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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜⑪ 『次の駅に着いたら』

 午前二時。いつものバーのカウンターに突っ伏して眠っていたわたしは、がばっと起き上がり、周りで飲んでいたいつもの仲間たちにこう宣言した。

「決めた! あたし、この街を出る」

 周りの仲間たちは誰も本気で取り合わなかった。「またはじまったよ」って感じで笑っていた。

「本気よ、あたし本気だからね。どこか遠くの街で一からやり直すの」

 バーのマスターは何かカクテルをシェイクしながらわたしに聞いた。

「で、いつ行っちゃうんだい?」

「……すぐよ。すぐ。こんな生活はおしまい。お酒も、煙草も、きっぱりやめる!」そう言ってわたしはグラスに残ったお酒をあおり、煙草を一本取り出して火をつけた。みんながくすくす笑っていた。

「でもよ、一人で知らない街に暮らすは寂しくないか?」仲間の一人、よっちゃんがそう言った。

「全然。……ロクでもない男と二人で住むよりはマシよ」

 わたしが別れた彼のことを話題にしたものだからみんな黙ってしまった。いつも冗談ばかり言うゆーちゃんでさえ、さすがに茶化さなかった。サム・クックの歌声だけが、店内にある音だった。

 ここで彼と出会ったあの夜も、サム・クックが流れていたことをわたしは思い出した。その晩、すっかり意気投合し、わたしは彼と寝た。

 船が途中でどこかに寄港するみたいに始まったわたしたちの関係だったが、あれよあれよと同棲生活をするようになり、十八ヶ月続いた。

 でも、その恋もどこにでもある、ありきたりな結末を迎えた。つまり、彼がわたしの他に、バスケットボールのチームが作れるくらい、よそに女を作っていたってこと。今思い出しても、それはタチの悪い二日酔いの三十倍はわたしの気分を悪くさせる。そんなことがあって、わたしはこの街を離れて、人生を生き直してみようって思ったんだ。

「男なんてさ、みんなシャボン玉みたい」

 バーの沈黙を破ったのはわたしだった。

「きつく抱いたら、こわれて消えちゃうんだもん」

「女だってそうさ」とけいちゃんが言った。

「触れてみようと手をのばすんだけど、風に乗ってするするっと屋根まで飛んで、こわれて消えちゃうんだもんなあ」

 それを聞いて、よっちゃんが加勢した。

「そうそう。触らせてくれないんだよな、女って」

「ばかじゃないの」とミヨちゃんが応戦した。

 それでみんな笑った。私も笑った。

 わたしの旅立ちの幸運を祈って、みんなで乾杯した。

 次の日から慌ただしく準備は進み、日々は過ぎていった。

 旅立ちの朝は快晴だった。駅のホームでわたしは、今日のこの空の青さをいつまでも覚えておこうと思って空を見上げていた。

「おーい」と声が聞こえた。見るといつものバーの仲間たちが改札口から走ってくるのが見えた。ゆーちゃんも、よっちゃんも、けいちゃんも、ミヨちゃんも、みんな来てくれた。

 前日も遅くまで飲んでいたんだろう、みんな顔が腫れていた。それが可笑しくて嬉しくてわたしは笑った。笑っていたら涙が止まらなくなって、わたしはぼろぼろ泣いた。ミヨちゃんもつられて泣いてわたしを抱きしめてくれた。

 この街での日々も、まるきり無駄じゃなかったんだ。わたしにはそう思えた。けど、癪だったことは、みんなを掻き消すようにして、やっぱりあいつの面影が浮かんできたこと。

「いつかあいつに会ったらさ」とわたしは言った。

「こう伝えといてくれない? 遠くの街でわたしはあんたより幸せに暮らしてるって」

「りょーかい」とゆうちゃんは敬礼をして言った。

 電車がホームにすべりこんで来た。

 一人一人に別れを告げ、わたしは電車に乗った。

 みんな電車と追いかけっこしてホームの端まで見送ってくれた。彼らが見えなくなると、眼前には見馴れた街の風景が広がった。たぶん、もう見ることはない風景。わたしはゆっくり手を振って「じゃあね」と語りかけた。

 そう、あなたとの暮らしだってまるきり無駄だったわけじゃない。

 でしょ?

 電車はゆるやかに加速して、わたしを見馴れない風景の中へと運んでいった。

 次の駅に着いたら……、

 うん。大丈夫。わたしならきっとうまくやっていける。



曲・山下久美子「次の駅に着いたら」


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが僕の書いたショートストーリーを朗読してくれています。
上記は3月17日放送回の朗読原稿です。

山下久美子さんのデビューアルバム『バスルームから愛をこめて』より、A面1曲目「バスルームから愛をこめて」と2曲目「次の駅に着いたら」の歌詞世界を掛け合わせて作ったおはなしです。ぼくにはこの2曲は繋がっていて、おなじ女性を歌った歌に聞こえるんですね。
このファーストアルバムは本当いいですよ。おすすめです。

来週も朗読ありますのでよろしければ聞いてみてください。

SKYWAVE FMは下記ホームページで聞くことができます。


・SKYWAVE FM










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