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『春に散る』/「いま」の積み重ねに「先」がある(映画感想文)

「やらずに後悔するならやって後悔する。後悔せずにすめばなおよし」
塾講師だった頃「座右の銘は?」と生徒に訊ねられて教えた言葉で元ネタはない、僕のオリジナル。だがどこから広まったのか(多分塾内の広報誌に書いたのだと思う)知らない教場の大学受験生が「この言葉を励みにがんばった」と合格作文で書いてくれていた。嬉しかった。
何もやらずにいても人生は過ぎていく。やらずにいることを当然のこととして受け止め、何の疑問も不満も感じずに生きる。多くのものをあきらめたり、手に入れられず逃したりし続ければ、そうなるのだと思う。栄光を手に入れるものも望みを果たすものも一握りの特別な人たちだけで、それは選ばれたものが有する特権だと、言い訳のように自分にいいきかす、…。

佐藤浩市演じる広岡は元ボクサー。世界の脚光を浴びるには何かが足りなかった。引退して渡米、実業家として成功を収める。そして40年ぶりに日本に彼は帰ってきた。
当時同じジムでボクシングに打ち込んだ仲間に声を掛け、いっしょに暮らそうと提案する。映画では、このあたりの広岡のモチベーションがいまひとつ曖昧だ。彼は次郎やサセケンといっしょに何をしたかったのだろう。広岡がこのとき何を考え、どういうプランを持っていたのか、そのことを彼自身明確に理解していたのか、あるいは見つからないままかつてのジム仲間となら見つけられると思っていたのか、…。ここは大変重要なキーになると思うのだが、明らかにはされないまま物語はひとりの青年の登場で一気に動き始める。

沢木耕太郎原作の『春に散る』(23)を観た。
原作が書かれたのは2015年から16年にかけて。このとき沢木氏、60代後半。一読者の立場でいえば氏は十分に成功した作家なので、主人公広岡と年代は重なれど心境はどうだろう。
ただ世間の多くの同年代の人たちにむけてある種の提案をしたかったのではないかと思う。それは「まだあきらめなくていい」といったエールにも似ている。「まだ、やれることがある」か「やりたいことを最後までやって人生の幕を引こう」なのかも知れない。
若い世代の人にむけて、「まだまだ時間はある。なにかにむかって情熱を燃やし大望を果たせ」という物語は数多くある。それは多くの人が共有する夢なのかもしれない。確かに、若い時期にしか果たせないことがある。医者であれ、プロ野球選手であれ、二十代半ばに差し掛かって目指せるものではない。ただすべての夢がそうではなく、年がいってから、老いてからでも目指せるものがあるはずだ。それは新たな課題を自分に課すこととイコールではなく、若い頃に目指していたものでもかまわないだろう。
マンガ家になりたかった、自分の店を持ちたかった、世界を旅してみたかった、…。
肉体が老いても、経験がものをいうことが必ずある。広岡は、もちろん経験者であり成功した実業家として金銭的にも余裕があるが(そしてジム仲間の次郎は前科者で、サセケンは貧困にあえいでいる)、しかしそれとは別に必要なものもあるのだ。情熱とか。
その情熱を運んでくるのが、若いこれも挫折したボクサー黒木翔吾なのだ。そして広岡の胸中に蘇るものがある。

『春に散る』はたまたま登場人物たちがボクシング経験者で、そしてモチーフになり彼らが目指すものがリングの上にあったのだが、先に書いたようにそれはボクシングでなくても成立する
かつて売れっ子マンガ家で一作だけ爆発的に売れて表舞台から消えたマンガ家の前に、挫折した若いマンガ家志望の青年が訪れても、『春に散る』と同じフレームで物語を成立させることはできる。時代性を鑑みればややマンガには無理がある、というなら、いまは舞台にしか立たないベテラン漫才師とお笑いを目指す若い男の話でもかまわない(こちらもネタに時代性が、…というのなら間合いや呼吸にしてもいいのだが)。
だが、こう挙げていくと(料理とか)ボクシングとはなんともシンプルでわかりやすく、そして普遍性があることかと気付かされる。
時代によって勝ち負けが大きく変わることはない。もしかすればデンプシーロールがカウンターに敗れるといった進化(かそれに類するもの)もその世界においてはあるはずだが、あくまで映画の絵作り、物語の帰結としてわれわれが求めるものは、世代関係なく明確に存在し、理屈ではないところで掻き立てられるものがある

先日テレビのインタビューに答えて、沢木氏が「『生き方』ではなくこの物語で描きたかったのは『あり方』のようなもの」とおっしゃっていたが、そう考えるとやはり理屈ではない、のだとも思う。
当然、「いま」について考えることはよりよく生きるためには不可欠だが、「この先」を(やや判り易く僕なりにいえば)打算や損得で検討するのではなく、ただ「いま」をベストな形で受け止め、精一杯やること。それが大切なのではないかと思わされる。
確かに、若い翔吾の頼みを広岡は一度は断った。それは彼なりに「先」を考えてのことである。しかし「いま」を、自分だけでなく翔吾の「いま」も含め考えたときに、彼はそちらへ踏み出すと決心する。自分の「いま」はこうするのがよいのだと。それを後押しするのが次郎でありサセケンだった。
そうして「いま」の積み重ねの先に「先」がある。
われわれは、「いつか」の成功を考えて打算的に「いま」の選択をしている。逆説的に、正しい「いま」の先に素晴らしい「いつか」があるのだとなぜ気付かないのだろう
「苦労しておけば必ずいいことがある」を昭和的な誤った旧弊な価値観だと僕は思わない。それは自分が、苦労を放棄したことはたいていろくでもない結果に終わり、ぎりぎりまで骨を折ったことは望んだ形と多少のズレはあれ、必ずいい結果を、誰かに喜んでもらえる結果を得てきたから、…という個人的な経験則に基づくものだが、その渦中にあるときはそんなことなど考えている余裕がない。だからこそ「いつか」に繋がったのだともいえる、…。

先に挙げたインタビューのなかで、これはオンエアされていないと思うのだが沢木氏は、二者が対話する取材というものについて、
「正面をむき合うと話しにくい。(おたがいが正面の別のものにやや顔をむけた形で話すのがいい。だが)もっと話しやすいのは、何か重い荷物をふたりで片方ずつ持ち合って歩いていくとき。はぁはぁいいながら、『それでさ、あのさ』などというときがいちばん深い(話ができる)」
といわれたそうだ。
『春に散る』は、広岡が当然、翔吾ともだが、これまで心から語り合うことのできなかった様々な人たちと、そのときどきで何かの荷物をいっしょに抱えて語り合う場面で紡がれた映画である。人は、素直になることを自分にも他人にも求めながら、なかなかそうはなれない
しかし最期に、誰かと荷物を持つことで彼は素直になれたのだ

(インタビューはTV朝日の「報道ステーション」。大越健介氏とのものです。)

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