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カルロスゴーンはクリスチャン

貧困国は皆が貧しいわけではなく、貧困国には必ず大金持ちがいる
貧困とは格差であり、日本はもう立派な貧困国


本来人が豚を飼うものだがそこでは豚が人を支配していた
石も初めは「人が豚を飼うのだから豚が人を飼ってもおかしくない」と思っていたが豚の仕打ちは苛烈に過ぎた
人々はろくに食事も休みも与えられず、長時間過密の重労働をさせられ、そのため飢えや病に倒れたり、自殺したり、自分より弱い者をいじめ、果ては我が子を手にかけ、子供も負けてはいられぬとばかりに親を殺した
人々から搾り取ったもので豚はどこまでも際限なくぶくぶく肥え太っていった
惨状にこらえ切れず石が叫んだ
「お前たちの主は豚だ」
人々が我に返って自分たちの主人を改めてよく見ると、薄々気づいてはいたものの果たして豚であった
長い間自分たちを苦しめていた者の正体が豚であることを知った人々は怒り狂い、豚を叩き殺して焼いて食べてしまった

宴は千年続いた


強い者は無条件で弱い者が好き 弱い者は与えてくれる時だけ強い者が好き

生命は弱肉強食ではない。弱い者いじめで強くなれる道理はない。そう見えてもそうではなく実際は強肉弱食。肉食動物は今の自分が狩ることができる最強の獲物を狙うのであり、好き好んで子供や衰弱した者を捕食しているわけではなく、そんなことをしていたら何も狩れなくなってしまう。弱い者いじめは原理的に存在しない。いじめられている方がどれほど弱く見えてもいじめる方はそれ以上に弱いのである。
動物の群れは階級社会ではなく、弱い者は無条件に愛され、強い者は与えることで愛され、互いに愛し合って暮らしているのである。狼の群れのリーダーは獲物の内臓を独占することで威厳を示すと言う動物学者がいたが、歯をむき出しておいしいところを独り占めと「自分はいいからお前たち食べなさい」ではどちらに威厳があるか。強い者とは与える者のことである。
空腹の時食欲は強くなる。弱い状態の時欲は強くなり、言い換えれば弱い者ほど欲が強いということだ。大人と違い赤ん坊はお腹が空いただけで泣き叫ぶ。赤ん坊にとって空腹は耐えがたい苦痛だから泣き叫ばずにいられないのである。
努力では強くなれない。努力するほど弱くなり、弱い者は与える者になり得ない。努力で得た力が高給や名声との引き換えなしに使われることはない。努力した者ほど優秀で、優秀な者ほど怠け者で、怠け者はいやいや働くから過分な報酬と称賛を要求する。努力した者は、貧しいのは努力が足りないか努力の方向を間違えているからだと言う。努力するとケチで強欲で冷酷な怠け者になるのである。

暴力で奪っていけないのは常識だが努力や能力ならいいのか
どれだけ努力し優秀でも人の分を取ってはならない

努力したからといってなぜ感謝しなければならないのか
優秀というだけでなぜ称賛しなければならないのか
努力で得た力で助けてくれ優秀さが役に立てば感謝し称賛するが
それでも過分な報酬を払わされるなら感謝までしてやる必要はない
なんと哀れなことか 助けてくれず役にも立たずに過分な報酬を得る者は
どれだけ努力し優秀で地位が高くても
むしろ位が高いほど憎まれ蔑まれるのだから

重い方の荷を選ぶのはその中身が金銀財宝と信じて疑わないからである
まさしく人のために背負うなら宝となるだろう
けれども自分のために欲張って重荷を負えば顔は醜く歪み
身体は汗まみれ垢まみれで異臭を放ち
荷は腐ってありとあらゆる汚物と穢れたものに変わるだろう

進化論を否定することで信仰を示すキリスト教徒がいるが、一方で彼らは「金持ちは天国に入れない」「善行を見せびらかしてはならない」という教えはないがしろにしている。大統領がボランティアを呼びかけ、子供が「ぼくはこんないいことをしました」と報告する有り様である。

人の栄光を受けた者は神の栄光を受けられない
人が見た善行を神はもう顧みない

ノブレスオブリージュとかいう薄ら気持ち悪いことを言いながら、有り余る中から恩着せがましくばらまけば許されると思っているのか。それとも「金持ちが天国に入るのは駱駝が針の穴を通るより難しい」「往来でラッパを吹きながら施すな」「右手の善行を左手に知られるな」といった比喩表現は、ストレートな物言いを好む欧米人にはわかりにくいのだろうか。トリクルダウンにしても「金持ちのテーブルから零れ落ちるもので腹を満たそうとしたがそれすらかなわなかった」=そんなものはないと否定されているのだが…
中絶しなければならないような境遇に思いを巡らせることなく非難する人々は、再臨によって泥棒や人殺しなどの罪人が一掃され、世界に平和が訪れると思っているのだろうか。そのような者達は既に人が裁いている。人の裁きと神の裁きが同じものなら神の出る幕はない。また彼らは、神は今、遠いお空の彼方の雲の上にでもいると思っているのだろうか。自分のすぐ隣にいるかもしれないとは夢にも思わないのだろうか。

