認知症について考える@現役看護師が認知症の祖母をみて思うこと

私には91歳になる祖母がいる。1歳~18歳まで同居していた。祖母は昭和一ケタの生まれ。戦争も経験している。『辛く大変な時代を生きた女』という言葉が似合う、気が強い女性である。


私の幼少期~祖母との思い出~

小さいころは忙しく働く母に代わってたくさん祖父母が遊んでくれた覚えがある。祖母は信号もないような田舎の出身で自然が好きだったので、よく私たちを自然の中に連れて行ったり、虫を取ったりしてたくさん遊んでくれた。保育園へも送ってくれたりもしたし、風邪を引けば看病してくれた。今の私がいるのは祖父母のおかげと感謝している。

祖父は私が16歳の頃亡くなったが、祖母は祖父の死後も元気に生活していた。


認知症の発症

祖母が認知症の症状を発症したのは祖父が亡くなってからだと思う。配偶者の死というのは人に大きな影響を与える。祖父が亡くなって以降、日時などの見当識が曖昧になったり、何度も同じ話を繰り返す、物を片付けた場所を忘れるといった症状から始まった。家族は心配し、認知症を診てくれる開業医を探して連れて行き、軽度の認知症を診断された。漢方薬を内服したりしていたが、一人での内服管理は困難であったり、徐々に会話や記憶の曖昧さが目立った。また、燃えるゴミの日ではないのにゴミを出してしまったり、家族が誰も見ていないのに勝手に回覧板を次の家へ回してしまい家族が内容を把握できずに困ってしまう、昼間に怪しい?白カビ駆除業者が訪れて勝手に契約し、何十万も取られたこともあった。このころから貼付薬(イクセロンパッチ)を処方された。その貼付薬を湿布と勘違いし、膝に10枚も貼付し気持ちが悪くなって動けなくなり救急車で搬送されたこともあった。このようなことが続き、同居していない私も祖母を心配して、何度も顔を見せたりしていた。

急に激怒する

祖母が85歳を迎えたころから、急に激怒することが何度かあった。怒っている理由は支離滅裂で、被害妄想も多かった。

「(自分の娘であり、私の伯母)がものを盗んだ」

「(嫁である私の母)がお金を取った」

などで急に怒り出し収集がつかなくなることがあった。祖母はもともと気性が激しい性格ではあった。祖父とも何度も大喧嘩していた。

祖母は自頭が悪い人ではないと思う。現に自分の子供たちは全員有名大学を卒業させている。しかし、祖母が幼いころは学ぶという時間すら与えれていなかったので、『学』がない。田舎の貧乏家で生まれ、戦争もあった時代。小学校を卒業すると同時に集団就職で織物工場で働いたのだそうだ。すなわち、小学校卒業程度の学力しか得ることができなかったということである。祖母はそこから「裕福な人に負けるもんか」と必死に働いたそうだ。その思いが強いからか、頭のいい人やお金がある人、体を使う仕事ではない人を小馬鹿にする節が昔からあった。

「○○さんはお嬢様だから世間知らずだ」

「○○さんみたいにITだかよくわからない仕事なんて、ずっと座っているだけのお飾りだ」

「男に負けないように働くんだ。そうしないと男のいいなりで、バカにされる」

私が幼いころもずっとこんな拍子だったが、意外にも幼いころの私は「偏見だなあ」と冷静だったので、この考えに偏ることもなかった。

話が逸れたが、祖母は元々気性が激しかったし、学や品がないので、そんなことを言うと人との関わり上良くないのではなどと考えられなかったのではないかと思う。気性の激しさが、認知症によって誇張されたように思った。

『認知症』を周りの人は受け止めなればならない?

私は大学で看護学を学んだ際も、臨床に出てからも『認知症の患者には安心を与える声かけ、傾聴する姿勢が大切だ』と学び、それを実践してきた。認知症の患者は見当識をはじめ、周りでどんなことが起きているのかを判断したり、記憶しておくことが難しい。それゆえに混乱している。自分に置き換えて考えればとても不安だ。その状況で、もし『なんでわからないの?』『さっき言ったじゃん』と言われると怒りたくなったり、強い孤独を感じることは間違いない。祖母も記憶力が落ちてからは、人の顔色を見て、覚えてないこともあたかも覚えてるように繕おうとする様子が何度もあった。なので認知症の患者に何度も同じことを聞かれたりしても、初めて聞かれたように答えるようにしていた。怒っているときも反論せずに「そうなんですね」ととにかく傾聴に徹してきた。それが認知症患者へのよい関わりだと思っている。

