表現の自由と原理主義(たぬかな事変から燻ぶり続ける価値観の相違)
※有料記事にしていますが全文無料です。
争点は数学的理論に重きを置くのであれば是の集合に含まれ 実情に重きを置き受け入れる立場であればその補集合に含まれるのは必然 実情をとるならば話の辻褄、整合性に矛盾が今後生じる恐れを許容する事になる。
故に実情主義と数学的理論主義の方が全面的に合意を形成する事は今後も困難 ∵数学的理論主義にとって矛盾は許容し難い為 とはいえ数学的理論を用いず物事を解釈する事は困難な為、矛盾を許容した上での運用も実情的にありうる、時に良い所取りになるが ∴目的を至上とするのが建設的着地点と想定
自説こそ至高で清廉で潔白だという目的を掲げるのであればその論争は不毛であり誰しもが自身を正しいと信じるだけで良い 事象の正当性の証明やリスク解消の目的に対しての論争であれば時に矛盾を孕んだ現実を実情として理解する事は出来る ただしその矛盾は飛び火し膨らむ恐れがあるので警鐘も必要
お互いに歩み寄れるところの限界があり 役割分担するしかないかとも思える ただそうした場合にこれまた差別が避けられず 何れかが割を食う立場になるだろう 常に公正で平等な分担など測れるはずもなく であれば現状を維持する事こそが賢明という結論になる 現状維持だけでは衰退から逃れられず消極的平和策だが
結局ポリコレワンダーランドの侵略を座して待つ事になる訳だ、いやはや参った折衷案だ 今均衡を保ちつつも傾きもあるというのであれば、それが何れかに振れた場合に振り戻す勢力が維持されなければ、暴君や暴徒が必ず発生する その時に味方の意見がバラバラでは対抗しきれない事を危惧して止まない
文字に起こしてみると、どちらの味方も味方であるし、問題になった時はしっかりと自分の味方の味方を出来る程度にはどっちつかずじゃない意見は持っておいた方が良いという話でしょう 自分の意見を持って置く事自体が結構な面倒さを持っているだろうので別にどうでもいいしという方もおられるでしょうし、そこは寛容の精神を持たなければならないだろう。
お互いがお互いに大事にする「目的」の為に論を用いましょう。自論の正しさの証明の為だけに噛みつくようなレスバからは無用な軋轢しか生みません。
レスバの果てに何を求めているのかもう一度立ち戻って考えてみましょう。
ただ相手がムカつくだけならほっておけばよいのです。話し合う選択をしたのであればはなから否定から入らずに、最大限相手の言い分を解釈して功罪を洗い出し、一つでもメリットを得る目算を持ちましょう。
その正論は誰を救うために強弁されるのか、その正しさは人に疎まれるのではないか、それを超えて尚主張するだけの価値があるのか、匿名の誰かの思想を捻じ曲げた所で後には何も残りませんので、無駄な努力は程々に。
なんか書きかけで放置してたので一応書き上げておきました。いじょ!
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?