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『湿地』/住む人が少ない国の、刑事という仕事(映画感想文)

アーナルデュル・インドリダソンという覚えにくく噛みやすいこの名前は、アイスランドの推理作家。
エーレンデュル捜査官の活躍するシリーズでガラスの鍵賞(北ヨーロッパでも最も優れたミステリに与えられる)を2度受賞。CWA賞(英国推理作家協会賞)の長編部門であるゴールド・ダガー賞も受賞、マルティン・ベック賞(スウェーデン推理作家アカデミーが翻訳に与える)も受賞している実力派。
日本でも「このミス」に『湿地』(13)『緑衣の女』(14)『声』(16)とランクインしている。けっしてトリッキーではなく、地道な捜査の果てに炙り出される市井の人々の暗い秘密に基づく事件の捜査が描かれ、作風は緻密で重厚。通好みの作家である。

そのインドリダソンの原作を映画化した『湿地』(06)を観た。
え、年代表記がおかしいって? そう、原作小説がアイスランドで刊行されたのが2000年、アイスランド&ドイツ&デンマークの合作で映画化されたのが06年、日本で翻訳が刊行されたのが12年。どうりで記憶になかったわけだ、…。

アイスランドの湿地に建てられたアパートで老人男性が殴打され死亡しているのが見つかる。部屋には墓標を映した写真が残され、そこには「ウイドル」という少女の名前が記されている。死んでいた老人にはかつて妹がいたが既に死亡。妹の名前はウイドルではない。いったい誰なのか? その事件と並行して、難病の娘を抱えたオルンという男性の物語が描かれる。娘は病気は遺伝性で治療の方法がなく幼い彼女はオルンの願いも空しく亡くなってしまった、…。老人殴打事件の捜査を担当することになったエーレンデュルたちのチームはやがてその墓標が悪性の脳腫瘍で幼くして亡くなった少女のものであることをつきとめる。
…というのが筋書き。そこに家出状態で身体を売って生活しているエーレンデュルの娘が、誰だか父親のわからない子どもをお腹に宿すというエピソードも絡んでくる。
物語は静謐で全編通して暗い印象。しかし美しい。ひとつには映し出されるアイスランドの風景がある。建物もそう。事件を追う人びとの背後には街のすぐむこうに聳える凍てついた凍土に包まれた丘陵が見られる。海岸に出れば冷たい風が吹きすさび、黒い土の荒れ野が広がる。
日本ではもちろん、アメリカ映画でも見たことのない厳粛な雰囲気をかもしだすロケーションなのだ。夜も漆黒ではなく心なしか濃い紺色の空が広がって見える
もうひとつこの作品を特異なものにしているのはアイスランドの人口だ。
舞台となる首都レイキャヴィークは市内の人口が12万人、そこから少し足を延ばしたけっして広くはない範囲に21万人が住み、それが全国民の2/3なのだ。狭い範囲に多くの人が住み、そして過去のどこかで行き違ったり交流をもったりしている。
刑事のエーレンデュルが容疑者や拘留されている犯罪者に会う度に「娘は元気か」と聞かれるのは刑事に対する威嚇の意味だけでない。日本の刑事モノのドラマと違い彼らは本当に顔見知りなのだ(そのことで娘があまり健全ではない生活をしていたこともわかるが)。
そういった狭い街では、人は極度に自分についての醜聞を恐れる。
『湿地』では過去のあやまち、あるいは勘違いされた醜聞が物語の中心にあり、その点においてもアメリカや日本といった国に住む人びとと価値観が異なることがわかる。事件に関係する人物が人のなかに埋もれてどこにいるのかわからないのではなく、知っている間柄なので極度に秘密を隠す、あるいは知っている間柄なので「もしかしてあのときあの人は」といった邪推がはたらき隠しておくべき秘密が知られてしまいもする。そして事件はより複雑になる。

エーレンデュルを演じるイングバール・E・シーグルソンがたまらなくいい。
「物語が複雑すぎてよくわからない」とコメントする鑑賞者も少なくはないがけっしてそんなことはない。複雑な構成をよく90分にまとめたものだと感心する。脚本もだが説得力のある芝居を見せた役者たちの技量もあると思う。顔にまといつく雰囲気に奥行がある。どんな人物かがその表情から窺い知れるのは、きっと他の映画であまり観ることがないので余計なイメージが貼り付いていないからだろう(といいながらもイングバールは『ファンタスティックビースト』のシリーズにも出ているらしい)。

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