しかし、家族が認知症になると、『傾聴する』ということが難しく、ストレスフルになることがあった。職場では「仕事」だから患者に優しくできた。でも家族といるときは私も看護師ではなく一人の人であり、家でも仕事のときように優しく傾聴することに大変さを感じることもある。数時間、仕事として関わることと、家族としてずっと一緒に生活を共にすることはストレスのかかり方が異なるのである。

先日、母から「もうきついわ」と急に電話がきた。

内容を聞くと、母が仕事から帰ると急に祖母が激怒してきたそう。しかもその内容が

「(私の母)は浮気している!(私の父)がいるのに、卑猥な女だ!」

だそう。しかも、ここには書けないような卑猥な内容(下ネタ的なこと)をしていたと言ってきたのだそう。母は仕事をして帰宅しただけで、そんな卑猥な言葉を浴びせられメンタルの限界を迎えそうに感じて電話してきた。

卑猥な内容を聞き、私は正直、心底から「ドン引き」してしまった。気持ちが悪かった。そんな言葉が頭から浮かぶことに驚きと衝撃と気持ち悪さを感じてしまった。加えて父と母は仲が良く、母が父を一生懸命に介護してきたことをわたしは一番知っているからこそ、怒れる気持ちになった。

わたしは実家から車で30分程度の距離に住んでいるので、母に、「今日はうちにくる?お父さんと2人でうちにおいでよ」と言った。すると母は、

「とりあえず今日はもう自分たちの部屋に逃げてきた。聞いてたらどうかなりそうだったから聞かないようにしたけど、聞こえてくる内容があまりにも辛くて。今日は逃げたから大丈夫だけど、これが続くなら帰宅拒否になりそうだから、そうなったらお邪魔させてもらおうかな。今日はひとまず大丈夫」と言った。

『認知症だということを周囲が理解して受け止め、傾聴すること』が大事だけれど、どんなことがあっても周りが我慢しなくてはいけないのか?病気だからって、言っていいことと悪いことがある。家族だからなんでも受け止めて理解しろなんて、介護を経験したことのない人がいうお飾りの言葉に過ぎないと思った。


大切なことは距離感と余裕

この事件のあと、わたしは夕方に祖母に会いに行くようにした。祖母は夕方に気性が激しくなることが多い。しかし孫である私の顔を見ると少し気持ちが落ち着く。母が帰宅するまで祖母の何百回も聞いた話を傾聴し、機嫌がよい状態で母を家へ迎え、わたしも帰宅するといったことだ。最近、産前休に入ったので、暇さえあえば実家に顔を出すようにしている。

ひとまず今はこれで乗り切ろう。

といったところか。

祖母の認知症症状の悪化を通し、私は『距離感』と『余裕』の大切さを感じた。

一生懸命に在宅介護することは素晴らしいことである。患者でもみんな口々に「家に帰りたい」という。その思いを汲んでいくことは素晴らしいことだ。

しかし、一生懸命になりすぎたり、キャパを超えてしまうまで介護してしまうと介護する側が辛くなってしまう。介護者が辛さを感じながら接すると余裕がなくなる。余裕がなくなると、言ってはいけないことやしてはいけないことをしてしまうかもしれない。家族に辛く当たられたら、認知症の人は更に不安になって症状が増悪する。悪循環になる。

だから私は、適度な距離感を持つことが必要だと思う。距離を保つために「施設」に入ってもらうというのは逃げの選択肢ではないと思う。

『認知症の人と一緒に暮らし、家族が疲弊して余裕なく辛く当たられる生活』か『週に1回家族が施設に面会に来てくれるときにとても優しく話かけてくれる生活』

どちらがよいのか。わたしは後者を選び、施設入所を検討することは逃げでも、負けでもないと思う。

認知症患者は環境を変えると症状が悪化することも多い。しかし、すぐに入所ではなく、デイサービスやショートステイを試して徐々に環境に適応させていき、程よく距離を保つことは悪循環を防ぐことになるのではないだろうか。

認知症の人と関わることは、綺麗ごとや教科書レベルの知識では語れないことが多い。

日々に疲弊する介護者には、『距離感』『余裕』が今あるのかを自分に問いてほしい。自分が限界になったら、困るのは認知症の家族なのだから。


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