他人と比較している暇があったら自分を幸せにする方法を考えようと本気で思った話

今日、ようやく私は「他人」を「他人」と認識することができた。
自分とはちがう「他人」なのだと。
そのことについて、日記を書きたい。

ここから先のお話は、恐らく普通の人からしたら
当たり前の話なのだと思う。
だから何当たり前のこと言ってんだ!と思われると思う。

でも、私には新しい価値観であり、発見であり、成長であった。
それを日記として残しているだけなので、どうかスルーしてください。

私はみんなの当たり前ができない。
みんなが気にせずいられることを気にしてしまう。

先日、ある人に「どうしても人と比較して落ち込んでしまいます」
と話したら、ある人はこう言った。

「評価は人によって異なる。あなたにはあなたの長所があるわけで
 他人の長所まで自分が上回ろうとするなんて欲張りすぎよ。」

「欲も大切だけど、欲しがりすぎる、求めすぎるのは疲れるよ。
 自分も、周りの人も。」

「自分しか歩めない道を歩いているから、同じ道に並行していないのよ。
 自分の道を歩いて。人の作ってる道に割り込んじゃいけないよ。」

「仕事だってやり方は万別。いいなと感じたら取り入れる。それだけ。」

正直、今までの自分であれば、何を言われても
他人と比較して、劣等感を感じて、自分をダメだと思って、悲観して・・・
そんな自分は変えられないと思っていたし、変わらないと思っていた。

「人は人、自分は自分」と思える自分
劣等感を感じない自分
「人に嫌われてもいいや、なんと思われてもいいや」と思える自分
人に嫉妬しない自分

そんなのただの理想で、そんな理想の自分になるなんて
生きている限り、もしくはあと何十年生きて苦悩しない限り、
不可能だと思っていた。

でも、なぜか今、その人から言われた言葉が、ストンと胸に落ちた。

タイミングか、誰に言われるかか、相互作用か。

考えてみると、確かに、と思う。

たとえば最近、仕事で思っていたこと。
・この人はすごい企画力があっていいなぁ
・バイタリティーがあるなぁ
・ものすごい数の仕事をさばけるのすごいなぁ
・いつ何時も礼儀正しくて謙虚でいい子だなぁ
・新しいことにチャレンジしていてすごいなぁ
・周りから評価されていて褒められていていいなぁ

・・・だからなんなんだ?

じゃあそれすべて自分が手にしたとして、
私の劣等感はなくなるのか?

・・・おそらくまた違うものを見つけては、
いいなぁすごいなぁ自分にはないなぁ
と思うんだと思う。

終わらないじゃん!

だったらそんな解決もしないことをひたすら考える気にする意味って
一体何なんだろう?

SNS見ては、みんな楽しそうだなと思ったり
私にはないな、いいな、うらやましいなって
考える気にする意味は一体何なんだろう?

考えたところで私に何があるんだろう?

すぐにマウントを取る世の中に一体何があるんだろう?

・・・意味なんて何もない!

無駄!無駄!無駄!

あぁ、だからみんな考えないんだね。
そうは分かっていても、私と同じように考えちゃう人もいるかな。

言い聞かせるとかではなく、心の底から
そんなことを考えている毎日に意味なんてないな
と気付いた!

ほんと人のことをああだこうだ考えている暇あったら
自分を幸せにする方法を考えようと本気で思った。

別に誰に何と思われようが、大事な人が一人でもいればそれでいいし、
誰に何を思われても自分の人生には関係ないし、
逆に言えば、他人の長所も短所も私には関係ないし、
すごいところは、すごいな~でいいんだ。別に。
この人は私じゃないし、私はこの人じゃないんだ。

だから自分はダメだと思う必要なんて全くない。
というめちゃくちゃ当たり前のことを28歳にしてようやく実感した。

とにかく自分を思いやること。

それが一番、心が疲れない方法であり、
自分が自分らしくいられる方法だと、知った。

私は、人のフィルターを通してしか自分のことを
見れていなかった。

もっと見てみよう。知ってみよう。

自分ってどんな人なのかな。

何が好きかな。

何が得意で、何が嫌いで、何が大事で。

考えすぎる人間だから自分では考えてきたつもりだけど
もっともっと見てみよう。知ってみよう。感じてみよう。

目標は、
人を認め、自分を認めること。

まずは、まだまだ気にしちゃう自分を
かわいがってあげるところからだな。

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