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飛浩隆「グラン・ヴァカンス廃園の天使Ⅰ」「夏の硝視体《グラス・アイ》 Air des bijoux」

筆者は歌人の穂村弘氏の紹介で知った。非常に魅力的な小説だった。
ジャンルとしてはSF。専門用語が多いため、本当になら説明したほうが雰囲気を味わえるのだが煩雑だし、本文を読めばすぐ話に入り込めるから、この記事では省略させてもらう。ぜひ、本文を読んで飛氏の語彙の煌めきを直接浴びてくれると嬉しい。

〈あらすじ〉現実世界の人間たちがアバターを使い、一夏のヴァカンスを楽しみに来る仮想空間〈夏の区界〉。しかしあるとき人間の訪問が途絶える。それ以来、〈夏の区界〉のAIたちは千年の間、同じ夏の一日を繰り返している。
そこへ『ランゴーニ』と名乗る侵入者が〈蜘蛛〉というプログラムを引き連れ襲来する。AIたちは仮想空間のホテルに立て籠り絶望的な闘いに挑む……。

まず、この小説で面白く感じたのはSF的な要素があくまでも物語を動かす「マクガフィン」(物語を動かすための駆動材料)として使われている(ように見える)点にある。
今の説明だと、未読の方は〈SFバトルもの〉のような内容を連想するかもしれないが、実際読むと印象は大きく変わる。
まず、この仮想空間を訪れる客たちは誰も彼も異常性癖者だ。小児性愛、サディズム、覗き……、美しい夏のリゾートの背後に薄暗い人間の欲が溢れている。
さらに小説の後半で、AIたちの行動ははるか昔にプログラムされたとある物語をトレースするよう仕組まれていたことが判明する。AIたちの自我はこの物語に内側から食い破られその二面性を次第に顕にしていく。
たとえば小説序盤からいる魅力的な少女ジュリーがそうだ。彼女は実際には自殺願望―タナトスを抱えている。
あるいは盲目の穏やかな女性イブ。彼女は夫フェリックスとの間に深い確執を抱え込んでいる。
物語の構造に徹底して搾取される自我―供犠の気配が「グラン・ヴァカンス」の背後には常に通奏低音として流れているように感じる。

また、物語の構造は極めて練られている。
第一章〈不在の夏〉で本来の目的を喪った仮想空間〈夏の区界〉の美しさが少年ジュールの視点から映る少女ジュリーの―性的な奔放さを伴う―魅力と共に語られる。
それが第二章から第十章までの間に『ランゴーニ』とプログラム〈蜘蛛〉によって徹底してグロテスクに破壊される。と同時に、一枚絵のような美しさの背後の〈夏の区界〉の醜さが噴き出す。
そして第十章のラスト、再び美しい夏の風景がジュールの視点から、しかも巧妙な仕掛けとともに描き出される。

だから〈美〉→〈醜〉→〈美〉と「グラン・ヴァカンス」の物語は展開するのが、美しい〈夏の区界〉は人間の欲の醜さを孕み、〈醜〉である籠城戦にも犠牲の残酷な美しさがある。この両義性が作品を単調にしない上に物語の奥行きを深めている。


短編「夏の硝視体グラス・アイ」(副題「Air des bijoux」は『宝石の歌』という訳で合っているだろうか)は「グラン・ヴァカンス」の前日譚に当たる。深い罪障意識に苛まれる―それすらプログラムの計算内だが―二人のAI、ジョゼとジュリーの馴れ初めが語られる。
ここでは「グラン・ヴァカンス」で徹底的に破壊される夏のあらゆる美しさが僅かな不穏を抱えつつ繊細に描き出されている。物語構造としては当然長編「グラン・ヴァカンス」に負けるが、それゆえの細部―ディテールの美しさが際立っている。
特にタイトルの硝視体グラス・アイ―一〈夏の区界〉における魔法石のような存在―の描写が魅力的だった。(もし飛氏がカタログでも作ってくれたら喜んで読むのだが)

この他の作品としては中編「ラギッド・ガール」「クローゼット」「魔術師」「蜘蛛ちちゅうの王」の4篇及び現在SFマガジンで連載中の長編「空の園丁」がある。筆者は気力がなく読めていないが、興味のある方がいればぜひ読んでほしい。

〈まとめ〉作中のグロテスクな描写、籠城戦に伴う暴力、人間の欲望に搾取されるAIの姿―そうした無数の〈醜〉が、まるで冒頭とラストの夏空に封をされるように記憶から消えていく。そして永遠の夏の輝きだけが残る。ジュネの小説で手錠がみるみる薔薇の花に覆われていくシーンがあるが、そんな美しい詐術にかけられた心地になる作品である。



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