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改札前のさようなら

 終電の5分前、彼は言った。「もう少し一緒にいたいって言ったらだめですか?」この言葉に私は、いつも弱い。遡ること1時間ほど前。一本の電話からだった。

 突然の久しぶりに表示された名前。以前に、何度か、一緒に飲んだことのある後輩の男の子からの連絡だった。「今日っていますか?」彼と会うときはいつも私のよく行くお店だった。彼はそのお店の前を偶然にも通りかかったようだ。通りかかったときに私のことを思い出してくれたようだ。ありがたいことである。そして、どれだけ自分がそのお店に入り浸っていた事かと今となっては思う。会話が進んで行くにつれて彼が私に会いたいというのが、伝わってきた。案の定、お店にいるわけでもなく、自宅でゆっくりとすっぴんで過ごしていた。その状態から外に準備をする気もサラサラない。だが、彼は自分の会いたいという意思を曲げるつもりはないらしい。

 結局の所、彼は私の最寄りまで来てしまった。そんなことをされては、駅に向かうしかないのだ。お人好しな私は。

 駅に到着すると彼は、コンビニで買物をしながら待っていた。散歩しながら、話をする。私が大抵の場合、たくさん話をして、その場が沈黙にならないようにしたり、仕事の話でその場を回すときには、恋愛的な雰囲気にしたくないときなのだ。結論からして私は彼になんの恋愛感情も残っておらず、そこに残っていたのは、後輩に対する母性的な気持ちだけだった。

彼を終電で帰すことにした。

 そう、ここで今に戻って来るのである。そう、今、改札前なのである。彼は、私に会いに来たのと同じように引き下がることをしなかった。私がどんなにサインを出しても、見ようとせず、自分の意思を押し付けようとしてくる。私は私で、彼にダイレクトに言って嫌われることを避けてなかなか言葉を発することができずにいる。そこで彼が放った言葉が冒頭にあった言葉なのだ。私はついに耐えきれなくなり、葛藤の末に渾身の言葉を放った。

「これ以上、嫌いにならせないで。今日は帰りな。」

彼がやっと改札を通り、互いに帰路につく中で私は思った。

ああ、やっぱり、相手を尊重できない中途半端な女々しい男は嫌いだと。それ以来彼からの連絡はない。それでいいのだ。

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