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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜⑫ 『ハチ公前物語』

 私の名前はハチ公像。東京都渋谷区道玄坂1丁目在住の銅像である。

 その昔、ここ渋谷駅で帰ることのない主人を待ち続けたハチ公という犬がいて、それをモデルに作られたのがこの私。自慢じゃないが私は日本で上位に入る有名スポットである。とは言え、私を見た人が手を合わせ有り難がるわけではない。むしろその逆、皆私を待ち合わせ場所に利用している。そりゃあ私だって若い頃は野晒しよりか有名美術館で厳格な管理の下、生活することに憧れた。しかし、どうだろう。腕を組み、難しい顔をしてばかりの美術館の客に比べ、ここで待ち合わせをする人たちの顔には喜怒哀楽がある。人の感情もまた野晒しになったこの場所を、私は今ではすっかり気に入っている。

 時が流れれば、街の風景や人々のファッションが移ろいゆく。それは待ち合わせにしても同じで、最近は小型通信機器の普及により、ここで待つ人が減ったように思われる。

 待ち合わせて確実に会えるというのは人間にとっては良い事なのだろう。しかし、長年人々の待ち合わせを見てきた私としては少し寂しい気もする。昔は待ち合わせ一つにしたってドラマがあった。そうドラマが。

 例えばこんな話。

蝉時雨が響き渡る夏の夕暮れ。それぞれの恋人を待ち続ける一人のと男と一人の女。二人はもうかれこれ2時間ほど待っていただろうか。夕暮れ時の涼しい風がひゅーっと吹いた。その風に煽られてか、青年は意を決して女に話かけた。

「待ち合わせですか?」女は少し顔を上げ青年を一瞥し「ええ」とだけ答えまた俯いた。

「中々来ませんね。僕のガールフレンドも、あなたのボーイフレンドも」

「きっとあの人は来ないんだと思います」

「どうして?」

「そんな気がするんです。彼、きっと他所に女を作ってるんだわ」

「女の勘ってやつですか」

彼女はすすり泣き始める。彼は天を仰ぎ独り言のようにこう呟いた。

「許せないなぁ」

「え?」

「あなたみたいな人を泣かせる、その彼が僕は許せませんよ」

「よして」

「あなたはドアが開け放された籠の中にいる小鳥だ。今こそ大空に飛び立つ時です。そうすればきっとあなただけの場所を見つけられますよ」

青年の言い馴れないキザなセリフに彼女は思わず笑みをこぼし、彼に初めて微笑む顔を見せた。

「可笑しな人ね」

「やっぱりそうだ」

彼女は目を大きく開いて表情で聞き返した。

「やっぱりあなたには笑顔が似合う」

「そうかしら?」

「ええ。飛び立つべきだ。鳥が鳴くのは枝に止まっている時です。人間だって羽ばたいている時は泣きませんよ」

「そうかもしれない。……あなたは?」

「え?」

「あなたは見つけたの? 自分だけの場所」

「いや、まだその途中です。ご覧の通り今日もまた振られちゃいました」

「ごめんなさい」

「いいんですよ。もう慣れっこですから」

「そう……男を見る目がない女って案外多いですからね」

ひゅーと風が吹き彼女の前髪を揺らした。シャンプーの香りを仄かに含んだその風は、そのまま青年の火照った頬を優しく撫でる。青年は勇気を振り絞って言う。

「あの、もしよろしければ、今日行く予定だった映画のチケットがあるんで、一緒にどうですか?」

彼女の反応は悪くない。

「なんの映画です?」

青年は私を指差して言う「ハチ公の映画です。この前封切られた」。

「待ち人来ず。の私達には打ってつけね」

「さぁ、飛び立ちましょう」と青年は手を差し出す。彼の手を取ろうとしたその刹那、彼女は駅の方にいる人物の姿を認める。そこには彼女が待ち続けた男がいた。

「ケンジ!」女は、その男のもとへ駆けて行く。

「ユミ、俺が悪かった。俺にはお前しかいねぇんだって今頃気づいちまったのさ」

彼女を抱きしめながら男はそう言った。

「あたしにもケンジしかいないの」

熱い抱擁の後、二人は手を取り合い渋谷の群集の中に消えて行った。

 去り際に彼女はチラリと青年に視線を送る。その瞳はまるで「やっぱりここが私の場所みたい」と語っているようだった。二人の姿が見えなくなると青年は肩をすぼめ、私を見上げた。

「なぁハチ公、来ない誰かを待ち続けるってのは辛いよな。お前もこんな気持ちだったのかい?」

青年は胸のポケットから煙草を取り出して火を点けた。

「でも、彼女は一つだけいい事を言っていたよ。男を見る目がない女は案外多いってね」

そして青年は空にむかって煙を吐き出した。吐き出された煙は風に乗ってくるくる回りながら夕焼け空に溶けて行った。


 私が見てきた物語には他にもまだまだ興味深いものはあるが、そろそろお時間が来たようなので今日はここまで。

 機会があればまたいつか皆様の前でお話しさせていただこうと思う。

 もっと聞きたい、という方は渋谷へ来てくれたらいい。

 私はいつでも、ここにいる。

 では、また会う日まで。みなさまに良き出会いがあらんことを。わおん。



・曲 鈴木雅之&菊池桃子「渋谷で5時」


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが僕の書いたショートストーリーを朗読してくれています。
上記は3月24日放送回の朗読原稿です。

noteでも過去に投稿した「ハチ公前物語」を朗読用に再編集したものです。

この作品自体は十年ほど前に書いたものであり、十年も経てばなんでこれを書こうと思ったのか全く覚えていないですね。再編集の為に読み返してみましたが、ここ最近「木曜日の恋人」に書いた物語と比べ、そんなに違和感がないように思いました。つーことはなにか、この十年なにも進化していないということなのか? それにお前さん、過去作品を持ち出してくるなんて、いよいよネタ切れか? なっはっは。まあまあ、見ててくれたまえ。

来週も朗読ありますのでよろしければ聞いてみてください。

SKYWAVE FMは下記ホームページで聞くことができます。



・SKYWAVE FM









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