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逃げるは勝ちだし、強くなる。#01
(逃げることは弱虫のすること?)
数年前、「逃げるは恥だが、役に立つ」という大ヒット連続ドラマがあった。
逃げ恥、すごく好きだった。
あの時、「逃げる」というネガティブに捉えられがちな手段が、少しポジティブな意味を持つように思えた。
自慢じゃないけれど私はメンタルは強い方ではない。
一時期は「メンヘラ」と呼ばれる類に傾倒していたこともある。
でも、もちろん産まれた時からメンタルが弱かったわけではない。
これには、私なりのちゃんとした理由がある。
────
中学2年生。
思春期真っ只中で、当時の同級生の女子の間では「いじめ」と呼ばれるものがまるで当たり前かのように決行されていた時期。
そしてその標的は、私だった。
昨日まで親友だったはずの子から始まる無視
机の中から溢れ出るゴミ
どこかに消える教科書
毎日行方不明になる上履き
下駄箱を埋め尽くす画鋲
身に覚えのない悪い噂。
これがいじめじゃないのならなんて呼ぶんだろう、と思うくらい典型的ないじめだった。
ある日
クラスメイトの男子が、偶然私への(悪意のこもった)手紙を拾ったと教えてくれた。
「これ読んだら、明日からお前学校こなくなるから渡せない」
・・・だったら最初から教えてくれるな!!
と心の中で悪態をつきながら、もらわない選択肢はなかったので交渉の末、なんとか手紙を渡してもらった。
さすがに廊下で隠れて泣いたけど、その後は平然を装って授業を受けた。
この時、「逃げる」という手段をもっとポジティブに捉えていたのなら今とは違った人生を送っていたかもしれないな。
でもあの頃の私は、
逃げる=情けない弱虫のすること
だと思っていたし、
「いじめられている」ということを親にばれるわけにはいかなかった。
だから、逃げなかった。
相当理不尽で、送り主からの悪意を感じる内容の手紙だったけれど、逃げなった。
・・・逃げればよかった、と今になって思う。
次の日からも学校へは休まずに行った。
1回も休まずに。
いじめもいつか終息するだろうと心のどこかで思っていたけれど、
そんなことはなかった。
それよりも先に私の心が悲鳴をあげた。
限界だったんだと思う。
いまでも鮮明に記憶してる。
朝、いつものように上履きのない下駄箱を通過して教室に入ると、
机の上も中身もゴミまみれだった。
きっといつもなら淡々と片付けて、ため息をついて授業が始まるのを待てたんだろうけど
その日は違った。
学生鞄を投げ捨てて、猛ダッシュで走った。
(陸上部だったから、わりと逃げ足は速かったと思う。)
でも、どこかで誰かに助けてほしくて
走る速度を緩めたとき、
校舎をでたところで担任の先生に捕獲されて
そのまま生徒指導室へ連行された。
ようやくあの理不尽ないじめから、悪意から
「逃げる」ことが出来た瞬間だった。
生徒指導室で待機してたら、
ドアが開いて「元気?」ってある人がひょっこり顔を覗かせた。
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