合っている上に、経済学者の主張する資本主義とも整合している。GDP主義者、労働主義者にもとても聞こえがいい。この日本国とも相性がいい。
わざわざ時間当たり生産性を出すくらいだから、経済学者やそれ気取りの者も労働時間が短いほうがいいとは考えている。だとしたら、このように大胆に言うものがなぜ少なかったかは不思議である。
「表では守っているフリを取り繕いつつ、裏では気せずに利己的にふるまうのが道徳的だ」などという曲がりくねった価値観に歪められたSDGsと違い、労働時間を削るのはもはや日本国民のほぼ誰もが「できるならそうしたい」と思っている。利益追求に躍起な経営層も自他共に割と思っている。株主用のハガキにさえ働き方改革が書いてあるのだから。
なんなら地球人全体的に。だとすればこの価値観は誰の耳にも入ってくるはずなのだ。逆で入ってるならなぜ減らないなのだ。
おかげで大火事となった資本主義の死路に、活路を見出しやすい理論になっている。そして労働時間を削ることを否定する経済学者は、ベーシックインカムを否定する経済学者よりずっと少ないだろう。
②「する」ではなく「しない」から簡単。
価値観のイノベーションにせよ、ベーシックインカムにせよ、自給自足コミュニティにせよ、ティール組織にせよ、今の状態からは新たに「する」必要がある。「しない」で済むなら遥かに難易度が低い。
ほどほどにしか働かない勇気は、そもそも働かない社会を作る勇気や、ベーシックインカムを導入する勇気と比べて、随分と少なくて済む。
③即効性が高い
これは言うまでもない。労働時間を短くすればその分沢山寝られるし、自由が増える。今この瞬間楽になる。そして、わりかし労働競争を加速する自己啓発の中に紛れ込めるのだ。リーンで、エッセンシャルで、エフォートレスで、well-beingなのだから。
④そもそも良い
労働時間を減らすことは最強!!ではない……と経済学者は一度は結論付けたが、近年これに反するデータも沢山でてきている。週休3日制などの効果が着実に観測され出している。いずれにせよ、削っても悪影響ではないデータがぞろぞろ出てきている。健康、幸福、利益、どの側面からも。
そのポジティブさはとても勇気づけられるものだ。
世の中は一日十時間くらい働かないと生きていけないんほどキツいんすよ。誰が言ったことは忘れたけれどそれより、どう考えてもこっちが真実だ。
⑤ベーシックインカムの実態に見られたら弱点を解消する。
ベーシックインカムを配ると人は幸せになる。しかし、労働時間はほぼ減らなかった。人間に強い貢献欲と力への意思があるにしても減らさなさすぎである。減らしすぎたら問題だが、実態は減らさなすぎて問題だった。
これは労働自体が嫌な人も、案外「保有効果」に逆らえなかったというイメージだ。宝くじに当たってすらも嫌な仕事を辞めない人が案外いるのだ。彼らに救いの手を差し伸べるのは実態からして、ベーシックインカムではないらしい。
そこでワンファクターモデル経済学では、労働を無くすなら、ベーシックインカムでポジティブにお金を破壊する工程だけでなく、ポジティブに労働時間を破壊する工程「も」必要だと考える。
つまり、お金と労働時間この二つの両輪で「他者から強制される不愉快な営み」をやっつけないといけない。そして今のところ、労働時間とお金はお金のほうが無くて困るから、労働時間のほうが先に倒しやすいというわけだ。
ワンファクターモデル経済学のデメリット
と言ってきたものの、この考え方にも問題はある。主に三つだ。
①労働時間、どこまで削っていいかの検討されてない
現状、年あたり千時間くらいまでは削っても良さそうだが、どこまで削っても平気かはわからない。
それより先はアンチワーク哲学のいう「ベーシックインカムを配ったあとに労働をさらに無くす試み」か、それに極めて近い試みが必要だ。
ただ労働時間が極端に少なくなったらそういう「試み」が始まるかもしれない。何が起こるかは分からない。
そこはアンチワーク哲学の「お金から人類が解放された時、何が起こるか分からない」のイメージに近いはず。
しかし、それよりは現実の人間にインタビューしやすくなっている……と思う。それを見る限り、お金から解放されるよりは明らかに温厚だが、方向性の近い「何か」をするのだろう。予め労働時間を短縮させてテストするのもありだ。
②GDPが疑わしい。
これは見受けする限り、ここで参考にしてきた方々の中で共通している。そう、GDPはとっても疑わしい指標なのだ。しかし、これ自体は①ほど大した問題ではない。労働時間と幸福度の相関関係など、様々な経済的指標から見ても短いほうがいいとするエセ?相関関係が得られるはずだ。
GDPがダメなら彼らが良いと見る他の指標を持ってきて減らしても大丈夫と言い続けるだけだ。
ようは労働時間とは減らしても構わない、減らしたほうがいいパラメーターなのだ。そしてこれが長すぎる今の日本が減らしすぎることを気にする必要はない。
短期的には運送業界の働き方改革で、2024年問題が……と言い出すかも知れない。が、いずれ起こさなきゃいけなかった問題は、それこそ「面倒ごとは早いほうがいい。」のではないだろうか??