カルロスゴーンはクリスチャン
日曜日には教会に行き、神父の説教に耳を傾ける敬虔な神の信徒
彼の主は彼にこう教えた
「大ヒット商品なんか生み出さなくても、減らした人の分の仕事を残った者に押し付け、元から買い叩いてた下請けを更に買い叩き、払うべきものを払わずに済ませて利益を出し、会社をV字回復させて、派遣のような虫けらの百倍二百倍の報酬を受け取りなさい
それはあなたの努力の賜物、優秀さの証、天にも自らにも何一つ恥じるところのない正当な労働の対価です
あなたはあなたとあなたの家族の幸せだけを考えなさい
そのためならどれだけの人の人生を踏みにじり、犠牲にしても、私(主イエスキリスト)が許します」

どこかの市長が、成人式で暴れる若者に向かって「世の中はそんなに甘くない」と説教したことがあったが、世の中が厳しいのは、この市長の様に地位が高くて偉いからというわけのわからない理由で働きに見合わない高給を取る者がいるからで、彼らの高給厚遇を支えるために多くの者が長時間過密低賃金労働に耐えなければならないのである。社長がライオンズクラブのメンバーという会社で働いた時も過酷なノルマを課せられたものだ。このクラブの目的は「知性を高め、友愛と相互理解の精神を養い、平和と自由を守り、社会奉仕に精進する」で、入会資格は「善良な徳性の持ち主で、地域社会で声望を得ていること」だそうだ。へー。
黙って金のために働く者より世のため人のため子供たちのためと言う者の方がもらうのは解せない話。ライオンズクラブも青年会議所も世のため人のため子供たちのため何かしたくてしたくてたまらないというなら清掃ボランティアとか道徳教育とか愛国教育とかそんなことは一切やらなくていいから自分と社員の給料を同じにしろ。それが何より一番世のため人のため子供たちのためになる最も道徳的で愛国的なことだ。しかしこんな簡単なことが彼らには不可能でそれなら針の穴を通る方が遥かに容易いのである。
脱税がばれたら茶髪を黒く染め直したり、心証を良くしようと姑息な真似する弁護士とか、強い者の言うことは何でも「ごもっともでございます」と聞く卑屈な将棋指しとか、都民の金で豪遊しまくり、ガラパゴスくんだりまで物見遊山に行く傲慢な穀潰しとか、どうしてこう愛国を言う者にろくなのがいないのか。余人を以て代え難い息子のオペラ事業に都民の金を何億も注ぎ込む…神はなぜこのような恥知らずを創ったのか。
愛国者は、弱い者の自由は異常なまでに敵視し「自由には義務と責任が伴うんです」と決まって言うが、強い者のやりたい放題には「国難の時にいつまでモリカケやってんだ」と実に寛大で「権力には義務と責任が伴う」とは決して言わない(言ったとしても口だけか、義務と責任の意味を都合良く捻じ曲げ、誰も望んでない独り善がりの義務を果たし、責任は下に取らせ、自らは「職責を全うする」という便利な言葉で地位に居座るを良しとする)。
あるのがわかってる文書を捜すふり。拉致被害者を捜すふりするあの国にそっくり。卑怯でない言動を探す方が難しい者が「卑怯とは失礼な」って国のことを決める場でてめえのことなんざどーでもいいんじゃボケ。「公共心を持て」と言う者に限って公共心を持つべきは誰かすらわからず、公共の権力を私物化し、腹心の友のために岩盤規制に穴をあけて公共の土地や金を気前良くあげたり、公共の場にふさわしくない薄ら笑いを浮かべながら答えになってない答弁と理由にならない理由による答弁拒否を繰り返す不誠実な態度に終始したり、まったくもって公共心のかけらも持ち合わせていない。
愛国者は「国のために戦って死ね」と言うが自らは決して国のために戦って死ぬことはない。彼らの言う国とは自分達のことだ。自分達が好き勝手できる体制を守ってほしいだけのくせに「子供が殺され女が犯されてもいいのか」と女子供をだしにするあたりが卑怯千万。
愛国者ほど税金を払わない。愛国者ほど税金にたかる。愛国者ほどいかがわしい。愛国者ほど薄汚い。愛国者ほど同胞から搾り取る。愛国者ほど同胞を虐げる。税金を払わず税金にたかり同胞から搾り取り同胞を虐げる者これすなわち国賊。国賊ほど愛国者面する。同胞から搾り取り自分達だけ金太る真似愛国者にできるはずがない。タダで残業させ放題法案がポシャった時の財界人の面…
改革とは国(企業)が従来のやり方ではこれ以上国民(労働者)から金や自由を奪えないという時にやるものであり、改革の最たるものが戦争。国民が、勤労奉仕の美名の下子供まで無給で働かされ、鍋釜犬猫尻の毛まで抜かれて鼻血も出ない時に、財閥は解体できるほどぶくぶく肥え太ってたというオチ(被搾取階級から抜け出す最も簡単な方法は、搾取階級に取り入って搾取に協力することだ。宗教・警察・労組という三大搾取協力団体と最大の搾取協力団体である大衆の存在によって搾取は苛烈を極め社会は悲惨なものとなる。搾取階級と搾取協力団体による体制は最も安定していて覆しても結局ここに落ち着くことになる)。
尊敬されたいと言う時点で軽蔑されること請け合い。働くほど尊敬され取るほど軽蔑される。尻尾は振られても金持ちが尊敬されることは絶対にない。既に過分な報酬を得ている者を尊敬までしてやる義理はないからだ。上ほど取るという常識を覆した時=不可能を可能にする史上初の偉業を成し遂げた時、日本は世界から尊敬される国になるだろう。

地獄を出るのは簡単
地獄にため込んだ財産をすべて人のために使い切ればいいのだから
でもそれができなくて彼らはそこにいて永久に出られないのである

                         地獄の沙汰も金次第

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宇宙表紙
相対論表紙1


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