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『ザリガニの鳴くところ』/象徴的、だがそれ以上のものではない(映画感想文)

『ザリガニの鳴くところ』(22)を観た。
原作は20年から21年にかけて賞を軒並みさらっていった翻訳ミステリ。原作者のディーリア・オーウェンズは動物行動学の博士で、これが60歳を過ぎて書いた最初の小説なのだ。ミステリ読みの間でずいぶん話題になった。オーウェンズはアフリカに移住し動物にむきあっていた時期に「密猟者は射殺する」と発言し物議をかもしたこともある。思考は保守的。
僕自身は原作未読。映画を観て、多分原作は相当おもしろいのだろうと思った。
映画について、周りの評判はかなりよいのだが、僕自身はううーん、…といったところ。きっと(読んでもないのではばかられるが)原作のダイジェストになっているか、もしくは深いところにあるメッセージを汲み取れていないのではないか。連続ドラマにしてじっくり描いた方がよいと思われるテーマが原作にはあるのではないかという気もしている。

原作モノの映画が封切られるときまって「読んでから行くか」という話題が出る。
僕自身は「本」も「映画」も別物と思っているので興味をひかれたからといってあわてて原作を読むような真似はしない。映画がおもしろければ「読んでみようかな」と思うこともあるが、ごくたまのこと。原作がおもしろかったからという理由で必ずその映画を観る、ということもない。
心のどこかで「原作も映画も同等に満足させてくれるものなどめったにない」とシニカルに考えている節がある。同等に満足できた作品は? と考えて思いつくのは『羊たちの沈黙』ぐらい。

できるだけ中身を知らず、その印象も持たずに劇場に臨みたい。
映画版『ザリガニの鳴くところ』もそうした。ミステリ関係の賞を受賞していることから「きっと事件が起こり謎が解かれる」程度の考えで鑑賞。
ネタバレにならない程度に触れると、中心にあるのはマイノリティの共感だと思うが、その「共感」の描かれ方が(ここは脚本も監督も腐心しているのは判るが)どうにも映画のサイズでは物足りないのだ。判りやすいロマンスを中心に据えていささか後退を余儀なくされている
登場する弁護士にも何かしらの「共感」要素(もしかしたら「贖罪」かな?)もあるはずなのだがこちらはほとんど描かれない。これも不満の理由のひとつ。

原作を2時間程度の映画にするのは無理だ、と誰もが考えたのだと思う。
ただ、映画化したいモチベーションも理解できる。美しい自然のなかで展開するドラマ、細部を構成する自然界の生み出す奇跡にも似た構成物の数々。そして印象的なシーン。主人公を支える絵画群もそうだ。大変に絵的な物語。
しかし表面に描かれた美しさの陰に潜む物語は重厚で、そのバランスをとるのにこの時間では足りない。監督の技量が不足しているわけでも、役者陣に難があるわけでもない。不幸な事実だがフォーマットが合っていない。

さまざまな要素を深く考えずにただ観ることができるなら『ザリガニの鳴くところ』は素晴らしい映画だが、ちょっと頭をはたらかせ、深いところまで覗き込もうとすれば物足りなさの集積だ。あれもこれも、きっと本当は原作者は深い思慮に基づき描いているのではないか、…。読んでもいない本に期待に寄り過ぎた過度な印象を持つのもどうかと思うが、なにもかもがここでは象徴的で、そしてそれ以上のものではない。残念。
めずらしく、未読の原作に惹かれ、そしておもしろいのだろうと思った。

ネタバレになることを承知でひとつだけ書く(だが、いまから挙げる作品自体が知られていることはほぼないと思う)と、この物語で用いられた"仕掛け”は大変トリッキーに思われるが、先行してこのトリックを用いている作家がいる。それも50年以上前に。「またかよ、…」という声が聴こえてきそうだが、そうクイーンだ。『キャロル事件』という中編、それから後期のある長編で、○○が本当は〇〇、という物語をクイーンは書いている。そのときの探偵の苦悩ぶりといったら。悲哀がこれ以上なく鋭い切れ味をみせるのは『キャロル事件』の方で、名作とはいい難いが大変印象に残る一篇に仕上がっている。

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