現人類の労働時間が減ることは運命でありこの傾向に逆らえそうにはない。動かないと「大火事」、動いた先に火の手が少ないなら一歩でも早く動くべきなのだ。
③具体的な行動との乖離は避けられない。
しかし、だとして取るべき政策と、効果などが適切になる保証はない。個人や企業レベルでの労働時間を削る動きは人の「絶対的な豊かさ」を増やす試みになりやすいが、政府の動きには注視が必要だと思う。というのも、日本の労働時間を削る動きはどうも実態と噛み合っていない。
たとえば非正規雇用が増えた背景には労働時間を減らす、少ない労働時間で働こうとする目的があったことは間違いない。しかし、非正規雇用改革のせいで、日本の正規雇用者が労働時間を一向に削れなくなった実態がある。
そしてあろうことか、日本は最優先で対処すべきサービス残業の撲滅に至っていない。働き方改革でサービス残業時間が増えなかったことは救いではあるが。これも労働の強制力に関する諸問題が解決しづらいためである。
ということは、今の日本国は「サービス残業の撲滅→正規雇用の労働時間削減→全体の労働時間削減」の順序で労働時間を削るべきだ。と思うかも知れないし、私はそう思っている。
しかし。
あまりに細かく対処を決めると「正しさの過剰」になりかねない。むしろ「ベーシック休日、ベーシック労働時間削減」のような試みこそが「絶対的な豊かさ」を増やす。
ベーシック休日・ベーシック休暇
そう。この記事をちょうどゴールデンウィーク前に書くのは、この「ベーシック休日」を「ベーシックインカム」と同じくらい導入したいからだ。
手始めに来月六月に一日ベーシック休日を設けると良いのではないだろうか。
このベーシック休日は、最低限休暇保証であり、時間側から他者から強制される不愉快な営みを撲滅する活動になる。このベーシック休日を取得しない場合、代休を取る必要がある。そして恐らく、ベーシック休日はベーシックインカムと同じですぐに配ることができるし、全員に保証させることに意味がある。そしてその目的なら有給休暇取得義務日数拡大より国民の休日のほうが向いている。
たとえやりたい仕事でも、それが仕事である限り、数日は休む期間を設けさせる。こうすることで何があってもこの日数は休めるから、心理的安全性を高めることができる。
とはいえ、いくらベーシック休日を配ってもその日までサビ残されたら堪らないので、サービス残業だけは撲滅した方がいい。ただし、同時並行でよいと思う。
そしてベーシック休暇はコロナの時に限度はあれど給付可能だと証明された。コロナは一時的にベーシックインカムとベーシック休暇を配ったのである。ここから学ぶことは多い。もうすでに実施されたことだから、もっとこうすればよかったと課題感も把握できるようになっている。
そして、ベーシックインカムとベーシック休日が合体することでベーシック有給となる。
とまあ、ベーシック休暇考えてみたわけだ。
まとめ
労働が苦しいのは人生の中で占める割合が大きすぎるからだ。もし人生の一ページに過ぎないならどれだけ楽だったことか。
それでも昔は経済発展が「ブレーキがあることでよりアクセルを踏める」効果で絶対値的な豊かさに寄与してきた。だから、我慢できたのである。しかし、今は競争過多、ブレーキ過剰で、まさに資本主義が「大火事」を起こしている。
この状況を解決するために資本主義に「労働時間は削っても構わない」をインストールさせ、ベーシック休日、ベーシック有給休暇を配ろう。
そして、労働を他者から強制される不愉快な営みと捉えるならば、時間からも撲滅したい。お金を撲滅する方法がベーシックインカムなら、労働時間を撲滅する方法がベーシック休暇なのである。そしてそれ二つを合わせた時、ベーシック有給となるのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?